2020年7月、青森県弘前市の中心市街地に、「弘前れんが倉庫美術館」がグランドオープンを迎えた。元の建物は、その名が示すとおり、築約100年の歴史を持つレンガ倉庫だ。「記憶の継承」をコンセプトにした大規模なリノベーションにより、アートの発信拠点として生まれ変わった。

 JR弘前駅と弘前公園の中間地点に位置する吉野町緑地。青々と広がる芝生に囲まれて、赤茶けたレンガ造りの建物が静かに佇んでいる。歴史を感じさせるレトロな外観とは裏腹に、館内に並ぶのは先鋭的な現代美術作品の数々。ここ弘前れんが倉庫美術館は、弘前市の近代産業遺産である「吉野町煉瓦倉庫」をリノベーションし、新たに誕生した文化芸術施設だ。

弘前れんが倉庫美術館のミュージアム棟(右)とカフェ・ショップ棟(左)。周辺の緑地を併せた敷地面積は1万1539m2に達する(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

 レンガ壁に囲まれたエントランスでは、真っ白な犬のオブジェ「A to Z Memorial Dog」が、来館者を出迎える。受付を抜けると、姿を現すのは大小5つの展示室。なかでも目を引くのは、最奥にある吹き抜けの展示室だ。2階の床を一部取り払うことで、高さ15mの大空間を実現した。展覧会だけではなく、コンサートやパフォーマンスなども、ここで開催することができる。

弘前出身のアーティスト奈良美智氏が制作し、2007年に弘前市に寄贈した作品「A to Z Memorial Dog」。楕円形の台座は、レンガ倉庫の屋根裏に使われていた古材を再利用した(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]
エントランスを入って右手にある受付カウンター。左の壁面は市民ギャラリーとして利用可能(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

3つのスタジオやライブラリーも整備

 取材に訪れた10月時点では、これら展示室で美術家の小沢剛氏による個展「オールリターン」が開催されていた。近現代の偉人をモチーフに、その知られざる一面を、絵画や映像などでフィクションを交えて表現した「帰って来たシリーズ」と呼ばれる作品群だ。岡倉天心や野口英世、ジョン・レノンなどをモチーフとした4つの既存作に加え、弘前生まれの歌人・劇作家、寺山修司を題材にした新作も展示された。同館では、展覧会を通じて新たな作品を創り出し、コレクションとして収集する「創って魅せる」運営をめざしている。この新作もコレクションの1つとなる予定だ。

吹抜けの大空間では、寺山修司を題材にした作品「帰って来たS.T.」を展示。2階から展示スペースを眺めると、青森県の形に見える(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

 小沢氏の展覧会は、約5カ月間の期間限定プログラム。同館では、エントランスの犬のオブジェなどごく一部の作品を除き、ほとんどの展示物が、プログラムごとに数カ月で入れ替わる。同館広報チームの大澤美菜氏は、「常に新しい作品を提供することで、何度でも訪れていただける空間にしたい」とその意図を語る。

 館内には展示室のほか、多目的スタジオなど3つのスタジオ、美術関係の蔵書などをそろえたライブラリー、壁面を貸し出す市民ギャラリーなども設けた。美術館の隣には、同じく倉庫のレンガ壁を活かしたカフェ・ショップ棟を整備。店内にはシードル(リンゴを原料とした発泡酒)工房が設けられており、ここで製造したシードルが味わえる。

 美術館にはあえて来館者用の駐車場を設けず、緑地のままにした。美術館と緑地を結ぶレンガの道「ミュージアム・ロード」には、同館のプレ会員や寄付をした人々の名前が刻まれている。緑地の上では、休憩したり散歩を楽しんだりする人々の姿──。ここはアートの拠点としてだけでなく、市民の交流・憩いの場にもなっている。

映画上映やダンスレッスン、トークイベントなどに使える多目的スタジオ。このほか、3Dプリンターなどを備えたものづくりスタジオ、楽器演奏ができる音楽スタジオがあり、有料で貸し出している(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]
美術に関する書籍などをそろえた入場無料のライブラリー。内部のレンガ壁は市民ギャラリーとして貸し出している(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
旧建物のレンガ壁を活かしたカフェ・ショップ棟。店内で醸造した限定シードルが楽しめる(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

「記憶の継承」をコンセプトに刻まれた歴史を残す

 施設の設計は、エストニア国立博物館などを手がけたパリ在住の建築家、田根剛氏が担当した。元の建物は、明治・大正期に建設された酒造工場で、戦後の一時期は日本初の本格的シードル工場として活用されていた。築約100年の建物は市民にとって馴染み深く、歴史的価値も高い。そこで、田根氏が掲げた改修のコンセプトは「記憶の継承」。旧建物の素材をなるべく生かし、かつての姿を極力とどめておけるように、様々な工夫が施された。

 耐震性に問題があったレンガ壁は、長さ9mの鋼棒で上下に“串差し”にして強度を高めた。これにより外観の状態を損なわずに保存することが可能になった。エントランスなどの内壁は、表面の分厚い漆喰をはがし、あえて建設当初のレンガを剥き出しにした。

歴史を感じさせる美術館のレンガ壁。PC鋼棒を串刺しにして耐震性能を高めた(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

 また、展示室の壁を覆っていたコールタールは、空間の味わいとして、そのまま残した。これによって、一般的な展示室に用いられる「ホワイト・キューブ」とは趣の異なる、重厚感のある黒い空間に仕上がった。旧建物に残されていた階段や貯水タンクなども館内に残し、往時を偲べるオブジェにしている。

コールタールをそのまま再利用した展示室の黒い壁面(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
1階ホワイエにある鉄製の階段(左)と天井裏に設置された貯水タンク(右)。どちらも使用はできないが、昔のままの姿で残されている(写真:村上 昭浩)

 一方で、新しい工法も積極的に採り入れ、新旧の融合を図った。なかでも目を引くのは、アーチ形状をした入り口部分だ。新たに焼いたレンガを蛇腹状に積み上げるとともに、手前から奥へとすぼまっていくような形にして、意匠性を高めた。同時に、レンガの焼き方を工夫してムラを出したり、表面の一部に墨汁を塗って黒くしたりして、既存レンガとの違和感が出ないように工夫した。

[画像のクリックで拡大表示]
新しいレンガを互い違いに積んだ美術館の入口。田根氏が考案した独特の工法で、「弘前積み」と名付けられた(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

 老朽化が著しかった屋根部分は、金色のチタン板に葺き替えた。レンガ壁に映える淡い金色を、田根氏はシードルの色に見立て「シードル・ゴールド」と名付けた。その色合いは、太陽光の当たり方によって、ときには銀色に、ときには青っぽく変化する。

チタン板の屋根は、シードルの色に見立てた淡い金色が特徴だ(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

弘前市初のPFI事業、事業者はスターツグループ

 吉野町煉瓦倉庫を、美術館として活用しようという構想は、1993年ごろから弘前市で検討されていた。しかし、倉庫の買取交渉がまとまらず、市はいったん事業化を断念した。2002年以降には、弘前出身の芸術家である奈良美智氏が、この倉庫を活用し、3度にわたって美術展を開催。地元の人々も運営に参加し、大きな盛り上がりを見せると、倉庫を美術館へ転用しようという機運が再び高まった。なお、現在の美術館のエントランスに飾られている白い犬のオブジェは、このとき協力してくれた人々への感謝を込めて、奈良氏が市に寄贈した作品である。

 2015年には、所有者との合意がまとまり、市が倉庫を購入。2016年に倉庫を周辺の緑地とともに、文化芸術の創造・交流の拠点として、官民一体で整備していく方針が決まった。そして事業者を公募した結果、2017年にスターツを代表とする企業グループが優先交渉権者に選ばれた。

 その理由について弘前市では、「市内事業者の積極的な活用、『“集めて観せる”ではなく、“創って魅せる”』という従来の美術館とは異なる展示コンセプト、この土地の歴史的背景を踏まえた提案などを高く評価した」(同市美術館周辺活性化室の竹内良定主幹)という。

事業の実施体制(資料:弘前市)
[画像のクリックで拡大表示]

 改修・整備に当たっては、民間事業者のノウハウを幅広く活用するため、RO(改修・運営)方式によるPFI手法を採用した。市では事業立案の段階で、分離発注型の従来の公共事業と比較して、財政支出を7.8%削減できると試算した。弘前市にとってPFI事業を手がけることも、美術館を開設することも、どちらも初めてだった。

 具体的なスキームは、およそ以下の通りだ。事業者はレンガ倉庫の改修や緑地の整備を行い、完成後は15年にわたって維持管理・運営を手がける。市側は、サービス購入料として、施設整備費(上限25億2900万円)と運営・維持管理費(16億8100万円)を、事業者に支払う。また美術館の入館料も、条件に応じて一部または全部が、事業者の収入になる。

 一方、隣接するカフェ・ショップ棟は、独立採算性の付帯事業とした。隣接する市有地に期間20年の定期借地権を設定。事業者が自己資金で建物を建設・運営し、その売り上げによって利益を得る。

事業方式の区分(資料:弘前市)
[画像のクリックで拡大表示]

 事業者が決定した後も、3年以上にわたって官民一体での開業準備が続いた。そんななかで発生したのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。これにより当初予定していた2020年4月のオープンは延期となった。地元の人々のみを対象にした予約制のプレオープンを経て、ようやく7月にグランドオープンを迎えることになる。

 とはいえ、弘前さくらまつりや弘前ねぷたまつりといった地元の一大イベントも相次いで中止になり、同市を訪れる観光客は減少した。美術館では年間8万人の来客を目標に掲げたが、6月のプレオープンから12月半ばまでの入場者数は約2万5000人にとどまっており、目標達成は難しい状況だ。

 運営面でもコロナの影響がみられる。海外アーティストの来日が困難になり、計画していたトークイベントが一部できなくなってしまった。通常は制作者本人の立ち会いのもとで進める展示作業も、一部の海外アーティストに関しては、ビデオ会議システムを活用することで対応した。コロナの収束がなかなか見通せないなか、当面は試行錯誤の運営が続きそうだ。

「まずは感染症対策を徹底し、安全な運営を継続していくことが第一。そのうえで、展覧会の内容をより充実させるなどして、入場者の回復に努めていきたい」(前出の大澤氏)。


弘前市(ひろさきし)
青森県西部に位置する津軽地方の主要都市。江戸期には弘前藩の城下町として栄えた。人口16万8866人(2020年10月1日現在)。りんごの生産量は日本一で、全国の約2割を占める。市内の弘前公園は桜の名所として知られ、4月~5月の弘前さくらまつりには毎年多くの人が訪れるが、2020年は中止された

この記事のURL https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/434167/121100169/