大田区と東急は、東急池上線池上駅周辺エリアのまちづくりで連携している。2019年3月に連携協定を締結し(関連記事)、「リノベーションまちづくり」の手法による空き家と事業者のマッチングなどを共同で推進してきた。また、公園の改修整備に向けた市民ワークショップや、地域の商店主向けの事業承継サポートなど、建物のリノベーション以外の連携事業も広がりを見せるなど、取り組みは多岐にわたる。

大田区(おおたく)
東京23区部の南側に位置し、東は東京湾、西・南は多摩川に面している。多摩川を挟んで神奈川県川崎市と隣接する。面積は60.83km2と23区で最も広い。人口73万5328人(2020年11月1日現在)。東京湾側には羽田空港が立地するほか、技術力の高い町工場が集積していることでも知られる。台地部は、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地となっている

 大田区と東急のなれそめは、2017年3月の「リノベーションスクール@東急池上線」がきっかけだ。参加者が沿線に実在する空き家のリノベーションプランを考え、オーナーに提案する2泊3日の合宿イベントで、東急が主催し、大田区が後援した。リノベーションスクールは東急の若手有志の発案。スクール開催の方針が決まってから候補地を検討し、池上駅周辺エリアを選んだ。

 このイベントがきっかけで、東急と大田区は勉強会を開き、まちづくりの必要性や、駅を中心とした総合的なまちづくりについて、両者で検討を重ねるようになった。2019年3月に「地域力を活かした公民連携によるまちづくりの推進に関する基本協定」を締結。池上駅周辺をモデル地区としてリノベーションに取り組むこととした。

 東急がモデル地区に選んだ池上エリアは、日蓮宗の大本山、池上本門寺の門前町として知られる。住宅と工場が共存するエリアだ。同エリアを選んだのは、商店街には活気が残る一方、空き家率が高かったこと、同社による池上駅の駅舎建て替えと駅ビル開発が決まっていたことなどが理由だ。

多くの参拝客で賑わう池上本門寺(写真:日経BP)
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人通りが多い駅前の商店街(写真:日経BP)
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2020年7月に供用を開始した池上駅。以前は平屋1階建ての駅舎だったが、5階建ての駅ビルに。商業施設、保育施設などが入居するエトモ池上は2021年春に開業する。ビルには区立図書館も入居予定だ(写真:日経BP)
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まちづくりを考える勉強会を発展させて協定締結

 東急ビル運営事業部運営第二グループ池上エリアリノベーションプロジェクト担当リーダーの磯辺陽介氏は池上エリアについて「空き家率が高いとはいえ、商業系は借り手が見つけられるエリアだ」と評価する。ただし、借り手が見つけやすいエリアならではの、まちづくりの難しさもあるという。

 「借り手を見つけやすいだけに、不動産オーナーが金銭条件のみで折り合った事業者に空き家を貸す事態が続けば、結果として資金力のあるチェーン店の出店が増える。本来、地域には小商いの店やチェーン店、大型商業施設など多様な選択肢が存在して、必要なものが地域住民に選ばれて残っていくのが健全な形のはず。それがチェーン店ばかりになってしまうと街の個性が薄れ、いつか(街に住む人や訪れる人が)引いてしまう時が来る。そのときはチェーン店も撤退し、後には何も残らない。今、手を打たなければ将来、街が行きづまる」(磯辺氏)

 この危機意識を地域住民と共有し、まちづくりへの参画を促すことが、「池上エリアリノベーションプロジェクト」を推進する狙いの一つだという。

池上エリアリノベーションプロジェクトのコンセプト(東急の説明資料より)
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 東急沿線開発事業部開発第一グループ大田区担当城南センターの矢島義宏課長補佐は「リノベーションスクールのような取り組みは一度で根付くようなものではない。我々には沿線開発をする役割があるし、こうしてここに拠点も持っているので、じっくり腰を据えて地域の方々の意識改革に取り組んでいきたい」と語る。

地域交流拠点のカフェはアーティストと建築家が自主運営

 大田区と東急は、手始めに2019年5月、池上駅から本門寺への参道沿いにまちづくりの拠点を開設した。イベントにも使えるカフェ「SANDO BY WEMON PROJECTS」で、運営者はアーティスト・ユニットの「L PACK.」(小田桐奨氏、中嶋哲矢氏)と建築家の敷浪一哉氏。区や東急からの運営委託ではなく、テナントとしてカフェを営む。「WEMON(ゑもん)PROJECTS」とは、カフェの運営に加えて、フリーマガジンの発行やウェブの運営も行いながら、池上という街の個性を伝えていく取り組みの総称だ。

「SANDO BY WEMON PROJECTS」の店内(写真:東急)
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「SANDO BY WEMON PROJECTS」の外観。駅前の五差路の一角、池上本門寺へと連なる商店街の入り口に位置する(写真:日経BP)
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 「コーヒーのある風景をきっかけに、まちの要素の一部になる」というL PACK.の活動テーマが、区や東急がこの拠点で実現したいコンセプトと一致していたことから、東急から提案して誘致した。店舗を東急が借り上げて運営者に転貸しており、賃料の一部を区と東急が補助している。

「WEMONPROJECTS」では、カフェの運営だけでなくフリーマガジン「HOTSANDO」を毎月発行。池上の街の魅力や、まちづくりの参考になる情報を伝えている(写真:日経BP)
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 カフェでは、様々な情報発信の仕掛けを用意している。店内には、「WEMONPROJECTS」が発行するフリーマガジン「HOTSANDO」のほか、フリーペーパーが多数置かれていて、地域の情報に接することができる。大田区の広報誌「おおた区報」も置かれている。イベントスペースとしても活用されており、若手事業者有志によるまちづくりの勉強会などもここで開催された。また、店の一角には小さな展示ブースを設けており、ポップアップストアや個展などを開くことも可能だ。

 大田区の企画経営部企画課政策・企画担当係長で公民連携デスクの市川一氏は、SANDO開設で感じた手ごたえをこう語る。

 「区がカフェを経営するわけにはいかないので、民間とタッグが組めてよかった。カフェに限らず、区は地域との協調を大切にするあまり、“とがった”事業を手掛けにくい。民間事業者が思い切った取り組みをして、区が後から地元との関係調整に回る形なら実現できる。民間によるコンテンツが上質なので、後からでも理解は得られやすい」

カフェ利用客への水の提供はあえてセルフとし、小ぶりのグラスを用意した。カウンターへ水を取りに来る客と店員の間に会話が生まれる機会を増やすためだという(写真:赤坂 麻実)
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マッチングでスタジオ、学習塾、シェア本屋が誕生

 大田区と東急の公民連携の中核を成すリノベーション事業では、今年8月以降、立て続けに3件の実績が生まれている。空き室などを活用して、多目的スタジオ、学習塾、シェア本屋がそれぞれオープンした。

2階にたくらみ荘が入居するビルの外観(写真:赤坂 麻実)
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 多目的スタジオの「つながるwacca」は、地元の不動産会社が借り上げていたビルの1階部分に開設された。不動産会社が直営のゲストハウスをコインランドリーに変更した際、余剰スペースが生まれたため、東急からリノベーションを提案した。コンペ形式で、事業候補者4者が事業内容や事業への思い、さらには賃料などの条件をプレゼンして選定に至った。選ばれたのは、介護福祉士の社交ダンサーと管理栄養士のヨガインストラクターの夫婦。つながるwaccaで、ヨガやペアダンスの講座、料理教室などの食育講座を開催している。

 学習塾を軸にしたシェアスペースの「たくらみ荘」は、乾物店「綱島商店」の2階に開業。運営するのはエイスクール(東京都文京区)だ。同社は小学生向けの「探究学習塾」を運営している。いわゆる進学塾とは性格が異なり、子どもたちがさまざまな仕事に挑戦しながら科目を横断して学ぶというものだ。エイスクールは以前からSANDOでポップアップ授業を行い、近隣の商店主を講師に招いた授業などで手ごたえを感じていたことから、このエリアへの本格進出を検討していた。シェアスペースの「たくらみ荘」では探究学習探究学習プログラムを実施に加えて、スペースの貸し出しも行う。

 シェア本屋の「ブックスタジオ」は、小さな本屋の集合体。設計事務所と動画配信スタジオが共同で運営する「ノミガワスタジオ」の一角に開業した。本棚の中の1区画ずつを個人や団体に貸し出し、各店主が自ら選んだ本を陳列して販売する。賃料は月額4000円。運営(実際の店番など)は当番制で、来店者や書店との間で、本を媒介にした交流が生まれる。池上エリアには約5年ほど書店がない状況が続いていたこともあり、エリア内の交流を促進する仕組みとして、東急がシェア本屋の導入を構想。吉祥寺で無人古本屋「ブックマンション」などを営む中西功氏に協力を依頼して実現した。

ブックスタジオは16区画から成る。一緒に写るのは、デザイナーの安部啓祐氏。安部氏はこのスタジオで動画配信スタジオ「堤方4306」を運営している(写真:赤坂 麻実、撮影は9月11日)
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ノミガワスタジオの入口。スタジオ名は、目の前に流れる呑川(のみがわ)から命名した。ノミガワスタジオは、設計事務所・スタジオテラの石井秀幸代表と安部氏が共同で運営している(写真:赤坂 麻実)
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社内・庁内で部署横断的に公民連携

池上エリアリノベーションプロジェクトのウェブサイト

 エリアリノベーションプロジェクトに触発されるように、地域にはさまざまな活動や事業が生まれた。例えば、SANDOの開設によって商店会の若手事業者の交流が活発化。有志で商店会のマップを制作した。さらに、その活動を踏まえて、マップ制作メンバーの中から数人が商店会の一部門に役員として就任した。

 こうした熱意ある若手事業主に向けて、区と東急は、地域の持続的な発展に役立つ情報をインプットできる勉強会を開催した。有識者の講演を聴いた後に参加者同士で意見交換をして理解を深める内容だ。

 リノベーションだけにとどまらず、池上本門寺に隣接する区立本門寺公園の将来活用を検討するワークショップも区と東急で開催した。数年内の改修が予定される本門寺公園について、魅力や改修整備で期待することなど、地域住民で話し合う場を設けた。大田区の主管は都市基盤整備部。企画経営部が窓口となって東急との共同開催を実現した。

 さらには、池上エリアの商店主向けに、事業承継の検討を支援する活動も始めた。「大田区はものづくりの街として知られ、町工場が多い。工業に関して、技術を顕彰するなど事業承継が進みやすくなるような仕組みを充実させてきた一方、商業に関しては十分なサポートを提供できてはいなかった」と市川係長。M&Aによる狭義の事業承継だけでなく、余力を残して事業を終了する廃業や継業といった選択肢について、区と東急で勉強会を開いた。

 東急の磯辺氏は「事業を正しく終わらせれば、そこに新しい事業者が入ってきて、街の新陳代謝が促進される。商店主も元気なうちに引退できるので、これまでと違った役割で地域に貢献することもできる」と狙いを説明する。こちらは、区の産業経済部産業振興課が主管だ。

 大田区企画経営部企画課政策・企画担当主任で公民連携デスクの大黒洋平氏は「東急とのエリアリノベーションプロジェクトのおかげで、庁内には『区の課題に対して、民間と連携できそうなことがあれば相談してみよう』というムードが広がってきている。(池上エリアに限らず)公民連携が選択肢として定着したのはよかった」と話す。今後は、観光業での連携も視野に入っており、既に区の観光国際都市部と東急で協議が始まっているという。

 大田区と東急グループの連携実績はほかにもある。2020年2月には、区の「保育サービスアドバイザー」が子育ての相談に応じるイベントを、東急池上線久が原駅前の東急ストア久が原店で開催した。市川係長は「相談者は区役所に開館時間中に来られる方ばかりではないので、相談者の生活動線上での出張相談会を企画した。東急とは、狭義のまちづくりの範囲にとどまらず連携できている」と話す。

互いの得意なことで相手の不得意を補い合う

写真は左から東急の大森氏、大田区の市川氏、東急の磯辺氏、矢島氏、大田区の大黒氏(写真:赤坂 麻実)

 幅広い領域での公民連携の取り組みに、大田区と東急はそれぞれに手ごたえを感じている。

 東急の磯辺氏は「実務の執行は民間のスピード感を生かして我々がやる。プロジェクトが動くときに“街の顔役”に話を通すなど、地域住民への浸透を図るのは区の役割。そういった部分について、(日頃から地域によりきめ細かく接している)区にフォローしてもらえるのはありがたい」と話す。東急沿線開発事業部事業推進グループ事業推進担当の大森文彦主事は、「協定ありきではなく、協定を結んで何をしたいのか、行政と我々事業者で意識合わせをすることが大切だ」と振り返る。

 大田区の大黒主任は、「行政だけでできることは技術的にもスピードにも限界がある。東急とは、個別の契約ごとの連携ではなく、対話を続けながら連携できているので心強い。民間企業ならではの企画の面白さを街の人々に感じてもらい、乗り気になって街のことを考えてもらえたらありがたい」と期待を寄せる。

 市川係長も「今、地域資源を活用したまちづくりに取り組んでいれば、後あと効いてくるのではないかと期待している。地元が自発的に動き出して、この取り組みに続いてくれれば、池上エリアをモデルとして、区内の他のエリアにも展開していけそうだ」と話す。具体的には、2020年9月に勝海舟記念館が開業した洗足池エリアなどを視野に入れている。

 東急はこれまで様々な形で沿線のまちづくりに取り組んできた。田園都市線沿線では、横浜市青葉区では市と共同で資金を出し合って『次世代郊外まちづくりプロジェクト』に取り組んでいる。二子玉川では世田谷区と連携しながら都市再生推進法人を設立してエリアマネジメントに取り組んできた。「街の性質に合わせた公民連携の形を今後も探っていきたい」と東急の大森氏が語るように、池上エリアは、これまでの同社の沿線まちづくりとはまた違ったパターンでの取り組みといえるだろう。

訂正履歴
記事中の1ページ目の「リノベーションに取り組む」を「エリアリノベーションに取り組む」に、「拠点(城南センター)」を「拠点」に、4ページ目の「リノベーションプロジェクト」「エリアリノベーションプロジェクト」に、東急の大黒氏を大森氏に修正しました。お詫び申し上げます。また、大田区の市川市と大黒氏の肩書に公民連携デスクを追加しました。 [2020/12/04 14:10]

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