千葉県松戸市の松戸駅前で民間主体のまちづくりプロジェクト「MAD City(マッドシティ)」がスタートしたのは2010年。以来、松戸駅前を中心とする半径500メートルをコアエリアとする地域で50件以上の空き家や空き店舗の利活用、延べ600人以上の移住定住および事務所移転、起業支援など多数の実績を上げてきた。同プロジェクトを立ち上げ、拡大・定着させてきた、まちづクリエイティブ代表取締役の寺井元一氏に松戸市における取り組みのポイントを聞いた。

寺井元一氏(写真:柳生貴也)
寺井元一氏(写真:柳生貴也)

――MAD Cityでは、海外の「自治区」を参考に「クリエイティブな自治区をつくろう」といったビジョンを掲げ、2010年に松戸駅前の半径500メートルの範囲で民間主体のまちづくり事業を開始して10年以上が経ちました。まちづクリエイティブでは、これまでにどんな仕事を進めてきたのでしょうか。

 MAD Cityプロジェクトを始めた当初からしばらくは、松戸駅前の半径500メートルの範囲での不動産業とイベント事業、アートプロジェクトを軸にまちづくりに取り組みました。メディアがよく取り上げていたのはこの頃です。ただ、これだけでは事業として発展性がないと感じていました。

 次の段階として、ここで集まった人たちと「仕事づくり」をするようになり、それを土台に、松戸以外の地域での大企業や官民連携の仕事を手掛けたり、再開発の最上流のコンサルタントをしたりするようになっています。コンサルティングの内容は、エリアブランディングと事業開発です。開発を始める前に、まずその街独自の強みなどを引き出し、その街ならではの発展や成長についてビジョンやコンセプトをデベロッパーや行政と一緒につくります。さらに、ビジョンやコンセプトに沿って事業者や事業を誘致したり、街に根付かせたりするお手伝いをします。

MAD Cityのウェブサイトより「MAD Cityとは」のページ。千葉県松戸市の松戸駅前半径500メートルの円を主な範囲とした「自治区」を目指す
MAD Cityのウェブサイトより「MAD Cityとは」のページ。千葉県松戸市の松戸駅前半径500メートルの円を主な範囲とした「自治区」を目指す

まちづくりを通じて日本の分野や景色を変えたい

――そもそも、寺井さんはどうして「まちづくり」の事業をやろうと思ったのですか。

 私は、「街」というのは、ほぼ「世界」と同じだと思っています。こうして松戸にいたら、他の街のことなんて気にならないですよね(笑)。グローバル経済の枠組みはありますが、日常生活はみんなが「街」と呼んでいるところでほとんど完結して成立しています。言い換えれば、住んでいる街がどんな街なのかによって、良くも悪くも自分の人生が変わってくるわけです。

 私の場合、まず六本木で、そして渋谷でNPOの活動をしてきたんですが、当時の六本木はある種完成された街あり、僕らのフィールドじゃないと感じてすぐに渋谷に移りました。それで渋谷に移って、アートプロジェクトやストリートバスケの大会などを企画していきました。「街の力」というものをそもそも信じていましたが、六本木から渋谷に移ってそれを実感しましたね。

 ただ、規模が大きくなるにつれてベンチャー的なNPOが活動するのはつらいと感じるようになっていきました。都心は大資本でしか動かせない。少人数で何ができるか突き詰めたい。違うフィールドでやってみよう――。そう思ったのが、松戸でまちづくりの事業を始めたきっかけです。今もNPOの活動は続けていますが、僕自身はMAD Cityでの活動が中心になっていて、むしろNPOも松戸での活動に重点を移す予定でいるぐらいです。

――そのときに松戸を選んだのはどうしてですか。

 たまたま知人がいたというだけの理由です。「街」についていろいろ語りましたが、一方で、ほとんどの街は似たようなものだとも思っています。

 やりやすかったのは、地権者、商店街の人、街を歩いている人がすべて一緒だということです。だから地権者とすぐに会える。何かをしたいときにすぐにアクセスできる。

 「自治区」を標ぼうして、空き家や街の資源を使うことを入り口にまちづくりの事業を始めようと思っていたので、この点は良かったですね。渋谷だと地権者はほとんど渋谷に住んでいませんから、会うまでが大変でした。

――寺井さんが代表理事を務めるNPO法人が渋谷で企画・運営しているストリート・バスケットボールの大会「ALLDAY」(会場:代々木公園)は、大きく育ちました。今度はイベントではなく「まちづくり」をやりたかったということなのでしょうか。

 大会出身者から、日本代表選手が何人か出ましたし、プロになった選手も100人以上はいると思います。そういう意味では人の人生を変えたと言えるし、この大会は、大学や実業団とは違うスカウトの場として機能を果たしたと言えると思います。

 でも僕は、誰か一人の人生ではなく、日本の文化が、景色が変わるようなことがしたいと思っていたんです。街の中や家の庭にバスケットボールのゴールがあちこちにあって、草野球をするみたいにみんながバスケをする世界を目指したんですが、日本はそうなっていないですよね。身の回りの社会環境を変えようとしても、イベントでは変わらないとも思いました。