ポートランド州立大学ハットフィールド行政大学院行政学部長の西芝雅美氏(右)。左はモデレーターを務めた立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授の亀井善太郎氏(写真:神近博三)

「ポートランドが全米で最も住みよいまちになったのは、人がまちを『育て』てきたから。本日はこれを4つの観点からお話しします」(ポートランド州立大学ハットフィールド行政大学院行政学部長の西芝雅美氏)――。立教大学21世紀社会デザイン研究科・社会デザイン研究所は2019年3月24日、先進的なまちづくりで注目を集める米国オレゴン州ポートランド市をテーマとする公開講演会「人とひとが『まち』を育てる~ポートランドのまちづくりから学ぶ担い手のあり方」を開催した。講師はポートランド州立大学で、市民、NPO(非営利組織)、ビジネス、大学のまちづくりへの関わり方について学術と実践の立場から関わってきた西芝雅美氏、モデレーターは21世紀社会デザイン研究科特任教授の亀井善太郎氏が担当した。

 西芝氏はまず、ポートランド市が「全米で最も住みよいまち」「環境に最もやさしいまち」「全米で最も出産に適したまち」といったランキングでトップに選ばれてきたことを紹介。こうした高い評価を得られるようになった理由を「人がまちを『育て』てきた」こととしたうえで、具体的な育て方を「住民運動」「ボランティア活動」「(住民自治の組織である)ネイバーフッド・アソシエーション」「話し合いの場を作る行政」という4つの観点から説明した。

ポートランド市が全米で最も住みよいまちになった4つの理由(西芝氏講演資料より)
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成功体験を積み重ねてきた住民運動

 ポートランド市の住民運動は、住民による「こうすることによって、自分たちの住みたいまちにしたい」という主張を現実に反映させる成功体験を積み重ねてきたと西芝氏は説明する。その過程で「やればできるじゃないか」「自分たちが『こういう街にしよう』ということは、言うべきだよね」という機運が住民の中で醸成されていった。

 西芝氏はその事例として、1970年代初頭の高速道路反対運動を取り上げた。

 当時の米国は、連邦政府が補助金を出し、全米各地で高速道路が建設されていた時代だった。ポートランドでも、市街地からフッド山(Mount Hood)のすそ野を超えるルートが計画されていた。だが、建設に反対する住民運動の盛り上がりを背景に1972年、反対派のニール・ゴールドシュミット氏が市長に就任。建設計画を白紙に戻すとともに、市は連邦政府と交渉し、高速道路建設の連邦政府補助金の一部を、市街地と郊外を結ぶ路面電車「MAX(Metropolitan Area Express)」を建設する資金に流用する交渉を行い、路面電車の整備を実現させた。

 西芝氏はこのほか、川沿いの高速道路を撤去した跡地を使って1978年に建設された公園「トム・マッコール・ウォーターフロントパーク」や、百貨店の高層駐車場の計画を却下して1984年に完成した広場「パイオニア・コートハウス・スクウェア」、それに地域コミュニティのプロジェクトとして取り組んだパークアベニュー駅のデザインを住民運動の成果として紹介した。

トム・マッコール・ウォーターフロントパークができた経緯
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トム・マッコール・ウォーターフロントパークの風景。ポートランド市では、高速道路の建設に反対して路面電車を通しただけでなく、既存の高速道路も廃止して公園にしてしまった。いずれも「こんな街にしたい」と住民たちが動いた成果だ(西芝氏講演資料より)
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 このうちパイオニア・コートハウス・スクウェアでは、住民主導の開放的なデザインを実現する資金調達のために購買者の名前を刻んだ建設資材のレンガを販売した。また、パークアベニュー駅は、住民が「自分たちのコミュニティにそぐわない」と駅のデザインに反対しただけでなく、自分たちで代替案を提示、実現させたという。

 このように、ポートランドの住民は、「主張するだけでなく、自分たちでプロジェクトを興し、実際につくっていったことが、現在のまちづくりのバックグラウンドになっている」と西芝氏は説明する。