令和2年7月豪雨において、福岡県で最も大きな被害に見舞われたのが、有明海に面した大牟田市だ。広い範囲で内水氾濫が発生し、多くの住宅が浸水した。これにいち早く反応したのが、民間出資の地元まちづくり会社「大牟田ビンテージのまち」だ。インターネットを通じて全国から支援物資を募り、被災者に配布した。かねて築いてきた行政や地域社会とのネットワークが、スムーズな支援につながった。

大牟田ビンテージのまちがFacebookに設置した公開グループ「【令和2年7月】大牟田市豪雨災害復興グループ」
大牟田ビンテージのまちがFacebookに設置した公開グループ「【令和2年7月】大牟田市豪雨災害復興グループ」
大牟田ビンテージのまちの事務所。浸水被害を免れた「銀座通り商店街」にある(写真:萩原詩子)
大牟田ビンテージのまちの事務所。浸水被害を免れた「銀座通り商店街」にある(写真:萩原詩子)
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 大牟田市に大雨特別警報(浸水害・土砂災害)が発表されたのは、2020年7月6日の夕方16時30分だ。同時間帯、中心市街地にある自社ビルの様子を確認に行った地元のまちづくり会社、大牟田ビンテージのまち代表の冨山博史氏は、「周辺では、既に道路の一部が冠水していた」と振り返る。しかし、この日はまだ被害の深刻さはつかめなかった。

 冨山氏が行動を起こそうと決めたのは翌7日朝にニュース映像を見たときだ。市域の広い範囲で浸水が起きていた。その日の夜に、Facebookに公開グループ「【令和2年7月】大牟田市豪雨災害復興グループ」を立ち上げ、物資の支援を呼びかける。Amazonの「ほしい物リスト」機能を利用し、復旧に必要な高圧洗浄機、掃除用具やゴミ袋、またマスクや消毒液などの衛生用品、飲料水などをリストアップ。支援したい人がAmazonのサイトに用意したリストから物資を購入すれば、大牟田ビンテージのまちの事務所に直接届く仕組みをつくった。グループ立ち上げの翌日には、早くも450人以上が参加。最終的に参加者は1843人に達している。

 支援物資は、冨山氏の予想を超える量とスピードで届き始めた。次の課題はそれをどうやって必要な人に手渡すかだ。大牟田ビンテージのまちの事務所は浸水被害を免れた「銀座通り商店街」にある。「コロナ対策で3密を避けるためにも、屋外のアーケードで配るのがいいと考えた」と冨山氏。商店街振興組合と市役所の知人に相談を持ちかけ、まず道路使用許可の申請書類をつくった。

 「7月9日に申請書を持参したところ、思いのほかスピーディーに、翌10日には許可が得られた。緊急時ゆえの配慮もあったと思う」(冨山氏)。大牟田ビンテージのまちは、2015年から市と商工会議所との連携で、商店街の空き家活用「街なかストリートデザイン事業」に取り組み、実績を上げている。積み重ねた信頼も速やかな許可を後押ししたようだ。

大牟田市(おおむたし)
大牟田市(おおむたし)
福岡県の最南端に位置し、西は有明海と接する。人口11万2231人(2020年10月1日時点)、面積81.45km2。かつては三井三池炭鉱の街として隣接する熊本県荒尾市と共に発展してきた。世界文化遺産の三池炭鉱宮原坑、三池港などの近代化産業遺産がある。認知症対策の先進自治体としても知られる

物資の配布場所を被災中心地の小学校体育館へ

 物資の整理や配布には「ちょこボラ」と称して短時間のボランティアを募った。これは障害者雇用モデルの一例に挙げられる「超短時間労働」(関連記事)に想を得たもの、と冨山氏はいう。

 「何か役に立ちたいけれど、長い時間は割けない、力仕事は難しい、などの声が寄せられた。そこで、可能なタイミングに可能な時間だけ手伝える『ちょこボラ』を呼びかけた。結果的に、混みあったり足りなかったりすることもなく、常時10人ぐらいが作業に携わってくれた」

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商店街の事務所での仕分け作業(写真提供:2枚とも大牟田ビンテージのまち)
商店街の事務所での仕分け作業(写真提供:2枚とも大牟田ビンテージのまち)
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 7月11日には商店街にテーブルを出して物資の手渡しを開始する。しかし、難点は被害の大きい地域から少し離れていることだ。自家用車が水没した家庭も多く、遠方から受け取りに来るのは難しい。そこで冨山氏は、日頃から親交がある、大牟田商工会議所地域振興課主査の柿原真氏に連絡した。柿原氏は、浸水で一時孤立した避難所・みなと小学校のPTA会長だ。同校では6日、下校できなかった児童22人が一夜を明かし、翌朝ボートで自衛隊に救助されている。被災の中心地ともいえる場所だ。

 みなと小学校区では8日に浸水が解消。柿原氏を通じて校長の承諾が得られ、12日からみなと小学校の体育館で物資の配布ができるようになった。

避難所に指定されているみなと小学校(写真:萩原詩子、9月11日撮影)
避難所に指定されているみなと小学校(写真:萩原詩子、9月11日撮影)
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みなと小学校体育館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
みなと小学校体育館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
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 小学校での配布の課題は情報発信のあり方だった。物資が必要な人には情報を届けたいが、情報が広まることで、学校に問い合わせが寄せられると迷惑がかかる。「被災当初の学校は、授業の再開準備やPTAとの連絡に追われていた。学校に直接物資が持ち込まれると負担がかかるので、集荷は商店街の拠点にまとめるよう徹底した。配布現場ではテレビ局から連日のように取材の打診を受けたが、残念ながら辞退し、Facebookページの紹介に留めてもらった」(冨山氏)。

市役所に届く支援物資も引き受け。配布場所は公民館に移動

中央が大牟田ビンテージのまち代表の冨山博史氏。左は大牟田商工会議所地域振興課主査の柿原真氏、右が大牟田市市民協働部地域コミュニティ推進課の三小田英二氏(写真:萩原詩子)
中央が大牟田ビンテージのまち代表の冨山博史氏。左は大牟田商工会議所地域振興課主査の柿原真氏、右が大牟田市市民協働部地域コミュニティ推進課の三小田英二氏(写真:萩原詩子)
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 被災の中心地で配布を始めたことで、物資は急速に減っていく。次に冨山氏たちがしたことは、市役所に届く支援物資を引き受けて配布することだった。

 大牟田市市民協働部地域コミュニティ推進課の三小田英二氏は、次のように振り返る。「自分の知る範囲では、市役所にもこれほど大きな被災に対応した経験はない。企業から届いた支援物資をひとまず福祉課が受け入れたものの、どの部署が配布を担当するかは決まっていなかった」。冨山氏たちが福祉課に相談に行ったところ、市で不要な物資については大牟田ビンテージのまちで受け渡しを担わせてもらえることになった。

 みなと小学校では13日から登校が始まったため、体育館での配布は1週間に限定することにした。その後は三小田氏を通じて校区内の三川地区公民館を使わせてもらうことになった。とはいえここも床上浸水しており、まず「ちょこボラ」参加者と一緒に掃除をすることから始めた。

上写真は三川地区公民館(写真:萩原詩子、9月11日撮影)、右は同公民館での支援物資配布を知らせるチラシ。7月24日は天候不良だったため、実際には25日から配布を開始した(資料提供:大牟田ビンテージのまち)
上写真は三川地区公民館(写真:萩原詩子、9月11日撮影)、右は同公民館での支援物資配布を知らせるチラシ。7月24日は天候不良だったため、実際には25日から配布を開始した(資料提供:大牟田ビンテージのまち)
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三川地区公民館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
三川地区公民館での支援物資配布の様子(写真提供:大牟田ビンテージのまち)
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 誰もが自由に出入りできる公民館に移ることで、支援物資を直接受け入れられるようになり、情報も広めやすくなった。「それまではSNSと口コミが頼りで、情報の届く範囲が限られていた。そこで、公民館での配布開始に先立ち、チラシをつくって、できるだけ多くの被災家庭に届けることにした」と冨山氏。わずか3日で2700部のチラシをデザイン、印刷とポスティングを地元業者に依頼。7月25日から公民館での配布をスタートした。チラシの効果は絶大で、物資は順調になくなっていく。結局、発災1カ月目が近付く8月2日の日曜日をもって配布を終了した。

支援の後半には地元企業からも物資を調達

 支援活動を始めたとき、冨山氏が目指したのは「必要な人に必要なものを必要なだけ届ける」ことだった。FacebookとAmazonを利用したのはそのためだ。「Facebookページのアンケート機能を使って被災者から要望を募り、Amazonのほしい物リストに反映しようと考えた」と冨山氏。ただし、実際にはオンラインのアンケートに反応は多くなかった。このため、現地で直接状況を聞きながら、そのときどきで緊急に必要なものや優先順位をFacebookに投稿していった。

 Amazonを通じた調達にもメリットとデメリットがあった。「何よりよかったのは、予め品目別に梱包されて届くこと。熊本地震の被災地では、物資の仕分けだけで相当な労力がかかったと聞く。仕分けの手間が省けたことは、迅速な配布につながった」と冨山氏。一方で、ほしい物リスト機能はプレゼントを前提とした仕組みであるため、受け取る側にとって、いつ何がどのぐらい届くか把握できないのが課題だった。支援者にFacebookページへの記入を呼びかけたが、これも徹底できなかった。

 支援者からお金を集めるのではなく、直接物資を買って送ってもらうことは、支援の透明性につながる。しかし、折々に資金が必要になったことも事実だ。これについては、大牟田市出身で福岡市でデザイン会社RANDOMを営む岡村しんし氏が、販売している「大牟田デザインTシャツ」の7月分の売り上げを全額寄附すると申し出てくれた。このTシャツは2016年に発売したもので、当初から売り上げの10%を大牟田の活性化に充てると明言し、関連のイベントやクラウドファンディングに寄附している。

「大牟田デザインTシャツ」(資料提供:大牟田ビンテージのまち)
「大牟田デザインTシャツ」(資料提供:大牟田ビンテージのまち)
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 Tシャツの売り上げによる緊急資金は約200万円に達し、ここから前述のチラシ製作費やポスティング委託費が出ている。さらに、支援物資そのものを地元企業から調達することもできた。一方で「初期段階から、支援が地元経済にも循環する方法を模索して関連企業に問い合わせたが、スーパーマーケットなどに卸している会社が多く、必要量の見通しが立たない段階で、小ロットずつ売ってもらうことが難しかった」(冨山氏)という課題も見えてきた。「始めからある程度まとまった資金があれば、事情は違ったかもしれない」と冨山氏は振り返る。

 すべてが初めての経験だったが「民間ならではのスピードを意識した」と冨山氏。2014年に大牟田ビンテージのまちを設立して以来、6年間の経験が生きた。「物資の調達も配布も、市役所や商工会議所、地域のNPO法人との連携によってスムーズに行うことができた。加えて、視察の往来などを通じて得た全国の人脈のおかげで、オンラインによる支援の輪が広がった」(冨山氏)。

 なお、今回の取り組みは、大牟田ビンテージのまちとして冨山氏らが無償で行ったものだ。「緊急時に何もせずにいることはできなかった。多くの人が同じ思いを抱いただろうが、日頃からまちづくりに関わっていたおかげで、ひとあし早く踏み出せたと思う」と冨山氏は語る。

●大牟田ビンテージのまちによる災害復興支援の動き
2020年7月6日大牟田市に豪雨による内水氾濫などが発災
7月7日大牟田市災害復興支援グループ立ち上げ、支援物資募集開始
7月9日商店街道路使用許可申請
7月10日商店街道路使用許可下りる
7月10日「ちょこボラ」開始、商店街の物資の保管拠点整理
7月11日商店街で支援物資配布開始
7月12日~19日浸水地域のみなと小学校体育館で支援物資配布
7月19日~23日公民館での配布予告チラシ制作、配布
7月25日~8月2日公民館での支援物資配布(24日は天候不良のため休止)

 今回の大牟田ビンテージのまちの取り組みは、災害時の自助・共助・公助のうち、結果として「共助」に相当する取り組みがうまく機能した例といえそうだ。大牟田市に限らず、豪雨被害が増えてきている各地では今後、災害時の自助・共助・公助の在り方について体系的な整理が求められるだろう。その時に自治体は、コストや責任の所在など、どこまで民間に任せるべきなのか、さらに踏み込んだ役割分担の検討が必要ではないだろうか。

この記事のURL https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/434167/101900166/