大阪府が公募したスマートシティ戦略部の部長に4月、元・日本IBM常務執行役員の坪田知巳(ともおき)氏が就任した。民間の大手IT企業から大阪府のスマートシティ戦略を統括する仕事に転じた背景や就任から取り組んできた仕事、コロナ時代に対応した大阪府のスマートシティ戦略の変化などについて2回にわたりインタビューを掲載する。

今回は、公募によってスマートシティ戦略部長へ転じた背景や想い、就任早々に取り組んだ新型コロナ対応のITシステムについて。イベント会場などでの感染者との接触の可能性を追跡する「大阪コロナ追跡システム」を早い段階で提供できた背景として、坪田氏は民間からの出向者を受け入れた公民連携型の組織づくりを挙げた。

坪田 知巳(つぼた ともおき)氏(写真:行友 重治)

――大手IT企業の役員から、大阪府のスマートシティ戦略部長へ転じました。どのような背景や想いで応募を決断されたのでしょうか?

 公募の選考からIBMを退職するまではわずか1カ月ぐらいでした。前職の日本IBMでは、東京を拠点として大手企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支援する事業を手掛けるとともに、関西地域の危機管理に関する責任者を務めており、3月31日の日付が切り替わる瞬間まで海外とオンライン会議でコロナ対策を検討していました。

 大阪府がスマートシティ戦略部長を公募していることは、経済団体経由で知りました。常々「IBMを退職したら、故郷である大阪の成長に貢献する仕事をしたい」と財界の方々に話していましたので、ご紹介いただいたのだと思います。

 大阪の成長に貢献したいと思うようになったのは、東日本大震災がきっかけです。当時、原発事故もあり、多くの外資系企業が東京から地方へ事業拠点を一時的に移し、日本へ進出する外資系企業も東京以外に事業拠点を作ろうしました。私は、そうした企業の相談相手となり、大阪への誘致を薦める仕事をしましたが、改めて調べると大阪には予想以上に潜在的な強みがあると感じました。

 東京ほど人口が過密ではなく、都市としてのバランスがよい。新技術の開発で先端的な企業も集積しており、研究に力を入れている大学も多く、アジアへの間口になっている――などです。また、中小が多いのですが、人工衛星の部品を製造するほど高度な技術を持つものづくり企業もあります。

 そのときの体験と記憶は、自分に深く刻み込まれ、IBMで仕事をしながら、いずれは大阪という社会のために自分の経験を生かしたいと思うようになりました。

 大阪府のスマートシティ戦略部長の公募を紹介いただいたとき、合格すれば、就任するタイミングも良いと感じました。実は、あと5年はIBMで働くつもりでしたが、2020年から2025年の大阪・関西万博までの5年間で、大阪はこれまでにない変化を遂げるでしょう。大阪で仕事をするには今が最適だと思いました。

就任早々、コロナ禍の真っ只中に

――就任早々、4月7日には政府が緊急事態宣言を出すなど、新型コロナウイルス感染症が拡大しました。しかし、5月29日に「大阪コロナ追跡システム」の提供を開始するなど、スピーディーに施策を打ち出しています。なぜ、そのようなことが可能だったのでしょうか?

 新型コロナ対策は、就任時点の最優先課題でした。就任初日の4月1日にはスマートシティ戦略部内に、「コロナSWATチーム」を立ち上げ、ICT(情報通信技術)を活用した新型コロナ対策について本格的に検討を始めました。

 就任前から仕事をすぐスタートできるよう準備はしていました。3月に府庁へ何度か登庁して、スマート戦略部長の仕事についてレクチャーを受けています。このとき、就任前で指揮権はなかったものの、「イベント参加者を追跡するシステムがあれば、イベントが早期に開催できる」というアイデアを出したところ、府庁の職員がシステムの開発に取り掛かってくれました。

 「大阪コロナ追跡システム」につながる、このアイデアは、3月19日に行われた政府の専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)の議論を踏まえて考えたものです。3月中旬、国内の感染拡大がいったん収まる傾向がみられたことを受け、政府の専門家会議が、国内のイベント自粛を緩和する条件の一つとして「感染者を追跡できること」をあげたのです。