山梨県の笛吹市の県有地に2016年1月、出産直後の母親をサポートする民設民営の宿泊型施設「産前産後ケアセンター」が誕生した。県からの委託を受けて施設を運営するのは、健康科学大学を運営する学校法人富士修紅学院(山梨県富士河口湖町)だ。利用料の約4割ずつを県と市町村が補助する。このスキームが実現した経緯やその効果を、県と大学に聞いた。

宿泊6室を備える産前産後ケアセンターの外観。以前は県の温泉宿泊施設だった場所に建つ(写真:編集部)
宿泊6室を備える産前産後ケアセンターの外観。以前は県の温泉宿泊施設だった場所に建つ(写真:編集部)
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 山梨県は、1999年をピークに人口が減少し、出生数も年間6000件ほど(2014年実績)と減少傾向にある。そこで県は2013年、県庁に部局横断の少子化対策プロジェクトチームを発足させ、当初から課題に挙がっていた産前産後育児のサポートを考える検討会も立ち上げた。

 検討会のニーズ調査で浮き彫りになったのが、出産した母親の多くは、産後3~4カ月までの間に不安を抱えがちであるという実態だ。その時期は、出産で消耗した体力が回復しきっていない上に、特に1人目の出産の場合は子育て自体に不慣れなためだ。2人目以降の出産の場合も、上の子と赤ちゃんを同時に育てる負担は大きく、やはりケアが求められているという。

出産後4カ月以内が「サポートの空白」だったことが調査などで浮かび上がった(資料:山梨県)
出産後4カ月以内が「サポートの空白」だったことが調査などで浮かび上がった(資料:山梨県)
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 また、妊娠前、妊娠、出産、乳幼児期の各段階に市町村や民間事業者がサポートを提供するなか、出産直後に限っては支援が不十分であることも明らかになってきた。そこで、県が宿泊型の産後ケア施設の整備に動くことになった。母子保健事業の実施主体は市町村だが、山梨県の市町村は多くが中・小規模であり、宿泊型の産後ケアのサービスを市町村が単体で運営するのは困難とみられたためだ。

 「山梨の市町村は規模が大きくない分、母子保健事業に関して、各地域の保健師がていねいに対応している。産後のサポートさえ県でカバーすれば、妊娠前からの全段階で途切れなくサポートを提供する体制が整う」と山梨県福祉保健部健康増進課の古屋みつ子総括課長補佐は説明する。

県全域からアクセスしやすい石和温泉に

 現在、施設利用料は、1泊2食の基本料金が3万3900円で、利用者の負担額はこのうち約2割の6100円。県と、利用者が住む市町村がそれぞれ1万3900円ずつを補助する。なお、県外からも、補助なしの正規料金を支払えば利用可能で、実際にそうした例もあるという。

 施設の立地として、県内全域からアクセスしやすいといった理由で白羽の矢が立ったのが、県央にある石和温泉(笛吹市石和町)の県有地。「山梨は県の形が縦長でも横長でもなく、地理的な中心が取りやすかったことと、独自に宿泊型ケア施設を持てる規模の都市がなかったことが、この事業では幸いし、全市町村からの補助を取り付けることができた」(古屋総括課長補佐)。

事業の実施体制。県内全市町村が利用者数に応じてコストを負担する(資料:山梨県)
事業の実施体制。県内全市町村が利用者数に応じてコストを負担する(資料:山梨県)
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山梨県の中央部に立地している(資料:山梨県)
山梨県の中央部に立地している(資料:山梨県)
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 この県有地には、以前は県立の温泉宿泊施設「かえで荘」が建っており、2006年からは指定管理者が運営してきたが、建物の老朽化などを受けて、2013年度末で閉鎖していた。県は建物を解体した上で民間事業者のプロポーザルを公募し、選ばれた事業者に土地を貸与して、設計・建設・運営などを任せる形での施設設置・運営を目指した。

 公募で選定されたのが、理学療法士や作業療法士を育成し、2016年4月には看護学部も設置した山梨県内の健康科学大学だ。2016年1月に「産前産後ケアセンター ママの里」を開設。宿泊型ケアは同年2月15日から開始した。なお、このセンターは児童福祉施設に準ずるが、旅館業・宿泊業として営業許可を取得している。

 土地はかえで荘跡地の約4600m2のうち、約2400m2に、30年間の定期借地権を設定した。山梨県が民間企業との間で定期借地権契約を結ぶのは、この事業が初めてという。施設整備費は県が2分の1を補助する方針で、補助対象上限額を1億4000万円としていた。実際には、健康科学大学は1億4000万円を超える投資で施設を整備し、県から7000万円の補助を受けた(借地料は非公開)。

家庭的な雰囲気や助産師の言葉、温泉などでリラックス

利用者から評判のよいジャグジー付き風呂(写真:編集部)
利用者から評判のよいジャグジー付き風呂(写真:編集部)
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2階の空間もゆったりとつくられている。木を多用した落ち着いた雰囲気だ(写真:編集部)
2階の空間もゆったりとつくられている。木を多用した落ち着いた雰囲気だ(写真:編集部)
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 産前産後ケアセンターは、出産から4カ月以内の母子が宿泊できる部屋を6室備える。山梨県助産師会が、準備段階から県のヒアリングに応じて意見を出すなど、運営に協力しており、「病院とは異なる家庭的な雰囲気を持ち、子育てで不安を持つお母さんたちがホッとできる場所を目指した」との意向が、センターの施設のインテリアや運営などに反映されている。施設の愛称を“ママの里”としたのも、困ったことがあったら頼れる“実家”のような存在になりたいと思ったからだという。センター長、副センター長を含め、12人の助産師と非常勤の保育士1人、パート10人が交代制で勤務している。

 センターでは「とにかく休みたい」「授乳の不安を解消したい」などの利用者の意向をていねいに聞き取り、授乳や抱っこの際には「それで大丈夫よ」と助産師が声をかけることで、利用者が安心・満足できるように努めているという。産前産後ケアセンターの榊原まゆみセンター長は「不安そうにしていたお母さんたちが、退所時には子育てに対して前向きな気持ちになり、明るい顔になって、それぞれの家へ帰っていけるようになることが、この施設の最大の目的」と語る。

 設備の目玉は、温泉を利用するジャグジー付きの浴室だ。源泉施設は定期借地権の対象範囲に含まれないが、湯量豊富な県有の源泉から施設内の浴室に温泉を引いている。「産後は身も心も疲れていて、人によっては寝不足や肩こり、腰痛、腱鞘炎などに悩まされがち。まず、体をほぐしてもらうと、利用者の表情が明るくなるし、母乳の出もよくなる」(榊原センター長)との効果を狙う。

 県も「ラグジュアリーな広々としたバスルームや、空間のゆったりとした使い方などは、公設ではおそらく実現できなかった。民間の力を借りて正解だったと強く感じた」(榊原センター長)としている。利用者からも浴室に対する評価が高く「体がほぐれた」「ゆっくりお風呂に入れたことがうれしかった」などの声が聞かれる。

 建物の内外装には木を多用し、インテリアも派手な色使いは避けることで、利用者が心安らぐ空間を目指した。また、間仕切り壁の代わりにカーテンでゆるやかにスペースを区切り、空間を広く感じられるようにしている。太陽の光を多く取り入れられるよう、開口も大きく取った。庭には、山梨県周辺の名産であるブドウやナシなどの「甲州八珍果」の木々を植え、片隅には菜園や足湯を設けるなど、柔らかな雰囲気を生み出す工夫を随所にこらしている。

フロアのレイアウト(資料:健康科学大学)
フロアのレイアウト(資料:健康科学大学)
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宿泊室。洋室4室、和室2室を用意した(写真:編集部)
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宿泊室。洋室4室、和室2室を用意した(写真:編集部)
庭には足湯を設置。採光を考え、施設の窓は大きい(写真:編集部)
庭には足湯を設置。採光を考え、施設の窓は大きい(写真:編集部)
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1階の食堂。アコーディオンの仕切りを開けると隣の多目的スペースと一体的に利用できる(写真:編集部)
1階の食堂。アコーディオンの仕切りを開けると隣の多目的スペースと一体的に利用できる(写真:編集部)
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今後は大学と連携した自主事業を実施・拡大も

産前産後ケアセンターの榊原センター長(写真:編集部)
産前産後ケアセンターの榊原センター長(写真:編集部)
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 2016年2月にスタートした滞在型ケアの利用者数は、開始から11月末までの実績で138組338泊。1人目の子を出産した30歳代の人が多い。利用者のエリアは狙い通り県内各所にちらばっているという。

 ただ、県と大学は共に、利用者数と利用者の宿泊日数をもう少し増やしたいと考えているという。3~4日ほど滞在してもらえれば、お母さんのケアも十分なことができるし、経営も安定するからだ。そこで、テレビや雑誌といった外部メディアのほか、県の広報誌、市町村での出産届け出のタイミングでの資料配布、センターが地域に出張してのPRイベントなどを通じ、認知度の向上を図っている。開設当初は1泊2日での利用がほとんどだったが、徐々に2泊、3泊の利用者が増えてきているという。

 電話相談サービスの利用状況は11月末までで1519件(月平均144件程度)。こちらも増加傾向で、この電話相談から宿泊利用につながることもあるという。

 施設の名称にある「産前」のケアは自主事業として行っている。妊婦向けの健康教室や個別相談、「プレパパママ教室」、施設を利用した母親と妊婦の交流会などを実施している。「実際に出産後にここを利用しなくても、何かあったときにここがあると知ってもらうだけでもかなり不安の軽減になるのではないか」(榊原センター長)。

 そのほか、自主事業として、母乳ケアやベビーマッサージなどの教室、母親同士の交流会、日帰り型のケアなども実施している。日帰り型ケアには基本的に県や市町村の補助がないものの、南アルプス市のみ、利用料1万3000円のうち1万円を補助しているため、同市民の利用が多いという。

 センターは大きく利益の出る事業ではないという。「現時点では採算は厳しいが、利用率や利用者の満足度を高めることを第一にし、5年後をメドに黒字化できたら」と榊原センター長。事業者として手を挙げた理由としては、「地域貢献や、そのことを知っていただくことで学生を増やしたいということがあった。また産後ケアの事業そのものが大事なものでありシステム化が必要という認識もあった」(榊原センター長)と語る。

 今後は、健康科学大学から理学療法や作業療法、臨床心理などの専門家を招いた各種教室やカウンセリングなどの事業も計画していく。

この記事のURL https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/434167/011600005/