テネシー州ナッシュビルに本拠地を持つデジタルヘルス(ヘルスケア×IT)系スタートアップのChange Healthcare社が2019年3月15日、S-1申請を行った。米国証券市場でのIPO(Initial Public Offering:未上場企業が新規に株式を証券取引所に公開し上場企業となること)に必要な申請である。

 当初資料に記載されていた調達予定金額は1億米ドル。その使用用途は50億米ドルの負債の返済に充てられる「成功とはいえないIPO」とする意見もあったようだが、6月14日付のS-1修正資料では調達総額が12億米ドル注1)と大幅に増額されている。

注1)Tangible Equity Unit(有形株主資本ユニット) 2億7500万米ドル分を含む。

 もし申請通りに進んだ場合、Uber社、Lyft社、Avantor社、Pinterest社に次ぐ今年5番目に大きな調達額のIPOとなる。一般ユーザーの知名度も高い巨大なコンシューマーテックカンパニーであるUber社やLyft社、Pinterest社と並んでデジタルヘルス企業が名を連ねるのは感慨深い。

“IPO日照り”から一転

 2016年のiRhythm社のIPO以降、デジタルヘルス企業は2年8カ月の“IPO日照り”を経験している。しかし今年は、Change Healthcare社の他にも数多くのデジタルヘルス企業がIPOするといわれている。

 その中にはソリューションビジネスを展開する企業が多いのが特徴的だ。糖尿病管理からスタートし慢性疾患全般をカバーするソリューションを展開するLivongo Health社、ソーシャルエアロバイクのPeloton社、医療データストレージ&解析ソフトウエアのHealth Catalyst社が既にS-1申請を終えていたり、投資銀行を起用したりしたとされている。

イメージ(写真:Beyond Healthが撮影)

 サッカーの本田圭佑選手による「ゴールというのはケチャップみたいなもの」という発言は良く知られるところ注2)。まさに、デジタルヘルス企業のIPOも同様の模様がうかがえる。

注2)2014年ブラジルワールドカップ最終予選のイラク戦後のインタビューで、ゴールが生まれる感覚のことをケチャップが瓶から出る様子に例え「出るときは出ないけど、出るときはドバドバッとでる」とコメントしたとされている。

期待感が生んだ現実とのギャップ

 ちなみにChange Healthcare社の由来は若干複雑である。2017年3月に全米最大の医療サービス企業McKesson 社のMcKesson Technology SolutionsとChange Healthcare社が7:3の比率で一緒になり設立された会社であるが、「Change Healthcare」という今の医療業界をまさに反映する名前は実は当初からのものではない。

Change Healthcare社のホームページ

 元々、医療業界向けの収益サイクル管理ソリューションを提供していたEmdeon社が、2014年に医療費透明化SaaSソリューションを提供していたベンチャー企業Change Healthcare社を買収した後に被買収側の社名を採用したという珍しい歴史がある(Emdeon社も紆余曲折の歴史があるがここでは割愛する)。

 買収される前のChange Healthcare社は、医療費高騰と医療システム不透明さが社会的問題になり始めていた時代に、医療費透明化ソリューションを開発するために2005年に設立されたベンチャー企業で、筆者の前職であった三井物産グローバル投資は投資家であり、筆者も社外取締役としてかかわっていた時期がある。医療サービスビジネスのメッカであるナッシュビルのChange Healthcare社とテクノロジーのメッカであるサンフランシスコのCastlight Health社のベンチャー企業2社がリードしていた医療費透明化という領域は本当に確立するかどうかもわからない領域で、デジタルヘルスに注目し始めていた一部のベンチャーキャピタルがサポートするに過ぎなかった。

 しかし2011年ごろから企業のSelf-Insured化(自社で保険会社の役割を果たす)や医療のコンシューマライゼーションの波を受け一気に成長。特にCastlight Health社は業界の注目を一挙に集め、2014年3月14日にニューヨーク証券取引所に上場した際には驚愕の35億米ドルの時価総額を記録した。デジタルヘルス時代の幕開けと称賛された一方で、前年度売上1290万米ドルに対して売上倍率275倍が付いた時価総額は「今世紀最も過大評価されたIPO」と揶揄された。

 その後Castlight Health社のサービスは企業の従業員向けの福利厚生管理で幅広く使われるようになった。その前後(2013-2015年)に上場したFitbit社やTeladoc社、Veeva Systems社などのデジタルヘルス企業群は現在のヘルスケア産業のデジタルインフラの確立に大きな貢献をし、現在でも重要なプレーヤーとして存在感を示している。

 一方で、上場後のパフォーマンスは芳しくなく、Castlight Health社の今日現在の株価はピーク時の1/10で推移している。これを鑑みると、同社のIPOは「破綻した医療システム」や「不透明な医療業界」といった社会全体が感じているフラストレーションに対して、「破壊的イノベーションを提供するシリコンバレー発のベンチャー企業」が革新的なソリューションを提供してくれるという期待感と、医療ビジネスの難しさからなかなか爆発的な成長を成し遂げられなかったという現実のギャップが生んだ大いなるハイプ(誇大広告)現象であったといえるだろう。

 その影響もあってか、同時期に上場したデジタルヘルス14社のうちNasdaq総合指数のパフォーマンスを上回っているのはTeladoc社とVeeva Systems社の2社にとどまっている(上場後買収された企業は含まず)。このことから、グループ全体としてハイプ現象の煽りをうけたのか、理想と現実のギャップが大きすぎた為の反動なのかもしれない。

当時と大きく違うのは…

 Castlight Health社のIPOから5年と1日。当時競合であったChange Healthcare社が被買収や合併を通じて自社の製品や経営体制の「チェンジ」を経てS-1申請を行い、当時のCastlight Health社と同じように大きなIPOが予想されている。そしてChange Healthcare社の後には医療業界を根本的に変えていくとされている有望なベンチャー企業が続いていくと期待されているのは単なる偶然ではないだろう。

 今回上場を期待されている企業群は、先駆者が築いたデジタルインフラの上に構築されたソリューションを旋回しているものが多い。デジタルヘルス業界が次のチャプターに突入していることを感じさせてくれる。

 そして当時と大きく違うのは、Castlight Health社の時価総額が売上倍率275倍であったのに対し、Change Heathcare社は売上倍率1.5倍(直近の売上33億米ドルに対して時価総額52億米ドル)とハイプとは程遠いものになるとされている点。5年前のハイプを乗り越え、より実力を付けたデジタルヘルス企業がケチャップが瓶から出るように次々と上場を果たし、今回こそはデジタルヘルス産業全体が株式市場でも成功すると期待したい。


(タイトル部のImage:Wendy Yu)