――こうした場所が必要だと思ったきっかけは。

 私は新潟出身ですが、結婚後は大阪の特別養護老人ホームで働いていました。ところが夫の両親が認知症になり、その介護のため単身で新潟に戻ってきたのです。介護保険制度ができる前のことでしたが、その際介護者を支援する仕組みが何もないことに気づいたのです。

義理の父母の介護をきっかけに、河田氏は支え合う仕組みづくりの大切さを知った(写真:加藤康)
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 特養に勤めていたときにも、制度の枠内でできることに限界があるのは実感していました。死期が近づいているお年寄りの手を握っていてやりたくても、勤務時間外にはできません。介護保険のある今でも、訪問介護のヘルパーはペットの世話にはかかわれないのです。

  制度に平等性・公平性が求められるのは当然ですが、一人の住民としては自分の気持ちに従って、ヘルパーのできないこと、制度を補う部分を提供していきたい。そうすれば、介護による離職や別居を防ぐことにもつながると思い、30年前に新潟市内に事務所を借り、有償の助け合い活動「まごころヘルプ」をスタートさせました。

集まれば助け合うのが人

――それが居場所づくりにどうつながるのですか。

 事務所には活動する会員が出入りしていました。当番の日だけでなく、次第に時間があれば顔を出すように。自宅でヘルプを受けていた高齢者もやって来るようになりました。大学病院やがんセンターへの道沿いに事務所があったから、立ち寄りやすかった面もありましたね。こうして事務所が、地域の様々な人が集う場所になっていったのです。これが地域の茶の間のはじまりです。

実家の茶の間・紫竹が開催されている民家。専門職による相談や住民組織の会合なども開かれている(写真:加藤康)
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 そこにいる人たちがお互いに気遣いし合ったり、助け合ったりしているのを見て、私はこうした場所の大切さを痛感しました。人は集まると助け合うものなんだ。人が集まる場所がたくさんあれば、親戚・縁者がいない人でも、支え合いの中で生きていけるまちができると思ったのです。そこで1992年の市の福祉公社立ち上げに際し、中心的な事業として有償助け合いが組み入れられることになったとき、事務所の一部を“居場所”とすることを認めてもらいました。

――「茶の間」というネーミングの由来は。

 20年ほど前、自分の住んでいる地域で子供から高齢者まで誰でも集える場所を設けたときに、地元の新聞にそう紹介されたのがきっかけです。その後、空き家を利用して宿泊もできる常設型の居場所づくりも手掛けました。そして2014年に新潟市と協働運営協定書を交わし、市の地域包括ケアのモデルハウスとなったのです。 今でも、支え合いのきっかけにと「実家の茶の間・紫竹」の参加券を6枚1組1500円にして販売し、車に同乗させてもらった、衣服を直してもらったなどの際のお礼にやりとりできるという、有償の助け合いの仕組みを設けています。

1日の活動の締めくくりはラジオ体操。体の不自由な人もできる範囲で行う(写真:加藤康)
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