• 法政大学 総長 田中 優子氏

    法政大学 総長

    田中 優子

  • アスリートソサエティ 代表理事 為末 大 氏

    アスリートソサエティ
    代表理事

    為末 大

  • 星野リゾート 代表 星野 佳路 氏

    星野リゾート 代表

    星野 佳路

  • 東京地下鉄 代表取締役社長 山村 明義 氏

    東京地下鉄
    代表取締役社長

    山村 明義

  • 東京都市大学特別教授 造園家・ランドスケープアーキテクト 涌井 史郎 氏

    東京都市大学特別教授
    造園家・ランドスケープアーキテクト

    涌井 史郎

法政大学 総長 田中 優子

アスリートソサエティ 代表理事 為末 大

星野リゾート 代表 星野 佳路

東京地下鉄 代表取締役社長 山村 明義

東京都市大学特別教授 造園家・ランドスケープアーキテクト 涌井 史郎

(氏名五十音順)

首都・東京は、治安の良さや豊かな文化、発達した公共交通網などを背景に、世界の主要都市の中でも高い評価を受けている。
一方で、人口減少や交通渋滞、自然環境の維持など、解決すべき課題もまた多い。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを機に、東京はさらに大きく変わろうとしている。
各分野の第一線で活躍する5人の有識者が、これまでの歩みを踏まえつつ、東京の未来を語り合った。

(氏名五十音順)

為末 大 氏 アスリートソサエティ 代表理事

為末 大(ためすえ・だい)

アスリートソサエティ 代表理事
1978年生まれ。広島県出身。法政大学経済学部卒業。陸上スプリント種目の世界大会で日本人初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年11月時点)。現在はアスリートと社会をつなぐ活動に従事

日本のジュニアで実績を残し、フロリダのIMGアカデミーに学び世界的テニス選手になった錦織圭氏。

日本のジュニアで実績を残し、フロリダのIMGアカデミーに学び世界的テニス選手になった錦織圭氏。東京はこれから、どのようなジャンルでスポーツ選手を育てていくべきかについて、戦略的に考えていく必要がある(写真=2017年8月3日、ワシントンで行われたシティ・オープン3回戦でフアンマルティン・デルポトロに勝った錦織圭選手 USA TODAY・ロイター=共同)

──東京がこれまで歩んできた100年間とは、いったいどのような100年だったのか。まずは皆さんの専門分野からご意見をお聞かせください。

為末 これは東京に限った話ではないのですが、そもそもスポーツ産業というものが100年前には存在しませんでした。プロアスリートという概念も、1980年代ぐらいになるまではほとんどなかった。身体的な特徴を見ても、100年前のオリンピックでは、円盤投げとレスリングと水泳の選手が、同じような体形をしています。競技に応じた身体の特化と専業プロの登場というのが、この100年の大きな変化だと思います。

──東京という都市が、スポーツに対して果たした役割というのは何かあるのでしょうか。

為末 実は東京出身のオリンピック選手は、これまでそんなにいなかったんですね。人口比からするとかなりアンバランスで、地方出身者の方が活躍しています。東京はスポーツ選手を育てるのにあまり向いていなかったのかもしれません。

 とはいえ、アスリートが生まれた場所と、選手として育つ場所が分かれつつあるというのが今のトレンドです。例えば錦織圭選手は、日本生まれの日本人ですが、世界に通用する選手に育てたのはフロリダのIMGアカデミーなのではないか。これは結構、難しい問題です。ただ、優れた選手を何人も生み出す“再現性”は、生まれた場所より育った場所の方が高い。そういう意味では、出身地より育成機関が重要です。

 すると今度は「国をまたいでもいいじゃないか」ということになる。例えば米国オレゴン州では、各国の長距離選手が集まり、最先端の練習に取り組んで、みんなが強くなっています。そんなことが現実に起こっているわけです。

 スポーツと都市との関係としては、こうした特定種目に特化した「ホットスポット化」が進んでいます。そうなると国の機関が、あらゆる競技で選手を育成するのが本当に正しいのかという疑問が出てくる。いつの日か、「東京はどの競技でいくのか」を選択する日が来るかもしれません。そのときには、東京は日本人だけを育てる場所なのか、ということも考えていくべきでしょう。

田中 優子 氏 法政大学 総長

田中 優子(たなか・ゆうこ)

法政大学 総長
1952年生まれ。神奈川県出身。法政大学文学部卒業。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。法政大学教授などを経て2014年より現職。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「東京2020有識者懇談会」委員

涌井 史郎 氏 東京都市大学特別教授 造園家・ランドスケープアーキテクト

涌井 史郎(わくい・しろう)

東京都市大学特別教授
造園家・ランドスケープアーキテクト
1945年生まれ。神奈川県鎌倉市出身。72年東京農業大学農学部造園学科出身。日本国際博覧会(愛・地球博)会場演出総合プロデューサー、国連生物多様性の10年日本委員会委員長代理などを歴任

──田中さんはこれまでの東京の100年をどう振り返りますか。

田中 100年よりさらに50年さかのぼって、明治が始まった150年前からお話ししますと、明治というのはまだ江戸時代からの連続です。都市環境としては、郊外の自然がいつも都市の中に入り込んでいる「庭園都市」でした。

 江戸には大名屋敷がたくさんありましたが、住むところはそれほどの広さではなく、その大部分が庭園でした。さらに川や運河がとても多く、その水が空気を冷やすので、ヒートアイランドも起こらない。そんな状態が明治の50年間はまだ続いていました。

 それがこの100年で、東京は大きく変わりました。一つは1923年の関東大震災。その次に東京大空襲。それから64年の東京五輪に伴う大改造。この三つが非常に大きく東京を変えた。水辺が失われ、樹木が失われていった。この100年は、江戸モデルを否定してきた100年なんです。

涌井 私が言いたいことは、ほとんど田中先生がおっしゃった(笑)。要約すると、「江戸は未来の都市像を示唆するモデルである」ということです。一つは“自然共生”。これは、今しがたの田中先生のお話しの通りです。

 二つ目は“再生循環”。江戸川柳に「大家は店子の糞でもち」というのがあります。これは店子の家賃より、糞尿の方がよっぽど収入になるということです。糞尿を持っていく場所があらかじめ決まっていて、肥料にしたり海に撒いて海苔の養殖に用いていた。江戸はリサイクルシステムが、しっかり機能していました。

 三つ目はコミュニティです。つまり共助の世界が非常に発達していた。その象徴が祭りです。実は祭りというのは、平時の“防災訓練”でもあるんです。災害路に大きな山車が持ち込まれたり、普段はそれほど人が集まらない場所に、猛烈な人数が集まったりする。それを町衆たちが役割分担してさばいていく。共助の形を能動的に可視化したのが祭りだと思います。要するに現在の都市が失いつつあるものが、江戸にはしっかり根付いていた。SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも、まさに未来の都市モデルだと思います。