全国の自治体に先駆けてオープンデータ活用の推進に着手したことで知られる福井県鯖江市。2017年3月には、経産省が地域でのIoTビジネスの創出を目指して取り組む「地方版IoT推進ラボ」にも認定された。リーダーとして牽引してきた鯖江市の牧田泰一政策経営部情報政策監への取材を通じて、同市のこれまでの取り組みとこれからの姿を追った。

 福井県鯖江市。人口は約6万9000人。福井県内では人口増加傾向にある唯一の市である。JR鯖江駅から市役所へ続く道沿いには、中近世の歴史をしのばせる寺社や古い商家の建物が並ぶ。

 その街並みを縫って走る鯖江市コミュニティバス「つつじバス」は、地元の人々の生活の足だ。このつつじバスで、バス停ごとの乗降客数と、各バスに1カ所ずつある車椅子スペースの空き状況のデータを効率よく集計し、路線の改善やサービス向上のために活用する「バス乗客リアルタイムオープンデータシステム」が2017年4月に稼働した。

鯖江市のコミュニティバス「つつじバス」(写真:鯖江市)

 従来、乗降客数は運転手が目視で確認して手書きで記録し、降車後に報告していた。新方式は、運転手が電子カウンターのボタンを押すと手軽に即時で集計できるデジタル方式である。データはインターネットを通じてサーバーに送られる。

つつじバスの運転手が操作する電子カウンター(写真:山岸 政仁)

 サーバーに送られたデータは、スマートフォンやパソコンで運行中のバスの位置情報を閲覧できるWebアプリなどでも利用が期待されている。例えば、車椅子の利用者がバスの車椅子スペースが埋まっていることがわかった場合、バスを1本やり過ごして後続のバスに乗るといったことが可能になる。

 この電子カウンターの中には、「IchigoJam」という32ビットコンピュータが内蔵されている。開発者は、地元出身で、モバイルを中心としたソフトの企画・開発を手掛けるjig.jpの福野泰介社長。価格は1500円ほどであり、BASIC言語でプログラミングできる。

 バス乗客リアルタイムオープンデータシステムは、鯖江市、jig.jp、さくらインターネットが共同開発した。基になるコンセプトは、Code for Japanのコーポレートフェローシップ制度を利用して鯖江市に派遣されたヤフージャパンの社員と市職員、市民との協業で生まれた。Code for Japanは市民参加型のコミュニティ運営を通じて、地域の課題を解決するためのアイデアを考え、技術を活用して公共サービスの開発や運営を支援する非営利団体である。

「バス乗客リアルタイムオープンデータシステム」の仕組み(出所:jig.jpの発表資料)
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 バス乗客リアルタイムオープンデータシステムのアプリに表示されるバスの時刻情報などは、オープンデータとして市が公開しているバス停の位置情報や運行ダイヤ情報に基づいて作成されている。

 このプロジェクトは2017年3月に、経済産業省が地域でのIoT(インターネット・オブ・シングス)ビジネスの創出を目指して取り組む「地方版IoT推進ラボ」において、「さばえIOT推進ラボ」として認定された。

180種類のオープンデータを公開、アプリも200以上に

 鯖江市では現在、こうした地元発のアプリが200以上あり、公開するオープンデータの種類は約180に達する。

 例えば、つつじバスのバス停やバスの現在位置などがわかる「つつじバスモニター」や、鯖江市の見どころとなるスポットを写真で投稿できる「さばれぽ」、鯖江市図書館の机の利用状況や書籍の検索ができるアプリ「Sabota」などだ。

 同市のオープンデータの取り組みは、2010年12月に市内の公衆トイレの位置情報を公開したのが最初だった。その後、各種のデータを公開してきた。こうした先駆的な取り組みが進んだ背景には、何があったのか。

IT業界で活躍する人材を輩出、オープンデータ活用のきっかけに

 まずは、牧野百男市長が市民の声を受け入れるオープンなスタンスと決断力、行動力を備えていたことが、ポイントの一つに挙げられる。加えて、鯖江市はIT業界で活躍する人材を多数輩出しており、それがうまくかみ合った。

 福野jig.jp社長をはじめ、Windows用のテキストエディタとして人気のある「秀丸エディタ」の作者である斉藤秀夫氏、データ復旧サービスなどを提供するエムディエスの田辺一雄代表取締役、サイバーエージェントの藤田晋社長は、いずれも鯖江市出身である。

 2010年12月、Web技術の標準化団体「W3C」(World Wide Web Consortium)に加盟しているjig.jpの福野氏が、W3Cの日本サイトマネージャーである慶応義塾大学の一色正夫教授と共に牧野市長を訪ね、民間などが二次利用することで新たな公共サービスを創出するオープンデータの推進を提案した。W3Cの国際会議に参加しオープンデータのもたらすインパクトを目の当たりにした福野氏らの熱意に市長も動いた。

 「『市民とともにITをまちづくりの力に活用しましょう』という提案でした。Webの考案者であるティム・バーナーズ・リー氏が、世界的なオープンガバメントの取り組みを草の根で進めており、そのひとつにオープンデータが位置付けられている。それなら、ITにゆかりの深い市民が多い鯖江市でもやってみようじゃないかと、市長が提案に賛同しました」と政策経営部の牧田泰一情報政策監は振り返る。

鯖江市 政策経営部 情報政策監の牧田泰一氏(写真:山岸 政仁)

 牧田氏は当時秘書課長だったが、約3カ月後の2011年3月に情報統計課が発足すると、特命で課長に任命された。「その時点では、オープンデータとして開示したデータがどのように使われるかといった明確な目的や効果は見えていませんでした。データ整備などの予算も大してあったわけではありません。ただ、福野さんと相談しながら、避難所とかAED(自動体外式除細動器)とか、位置情報がついているデータを中心に、その時点で出せるもの、できることからやろうと段階的に公開していきました」(牧田氏)。

 手探りだったが、取り組みは政府の目にも留まった。2012年7月に高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部が発表した「電子行政オープンデータ戦略」に、鯖江市の取り組みが紹介されると、全国的に注目を浴びるようになった。すると、それまでオープンデータの推進を様子見していた県や近隣の市の姿勢も変わっていった。2014年2月には、鯖江市は日本の自治体で初めてW3Cにも加盟した。

牧野市長が「市民主役条例」を提案し改革を断行

 牧田氏がもうひとつのポイントとして挙げるのは、2010年4月に制定された「市民主役条例」である。同氏の説明をまとめるとこうだ。

 条例の第10条には、「市は積極的な情報公開や情報提供の運用を進めるとともに、市民との間で情報の共有や活用を図るように努める」という趣旨の一文がある。市ではそれまで決して情報公開に前向きだったとはいえなかったが、牧野市長の登場で方針が変わった。

 牧野市長は2004年、鯖江市と隣接する福井市の合併問題に端を発する前市長のリコールに伴う市長選挙で当選した。合併問題で市政を混乱させたとして選挙前に集まった署名は有権者の53%に達したという。その選挙で当選した牧野市長は、市民協働のまちづくりを第一に掲げ、2010年4月には「市民主役条例」を議会で通した。市が行っている公共事業の中から市民自らが担い手となったほうがよい事業を提案する「提案型市民主役事業」も制度化された。

 地元の女子高生が中心となって、自由にアイデアを出し合い、市民・団体、地元企業、大学、地域メディアなどと連携・協力しながら、自分たちのまちを楽しむ企画や活動を行う「鯖江市役所JK課」も、そうした取り組みの一環として、2014年にスタートさせた実験的な市民協働推進プロジェクトである。JK課はもともと「地域活性化プランコンテスト」という、首都圏の若者に鯖江市に来てもらい、市長になりかわって政策を立案してもらうイベントに参加した若者の声がきっかけで生まれたものだ。

 「『敬遠しがちなごみ拾いを、仮装して行うイベントに変えることで楽しみながらやろう』という企画・運営をJK課が主導したこともあります。女子高生ならではの視点でした」(牧田氏)。

鯖江市役所JK課のWebサイト
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 JK課は、市民主役条例推進委員会の傘下組織である「若者部会」の活動で行われている。JK課からの波及で「OC課(おばちゃん課)」という活動も立ち上がった。「市長は若い人をはじめ幅広く市民の意見に耳を傾けます。JK課というネーミングに眉をひそめる人がいることも確かですが、市長は『現状維持は後退だから、もっと挑戦しろ』と口癖のように職員に発破をかけています」(牧田氏)。

「高年大学」や小中学校でもICT教育を実施

 鯖江市の主力産業は、メガネ、繊維、漆器である。越前漆器や繊維は1400年以上も前から続く伝統産業。雪国の農閑期の仕事から発展した。

 メガネの生産量は日本随一。鯖江市のホームページでも「めがねのまちさばえ」と先頭で紹介している。最近では、AR(拡張現実)を組み合わせたスマートグラスやIoT技術を駆使したウエアラブル端末も村田製作所などのメーカーと共同で開発している。

 「漆器もメガネも分業で生産されます。多様な工程を担う専門の職人や工場が地元の産業を支えています。鯖江市は日本で一番社長が多いことでも知られます」と牧田氏。小さくても企業のトップ。市民の多くは、まちづくりに対する思いも強い。そんな市民の力を象徴するエピソードを牧田氏は紹介した。

 鯖江市は市民からの発案と盛り上がりを機に、1995年に体操競技の世界大会である「世界体操競技選手権大会」の誘致に成功した。人口20万人以下の都市では前例がなかったという。しかもアジアで開催するのも初めて。「前例がないことを不安視する声もありましたが、延べ3万人の市民ボランティアが会の運営を支えました」と牧田氏は説明する。その実績を得て3年後には、体操競技の「ワールドカップ決勝大会」まで開催された。

 市民のエネルギーの高さは、30年近く続く「高年大学」の活動からもうかがえる。高年大学は、60歳以上の市民が入学できる市民大学である。一方的な講義形式ではなく、カリキュラムを自主的に決め、講師役も持ち回りで務めたりする。オープンデータとタブレット端末を活用したシニア向けのプログラミング講座も実施された。「高齢とはいえ、すごく吸収が速い。高年大学に来る時点で意識が高いことを割り引いても、高齢者だからITはだめと決めつけてはいけないですね」(牧田氏)。

 回りを見渡すと、携帯電話やスマホ、家電、車などあらゆるモノにプログラムが組み込まれている時代だ。「これからはますますICT社会が進展するでしょう。その仕組みを支えているのは人。だからIT人材の育成が必要なのです」(牧田氏)。

 鯖江市では、小中学生を伸ばす取り組みにも着手している。「プログラミングクラブネットワーク」がそれだ。2020年から予定されるプログラミングの義務教育化を視野に入れながら、これからの社会を担う人材をIchigoJamなどを活用して育てようという狙いだ。2018年4月からは、市内全15の小中学校でクラブ活動が動き出す。老いも若きも開発したアプリを披露しあう場である「電脳メガネARアプリコンテスト」などのイベントも市民と進める。

小中学生を対象に実施している「プログラミングクラブネットワーク」の様子(写真:鯖江市)

 オープンデータについても、県内17市町村が開示するデータ項目や書式の仕様がばらばらでは、市民や企業は検索や二次利用がしづらい。そこで情報処理推進機構(IPA)が進める共通語彙基盤整備事業と連携。福井県も市町村の足並みをそろえようと音頭を取っている。「異なる自治体同士が一緒にやるので、予算の付き方もばらばら、共通語彙基盤整備事業に対する取り組みへの温度差もあります。調整は正直大変です。橋渡しする県も頑張っています。市と県で競合せずに一緒にやりたい」(牧田氏)。

ITのまちへ、鯖江市の挑戦は続く

 鯖江市は、今後どのような姿を目指していくのか。牧田氏は、「ITを産業とするITのまちにしようと取り組んでいます。jig.jpの福野さんやサイバーエージェントの藤田さんに続く人がたくさん輩出されるようになってほしいですね。産業としてITが根付いてほしいんです」と語る。

 2017年度(平成29年度)は、つつじバスに関連するシステムが提供する情報の精度を高める更新作業やメンテナンスなど、地味ながらもサービス品質に関わる取り組みを進めていく。「クラウドなど新しいサービスや技術が出てきたことで、温めていた構想も動き出しそうです。ただ、行政だけでできることは限られています。企業やCode for Japanなどのコミュニティと一緒にチャレンジしたい」(牧田氏)。

 ただ、こうした取り組みは、まだスタートラインについたばかり。「果たして市民が利益を受けているか、市民福祉の向上を実感してもらっているかというと、まだまだ」と牧田氏は明かす。

 例えば、オープンデータを利用したアプリの一つ「さばれぽアプリ」のダウンロード数は355(2017年3月時点)。人口に比べると少し物足りない。アプリを作ることがゴールではない。利用してもらい、よりよいまちづくりに市民が自主的に取り組むようになってはじめて市民主役といえるだろう。牧田氏も少しずつ市民に知られるようになってきたオープンデータを用いたアイデアソンやハッカソンを、一過性のイベントにとどめるつもりはない。

 「アイデアソンやハッカソンを通じて、私も含めて市民同士が互いに意見を交わし、その声を行政に届け、逆に行政の悩みを聞いてもらったり、知恵を借りたりする。その中でひとつでも解決につながったり行政の動きが理解されたりすればいい。そういう営みを繰り返すことが大事」(牧田氏)という。

鯖江市役所の外観(写真:山岸 政仁)

 さまざまな声や制約がある中で、市のかじ取りはそう単純な話ではない。その中で市長は若者から高齢者まで幅広い市民の声を取り入れているが、市長と一部の市民だけが走っても試みは空転する。市民の高い意識をどれだけ引き付けられるか。オープンデータ推進のトップランナーの挑戦は、まだ道半ばだ。

■修正履歴
1ージ目の最後の段落の冒頭で、「8ビットコンピュータが内蔵」となっていましたが、正しくは「32ビットコンピュータが内蔵」です。お詫びして訂正します。記事は修正済です。 [2017/6/9 09:47]

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