「Beyond Health」2020年8月7日付の記事より

Beyond Healthは、「健康で幸福な人生100年時代を可能にする」社会の実現に向けたビジョン「空間×ヘルスケア 2030」を提案し、それを具現化するための新プロジェクト「ビジョナリー・フラッグ・プロジェクト(VFP)」を立ち上げた(関連記事:目指すは「空間×ヘルスケア」の社会実装)

このビジョンのカギを握るのが、医療機関とも連携し、かかりつけの健康アドバイザー(ヘルスケア・マイスター)として人々の健康を支える薬局・薬剤師。日本調剤の三津原庸介社長へのインタビューでは、調剤から慢性期ケアへと幅を広げる薬局の役割の変化について聞いた。今回取り上げるのは、岩手医科大学付属病院の敷地に開設された調剤薬局とフィットネスジムが同居する「ウェルベース矢巾」で、薬局とジム、医大が一体となって地域住民の健康増進を図ろうという岩手県矢巾(やはば)町の取り組みだ。ウェルネスを中心にしたコンパクトシティーを掲げ、メイヨークリニックという世界有数の病院を中心に発展した米ロチェスター市のようなまちづくりを目指す。矢巾町企画財政課未来戦略室課長兼室長の吉岡律司氏をはじめ関係者に話を聞いた。

岩手医科大学付属病院の敷地内に開設された「ウェルベース矢巾」 (写真:井上 健、以下同)
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 矢巾町は、北上盆地に広がる広大な平地、岩手県盛岡市の南に位置する。その町の中心部に2019年に移転したのが岩手医科大学付属病院だ。のどかな町並みの中に、地上11階建ての威風堂々とした建物は存在感が大きい。

 同町はコンパクトシティーを掲げ、町の方針の第一に「ウェルネス」を打ち出してきた。町の人口は2万7264人(2018年)。盛岡市のベッドタウンで、世帯数はここ40年近く一貫して増えているが、世帯構成人員は現在2.6人。人口はここ10年くらいで頭打ちとなり、減少傾向にある。一方、2010年に19.7%だった65歳以上の人口が、2015年には23.6%と急速に増加している。そんな中、昨年の岩手医科大学付属病院の移転は、少子高齢化を受け医療や健康を意識して矢巾町が進めてきたまちづくりのフックとなった。

「プールがないとだめだ」の逆を行く

 2016年に、町の水道局から企画財政課へと異動してきた吉岡氏が取り組んだのは、未来から逆算して町の取り組むべき施策を策定することだった。「水道局は、上下水道の投資をし、やった分だけ結果が出る。老朽化すれば、水道料金も上げなければいけない。町も人口減少が進むと、税金を2倍にしなければならない。行政も投資による効果をより意識していく必要がある」

 町づくりの中心に据えたのが、ヘルスケアの強化だった。2060年の町の姿を見据え、それを実現するために今何すべきか、「フューチャーデザイン」あるいは「バックキャスティング」と呼ばれる考え方の下で、「健康でハッピーに生活できる町」は町の発展にも重要という方向性を導き出した。「矢巾町の予算規模は100億円で扶助費が20%になっていたが、2025年には25%になると想定されている。税収が下がる中で、人々の健康を促進することで扶助費を抑え町の発展を進める」

矢巾町企画財政課未来戦略室課長兼室長の吉岡氏
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 町は、移転計画が進んでいた岩手医科大学付属病院を大きな契機にウェルネスタウンの実現を目指そうと考えた。その中で浮かび上がったのが、運動習慣をつくる仕組みづくりだった。

 2017年夏、岩手医科大学付属病院の移転に合わせフィットネス施設を開設する案が持ち上がった。実際にフィットネス施設に視察に行ったが、大手事業者からは「プールがないとだめだ」とつれない答えしか返ってこない。吉岡氏は、「どこの施設も、機械設備をそろえて始めようとするが、必ずしもそうではない。本当に、運動をして健康になってもらうことをサポートする。押しつけではない仕組みをつくろうと考えた」と振り返る。

 「プール」に象徴される施設に頼らないフィットネス。吉岡氏の水道局で培った経営感覚が生きたのは、必要最小限の投資によって人々の運動を促す仕組みづくりだ。「運動できる場所は、ここなら、町中にある。施設を作るにしても自分の健康をつくるための拠点として機能してくれさえすればよい」。そうした思いから作られたのが「メディカルフィットネス ウェルベース矢巾」。文字通り、ウェルネスの基地になるもので、矢巾町に関わる全ての人に本当の健康を届けるための「健康発信基地」と位置づけられた。

産学官連携で異色の「健康づくり」

 2020年2月25日、矢巾町と岩手医科大学のほか、付属病院敷地内に「岩手医大前薬局」を設置する日本調剤、健康機器のタニタヘルスリンク、フィットネス機器のテクノジム、施設管理のドリームゲートが、ウェルベース矢巾を健康づくりの拠点とし、医療費や介護費用の増加抑制を図ることを目指し、「矢巾町健康増進施策事業の連携・協力に関する包括協定」に調印した。産官学によって地域の健康を底上げする異色の事業になる。

 3月1日、ウェルベース矢巾はプレオープンし、新型コロナウイルス感染症の影響もあって4月15日にグランドオープンになった。日本調剤の薬局と同じ1階にウェルベース矢巾はある。中に入ると、トレーニングのための機械やヨガなどができる部屋が設けられているが、サイズは大きくはない。前述の通り、施設はあくまで拠点であり、運動の場はこの施設に縛られることがない。

「健康プラザコスモス館」の1階にあるウェルベース矢巾のトレーニングルーム
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 「緊急事態宣言があり、逆にコロナの中で何ができるのか、考えた」と吉岡氏は言うが、ウェルベース矢巾が取り組んだことの一つが「青空ヨガ」だ。施設の外で、ヨガをするもので、参加者を募って、みんなでヨガをした。これはウェルベース矢巾の示す、これからのフィットネス事業の将来をある意味で象徴するものだ。

 ウェルベース矢巾が施設に頼らないことを言い換えれば、ハードウエアよりもソフトウエアとしての機能に注目しているということになるだろう。ウェルベース矢巾では個人ごとにメニューを作って、データに基づいて指導を行える仕組みを整えている。設置しているフィットネスマシンは、オリンピックのサプライヤーであるイタリアのテクノジム社という世界有数のメーカーのものだが、特徴はフィットネスに取り組むと、運動回数や消費カロリーなどトレーニングを見える化できる点だ。さらに、事業に参加するタニタヘルスリンクの体組成計を設置しており、体のデータも取れるようにし、データを基にした運動指導ができるようにしている。

 さらに、柔道整復師や元救急隊員などが運動指導に当たり、医療連携によって、医師のアドバイスも受けられるようにする。厚生労働省が認可する健康増進施設、指定運動療法施設の認定を受ける予定で、医療控除の対象になる見通し。施設を拠点として、こうしたデータやアドバイスといったソフトウエアを利用可能とし、人々の健康づくりへのインセンティブをつくり出しているのがポイントとなる。

「かかりつけ薬剤師」の将来像がそこに

 事業に参加する日本調剤は、通院患者やジムに通う人々に対し、薬やサプリメントの相談に乗ったり栄養学的な面からのサポートを行う。薬局の役割は単に医療機関からの処方箋に応じて薬を出すだけの場を超えた形になるのは間違いない。そもそも病気だから薬局に行くという常識が変わる。ウェルベース矢巾に併設する日本調剤岩手医大前薬局には管理栄養士も常駐しており、未病の段階で薬剤ばかりではなく、栄養面での相談を受けることができる。町民がいざ病気になって薬局に行ったときの役割もこれまでの常識を変えるものになってくる可能性は高い。

日本調剤岩手医大前薬局の待合フロア
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 将来的には、ウェルベース矢巾での運動や栄養、体組成などのデータや、病院に蓄積された検査データ、町の健診データに加え、薬局の薬歴データなどとの連携・統合や、それらデータを匿名化した上でのエビデンスづくりなど研究への活用も想定される。このとき、特に通院患者などの慢性期ケアについては、医大病院とウェルベース矢巾に隣接し、健康な時から町民と関わっている薬局・薬剤師が主体的に取り組むようになるのは自然の流れかもしれない。

日本調剤東北支店営業部長の尾形氏
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 日本調剤東北支店営業部長の尾形孝一氏は、「矢巾町が政府のスーパーシティー構想への応募を目指す中で、各社が町民のために進めていたことをデータ連係によってつなごうという動きになった」と振り返る。そうして矢巾町で形づくられようとしている仕組みは、まさしく「かかりつけ薬局」「かかりつけ薬剤師」の将来像といえるだろう。

 フィットネスジムを運営し、データに基づいた健康プログラムを作るのは、山形市にあるベンチャー企業ドリームゲート。データを重視して健康づくりをしたとき、前述のように運動する場所は施設に縛られる必要はない。矢巾町は大自然に囲まれ、運動する場所は町全体に広がっている。新型コロナウイルス感染症の問題があるなかで、屋外で運動できれば、いわゆる三密の問題も逃れられる。そう考えると、ハードウエアに縛られずにソフトウエアを重視すると、開設直後に開催された青空ヨガのような取り組みはいくらでもやりようが出てくるのだ。

 矢巾町はウェルベース矢巾の設置と並行して、「やはば健康チャレンジ」という、参加者に体組成計を配布しデータを自ら取得しながら健康づくりに励む仕組みも始めている。町民は施設の利用費が通常の月8000円よりも安い6000円としているが、やはば健康チャレンジ参加者は5000円とさらに安価にしている。パーソナルトレーニングを付けるとそれぞれ2000円追加になる。

 吉岡氏は、「まだこれからの話にはなるが、矢巾町民の健康に関わるデータが蓄積していけば、町民へのサービスの形も変わってくるだろう。例えば、タクシー会社も、通院の予測が可能になり、タクシーの配備台数を決める判断材料を得ることができる。ウエアラブル端末を町民に利用してもらうことで、発病を予測して、通院を促す取り組みも可能。大学の研究面でも、論文の題材が町から生まれてくる可能性もあるだろう。社会課題の解決に取り組みやすくなると考えられる」と話す。

健康づくりにおいて薬局の役割は重要

 ドリームゲート代表の村上勇氏はもともと実業団のバレーボール選手として活動した後、医療連携を進める仕事に20年以上にわたって携わり、フィットネスジム事業を立ち上げた。同氏は、町が健康課題を設定し、それを実現するための事業づくりを進めているのは重要なポイントと見る。

 今回の産官学のプロジェクトでは、町が健康施設を作って、その運営を単純に委託しているわけではない。町は参加者の一部であり、企業や大学が健康課題を推進しながら、事業としても自走するように計画している。健康事業をコストとしてとらえるのではなく、ウェルベース矢巾を中心として収入を得ながら、経済的に無理のない形で継続しようとしているのは重要だ。村上氏も、ウェルベース矢巾の事業は、3年間、町の支援を受けた後、自立して収益を得ながら運営する見通しだという。メディカルツーリズムならぬ、「ウェルネスツーリズム」「ヘルスツーリズム」といった、健康づくりと観光、旅行を組み合わせるような事業も考えられる。

「岩手医大前薬局」の健康チェックカウンター
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 村上氏は健康づくりにおいて薬剤師や管理栄養士が常駐する薬局の役割も重要な意味を持つと指摘する。「薬やサプリメントを正しい知識の元に提供する。筋肉をつけるためのプロテインなど、同じ説明するのでも薬剤師や管理栄養士からの説明であれば伝わりやすい。さらにフィットネスが病院や調剤薬局と連携できるのは安全や安心の要件を満たしてくれる。健康の情報を発信する上でもプラスになる。人々にメディカルフィットネスの恩恵を受けていただく上で薬局の役割は大きい」

 村上氏は、「こうした健康事業に町民の5%でも参加すれば画期的だ。将来的には町民の100%くらいが健康事業に参画し、本当に健康な町と発信してくれたらいいと思う。これがモデルとなり、健康のバトンをつなげてくれればいい」と話す。

ドリームゲート代表の村上氏(写真:取材時のオンライン画面キャプチャー)
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 医療機関や健康施設を中心にして新しい産業づくりにまでつなげようとしているのは重要だろう。米国のロチェスター市はかつて何もなかった地方の田舎町だったが、メイヨークリニックという医療機関の開設が町を発展させる核になった(関連記事)。岩手県の矢巾町で実現しようとしているのは、まさに日本のある地方の町にメイヨークリニックをつくるような取り組みといえるかもしれない。実際に矢巾のプロジェクトの中には、メイヨーを意識する考え方もあるようだ。まさに、矢巾のまちづくりは、これから未曾有の超高齢社会に突入する日本の町づくりの手本を指し示している。

(タイトル部のImage:jozefmicic -stock.adobe.com)

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