山村 明義 氏 東京地下鉄 代表取締役社長

山村 明義(やまむら・あきよし)

東京地下鉄 代表取締役社長
1958年生まれ。静岡県出身。80年東北大学工学部卒業後、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)に入団。土木技術者として、地下鉄の土木工事、保線を担当。鉄道本部鉄道統括部長、専務取締役鉄道本部長などを経て2017年から現職

──東京のインフラをつくるお立場である山村さんからは、この100年はどう映りますか。

山村 ご指摘のように切り捨てられたものもありますが、課題解決の100年でもあったと思っています。

 東京に地下鉄ができたのは1927年で、今年で90年になります。当時は地上の鉄道、JRや私鉄の骨格はかなり出来上がっていたのですが、今でいう山手線の内側の交通機関は、路面電車に頼っていました。既に大正末期には、地上の道路の渋滞が激しくなっていました。「地下に鉄道を通さないと、地上のこうした問題を解決できない」という課題解決の視点から、地下鉄事業が始まったのです。

 そして、日本の地下鉄は民間人が始めた事業です。建設費用が非常にかかる地下鉄事業を民の力で推進したケースは、世界的に見てもほとんどありません。それを乗り越えて民間のフロンティアスピリッツでつくり上げたというのは、ある意味で東京の誇らしい歴史だと思います。

 環境面でも、建設する際になるべく地上の緑を阻害しないよう、様々な努力をしてきました。例えば千代田線の留置線の上には代々木公園が、南北線の車両基地の上には神谷堀公園が設けられています。鉄道そのものがCO2をあまり使わないということもありますが、緑に対しても配慮した交通として、都市の発展における環境へのしわ寄せを緩和してきたとも言えるのではないでしょうか。

星野 佳路 氏 星野リゾート 代表

星野 佳路(ほしの・よしはる)

星野リゾート 代表
1960年生まれ。長野県軽井沢町出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院に進学し、修士号取得。88年星野温泉旅館(現星野リゾート)に入社。いったん退社した後、91年に復帰して現職

──星野さん、観光という視点からお話いただけますか。

星野 私は長野県軽井沢町という観光地の出身ですが、地方から見ると、観光客=東京の人という概念です。

 高度経済成長期に国内旅行ブームがあって、その頃に日本全国で観光産業が起ち上がってきました。そこでは「東京の人は何を食べるの?」とか、「東京の人は何が好き?」とか、そういう感覚でしか捉えてこなかったのが、この100年だった。インバウンドが増えてきたとはいえ、一番の大きい市場は東京の市場なんですね。

 一方で東京はというと、海外の人もたくさん来るということで、宿泊施設がどんどんホテル化していった。日本的な良さを壊して、デザイナーも外国人を連れてきて、西洋のホテルをそのまま持ち込んだ。

 日本的なものが地方にしか残っていないという状態をつくったのが、この100年だったと思います。