物資の配布場所を被災中心地の小学校体育館へ

 物資の整理や配布には「ちょこボラ」と称して短時間のボランティアを募った。これは障害者雇用モデルの一例に挙げられる「超短時間労働」(関連記事)に想を得たもの、と冨山氏はいう。

 「何か役に立ちたいけれど、長い時間は割けない、力仕事は難しい、などの声が寄せられた。そこで、可能なタイミングに可能な時間だけ手伝える『ちょこボラ』を呼びかけた。結果的に、混みあったり足りなかったりすることもなく、常時10人ぐらいが作業に携わってくれた」

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商店街の事務所での仕分け作業(写真提供:2枚とも大牟田ビンテージのまち)
商店街の事務所での仕分け作業(写真提供:2枚とも大牟田ビンテージのまち)
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 7月11日には商店街にテーブルを出して物資の手渡しを開始する。しかし、難点は被害の大きい地域から少し離れていることだ。自家用車が水没した家庭も多く、遠方から受け取りに来るのは難しい。そこで冨山氏は、日頃から親交がある、大牟田商工会議所地域振興課主査の柿原真氏に連絡した。柿原氏は、浸水で一時孤立した避難所・みなと小学校のPTA会長だ。同校では6日、下校できなかった児童22人が一夜を明かし、翌朝ボートで自衛隊に救助されている。被災の中心地ともいえる場所だ。

 みなと小学校区では8日に浸水が解消。柿原氏を通じて校長の承諾が得られ、12日からみなと小学校の体育館で物資の配布ができるようになった。

避難所に指定されているみなと小学校(写真:萩原詩子、9月11日撮影)
避難所に指定されているみなと小学校(写真:萩原詩子、9月11日撮影)
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みなと小学校体育館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
みなと小学校体育館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
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 小学校での配布の課題は情報発信のあり方だった。物資が必要な人には情報を届けたいが、情報が広まることで、学校に問い合わせが寄せられると迷惑がかかる。「被災当初の学校は、授業の再開準備やPTAとの連絡に追われていた。学校に直接物資が持ち込まれると負担がかかるので、集荷は商店街の拠点にまとめるよう徹底した。配布現場ではテレビ局から連日のように取材の打診を受けたが、残念ながら辞退し、Facebookページの紹介に留めてもらった」(冨山氏)。