人類が極度の移動制限を受けている。本稿では、医療課題とモビリティーの連関、モビリティーが新規モダリティー(医療の様式)となる可能性について小考したい。

疾病と日常生活の境界線

 製薬産業において、Patient Centricity(患者中心、患者参加)という言葉が叫ばれるようになった。国内においても、製薬企業や医療機器メーカーは、患者サポートプログラムの提供を活発化している。従来主観的データと見做されてきた患者起点のデータ、PRO(Patient Reported Outcome)を医薬品の開発やエビデンス構築に利活用する昨今の動向もその一例である。

 一方で、製薬企業と受益者である患者のあいだには、依然として大きな隔たりがあるように感じられる。とくに、「顧客」の定義において、他産業と医療産業とのあいだに乖離を感じることが多い。医療関連企業の第一義的顧客は医師を中心とした医療従事者や医療機関であると見做されているようだ。最終的な製品の利用者は患者である一方、製品選択の実質的意思決定者は医療提供側に在ることが構造的要因であるものと考えられる。

 医薬品や医療機器などの医療産業は、顧客の視点を吸い上げることに成功しているのだろうか? 患者の視点に立つと、日常生活と医療アクセスは不可分だ。医薬品・医療機器企業は、Patient Journeyに目配せをするが、自社製品周辺の使用シーンの分析の実施に留まることが多い。

 患者は、検査・診断・服薬・治療・予後管理という(メーカーお得意の)クリニカルパスに沿って生活を営んでいるわけではない。生々しく、個性的な日々の日常を営んでいる。そして、疾病に関連する本源的な困りごとは、そうしたLife Journeyの中に埋もれていることも少なくない(図表1)。

図表1●自己免疫疾患患者の本音
医療提供者が目指す「真理」と患者の「心理」のあいだには、大きな乖離がある(出所:自己免疫疾患患者へのインタビューを基に筆者作成)

 心不全など、そもそものケアパスが整備されていない疾患も多い。発症から診断までのタイムラグが長い希少疾患も散見される。便益者の視点に立つことではじめてPatient Journeyの最適化を検討することができるのではないか。

医療におけるモビリティーの意味合い

 生活者としての患者の生活様式に目配せをすると、医療課題の多くはモビリティーと紐づいていることが分かる(図表2)。

図表2●生活習慣病治療に関するRoot Cause Analysis
Mobilityが根本原因となって、患者の治療成績の低下や、医療現場のオペレーション負荷増大をもたらしている可能性がある(出所:生活習慣病等慢性疾患患者、HCPsへのインタビューを基に筆者作成)

(1)医療アクセスの阻害
移動が原因で医療アクセスが困難な患者層が存在する。運動機能に障がいを抱えている例、僻地に居住するため医療機関へのアクセスが困難な例、(都心であっても)医療機関への簡便な交通手段を有さない例。

(2)最適な医療選択の阻害
現状、一次医療窓口という意味でのホームドクターやかかりつけ医は日本の社会に本格浸透していない。生活者、患者は全国の病院やクリニックなどの医療機関に自由にアクセスすることができるが、医療機関選択は受診者の選択に委ねられており、その選択基準としては医療施設への距離が大きい。逆説的に言えば、受診者の医療機関へのフリーアクセスが原因となって、受診者は個別疾患の最適なケアフローを享受できていない。

(3)治療継続率の悪化
最適な場所(医療機関)において最適なタイミングで最適な医療にアクセスすることができないことにより、通院や治療の継続が困難となり、アドヒアランスやペイシェンスに影響を与える。

(4)治療アウトカムの減損
結果として、日常生活を含むQOLが低下する。重要なことは、これらが患者のQOLや日常生活に影響を与えて、「負のサイクル」をもたらしているということだ。慢性疾患が進行すると、診断や治療に対する物理的ハードルが上がるとともに、心理的モチベーションが低下し、治療継続率が逓減する。日常生活へ負の影響がもたらされて、さらに治療継続率が下がるという悪循環が生まれる。

(5)臨床現場のオペレーション効率の悪化
同時に、非効率なモビリティーは、外来における待ち時間、院内感染症リスク、入院期間の増加、などの付随的影響を臨床現場や医療機関にもたらしている。

医療におけるモビリティー戦略

 こうしてみると、モビリティーは医療産業における一つの新規モダリティーになりうるかもしれない(Mobility as a Modality)。萌芽的に顕在化している幾つかの事例と併せてみると、患者のペインポイントやアンメットニーズに対峙するための幾つかのアプローチに分類できそうだ(図表3)。

図表3●Healthcareに対するMobilityのアプローチ
ヘルスケアへのモビリティの適用として、3つほどのアプローチが顕在化しつつある(出所:各社ウェブサイト、Beyond Healthを基に筆者作成)

A)医療従事者が患家まで向かう(フィリップス・ジャパン社)
B)患者が医療施設まで向かう(Uber Health社)
C)移動手段自体を医療(診断・治療)手段とする(NeuroLogica社)

 それぞれのアプローチが解消する患者にとっての便益は異なる。例えば、(A)では、四肢の障がいなど、移動に物理的困難を有している方への医療提供に向いている。また、(B)では、日常生活の動線におけるさまざまな要因により通院継続に課題を生じている患者さんへのアプローチとして奏功するかもしれない。

 (C)のアプローチは、臨床アウトカムの向上に直接結びついている。Mobile Stroke Unitによって、脳卒中患者のTherapeutic time windowsを延長、結果としてt-PA製剤の早期導入の可能性を上昇することができるなど。

 まとめると、疾患に関連する細やかな日常のペインポイントやメディカルアンメットニーズを拾い上げることを経て、最適なアプローチを採択することになるのだろう。

社会保障費に対するインパクト

 Uberは、HIPAA(医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)のプライバシー規則に準拠したかたちで、2018年にUber Healthを製品化した。既存のUberのようにアプリを使っても、さらには電話を使っても、簡易に医療施設の診療予約や通院ができる仕組みだ。

 これは、患者に対する治療継続を通じた医療機関の経営に対してもポジティブな影響をもたらす。患者が予約しても通院を伴わないいわゆる「No Show」問題は、米国において年間360万件発生しており、年間負担1500億米ドルの医療負担をもたらしているといわれる。

 なお、2019年10月には、診療から治療に至るよりシームレスな動線の確保を実現するために、大手EMRベンダーであるCerner社との連携を発表している。

イネイブラーと社会実装に向けた要件

 Mobilityを医療に本格活用しようとすると、産業界をまたいだ複合的なテクノロジーが必要となる。

 POCT(Point of Care Testing)などの小型化診断機器、スマートフォン・ガジェット、ウエアラブルなどの医療機器やハードウエアに加えて、診断能を有したソフトウエア医療機器の開発も要請される可能性がある。

 また、患者の細やかなペインポイントに対応するためには、バックエンドの移動管理システム、決済管理システム、診療予約システム、オンライン診療、API連携、セキュアな情報管理システムなど、根幹となるシステムの構築や統合も必要となる。

技術面のみならず、社会実装に向けた課題も多い
・MaaS(Mobility as a Service)自体のコストプロポジションの改善
・臨床現場におけるデジタル化の進展(高齢者のDigital Entryは既に進んでいる!)
・産官学をまたいだコラボレーション
・医薬品企業・医療機器企業のチャレンジするメンタリティーの醸成

 眼前のチャレンジを一つひとつ乗り越えた先。医療提供者側からすると、投薬アドヒアランスや通院継続の改善、新しいエビデンス構築などを見込めるかもしれない。

 さらにその先に見えるのは、患者起点での真の意味でのデジタル・トランスフォーメーションと医療の民主化だ。生活者のバイオデータ、日常生活や環境変化を捉えたBehavioromicsやEnvironomicsを構築して、データ駆動型社会を実現する。少子高齢化の「最先端国家」である日本において、モビリティーのヘルスケアへの適用はそのための大いなる嚆矢となるのではないだろうか。

(タイトル部のImage:yoshitaka -stock.adobe.com)