日本では寝不足や不眠で悩む人が多いため、睡眠市場は大きなニーズを秘めており、各分野への広がりが期待されている。その中で、認知行動療法をベースに開発されたアプリ『睡眠日誌』が人気を集めている。アプリ開発を担当するNECソリューションイノベータの秋冨穣氏に岡島義氏がインタビュー(以下、敬称略)。アプリ開発の経緯から睡眠市場の将来性まで話を聞いた。

左がNECソリューションイノベータの秋冨氏、右が岡島氏(写真:高山 透、以下同)

生活習慣を意識しセルフコントロールに、つなげる睡眠記録アプリ

岡島 NECソリューションイノベータが提供しているアプリ『睡眠日誌』が好評だと聞いています。私も睡眠の認知行動療法の専門家の立場から、監修させていただいたアプリです。現在、どのくらいの方が利用していますか?

秋冨 無料で誰でも利用できるアプリで、これまでのダウンロード数は2万5000。スマホやアプリを使い慣れている20代の女性が中心ですね。「Appliv」というダウンロードアプリのレビューランキングで、睡眠時間などを記録するアプリの部門で2位(2019年5月28日時点)になっています。

岡島 2万超になったのですか。多数の方が利用していますね。特徴を教えてください。

秋冨 認知行動療法(考え方や受け取り方に働きかけてセルフコントロールしていく治療法)が基本になっていて、布団に入った時間、寝付くまでにかかった時間、起きた時間などを自分で入力して記録していきます。さらにアルコールやカフェインの摂取など、生活習慣や気付いたこともメモして、その日の元気度も記録します。睡眠や生活習慣の乱れと元気度を紐付けることで、その人なりの“いい習慣”に気づいてもらうのが狙いです。

岡島 眠りだけにフォーカスせず、生活習慣や日中の活性度・元気度とも比較する点がポイントですね。「寝付きが悪いから日中の仕事に支障が出ている」と思っていた人が、寝付きが良くても体調が悪い日があることに気づけたりしますね。

秋冨 睡眠と活性度の記録は1ページで収まるように工夫してあるので、自分の生活全般を俯瞰的に知ることができるんです。さらに睡眠に関する専門家のコラムが読めるのが売りで、睡眠衛生の知識も付きます。

岡島 臨床の現場でも、眠れないことへのこだわり過ぎは良くないと感じています。眠れないこと以外の原因でも日中の生活に支障が出ると気付く俯瞰的な視点は大事ですね。ただ、睡眠系のアプリはセンサーなどで眠りの状態を測定して自動的に記録するタイプが主流ですが、御社はどうして手入力にこだわっているのですか?

秋冨 展示会などでもよく聞かれますが、これが認知行動療法のアプローチなんです。寝た時間や起きた時間は何時なのか、寝付くまでに何分かかったのか、今日はアルコールをどのくらい飲んだのか? としっかり思い出して認識することが、生活改善につながります。

岡島 確かに、不眠で悩んでいる人は眠れない時のことは覚えているけれど、眠れた日は調子がいいので覚えていない。でも、両方の情報が得られると比較ができますね。アプリの効果はどのくらいあるのでしょうか?

秋冨 世界標準の睡眠評価法「アテネ不眠尺度」で効果を計っているのですが、4週目で記録を取ると20%の人が寛解したというデータが出ています。まだ課題も多いのですが、アプリで記録をつけただけで2割が改善していることは評価できると思います。

「睡眠日誌」アプリのインターフェイス。質問に回答することで、睡眠情報を簡単に記録でき、結果もシンプルでわかりやすい(出所:NECソリューションイノベータ)

岡島 無料アプリをダウンロードして1カ月記録をつけるだけで2割良くなるなら、利用者の負担も軽いです。試してみる価値は大いにありそうですね。

秋冨 第92回日本産業衛生学会で『睡眠日誌アプリ』の発表が優秀演題賞を受賞したのですが、座長からは「このアプリのように、医学的にエビデンスのある情報を正しく提供しているものは少ない。このようないいアプリがもっと世に広まってほしい」と講評をいただきました。最近は雑誌などで取り上げてもらう機会も増えてきたので、今後は睡眠に興味のなかった層にもアクセスしてもらえるといいなと思っています。

2週間限定で取り組む、企業向け有償アプリを開発中

岡島 『睡眠日誌』から発展して、何かほかに取り組んでいることはありますか?

秋冨 『睡眠日誌』で蓄積したデータや経験値をもとに、今は『睡眠習慣改善アプリ』を研究開発しています。『睡眠日誌』のエッセンスを凝縮させ、効率のいいコンテンツを提供したいと思っています。世の中のアプリは睡眠に限らず、継続しないのが一番の課題なので、2週間で区切って取り組むものです。

NECソリューションイノベータ イノベーションラボラトリ主任 兼 イノベーション戦略本部主任の秋冨穣氏。研究職・データサイエンティストとしてDNA配列の解析やアワビの飼育などを担当したのち、ヘルスケアアプリ担当に

岡島 『睡眠日誌』とはどんな点が違うんですか?

秋冨 『睡眠日誌』は記録をつけて自分の行動を意識し、学習するためのアプリです。一方、『睡眠習慣改善アプリ』では最初に生活習慣のアンケートに答えてもらい、アプリ側がアンケート内容を分析してその人に合った生活習慣改善法を提案します。例えば「朝日を浴びたら寝付きが良くなりますよ」といった複数のアドバイスをするので、その中からできるものを選んで取り組めばOK。同時に睡眠の状況も記録していくと、1週間ごとにフィードバックレポートが出てくる仕組みです。

岡島 フィードバックレポートで問題点を指摘してくれる機能は『睡眠日誌』にもありますよね。

秋冨 『睡眠習慣改善アプリ』は一歩進んで、その人の状況に合わせてアプリがコーチングしてくれるのが特徴です。「朝日を浴びるといい」と言われてもできなかった人には「犬の散歩に行くと朝日を浴びられる」「ゴミ出ししてみたら」といったアドバイスを送り、行動変容をサポートします。並行して、その人に合ったテーマのコラムを発信して、睡眠の知識も付けてもらいます。

岡島 コーチングをもとにプログラムを2週間実施すると、一通り生活習慣が身に付きそうですね。実験では、どのくらいの効果が出ていますか?

秋冨 実証実験では、92人のランダム化比較試験(RCT)で有意なデータが出て、アテネ不眠尺度(AIS)が改善しただけでなく、生産性も上がるというエビデンスが得られました。

岡島 ランダマイズした試験で明確な効果が出たわけですね。いつ頃、世に出るのでしょう。

秋冨 『睡眠日誌』は誰でも無料で使えるアプリですが、『睡眠習慣改善アプリ』は主に企業向けに、有償で提供します。働き方改革が進んできたこともあり、睡眠を改善することで生産性をあげようと考える企業は今後も増えていくはずだからです。早い段階で提供開始できるように取り組んでいます。短期集中でエッセンスがギュッと凝縮した内容なので、処方箋的に使ってもらえるといいですね。

岡島 臨床の場でもそれは重要で「とりあえずやってきて」では、誰もやりません(笑)。でも、「まず1週間やって」だと取り組みやすいし、やれば変わったことに気づくから、次の1週間は自動的に取り組むようになります。「自転車に乗せて連れて行ってあげる」ではなく「自転車に乗れるようにサポートするから、あとは自分の好きなところに行って」というのが認知行動療法の目標ですから。

秋冨 実証実験のデータを見せるといろいろな人に驚かれますが、2週間後より1カ月後、3カ月の方が不眠の改善効果が高いんです。プログラムは2週間だから、その後は何もしていないのに効果が上がっています。セルフコントロールができているということで、まさに狙い通りです。

不眠はうつにも関連する健康の根幹、ゲームやメーカーとの連携の可能性も

岡島 睡眠は健康的な生活の根幹を支えていて、睡眠リズムの乱れはうつや不安にも関係していると分かってきています。例えば、不眠を訴えるうつ病の患者に(1)CBT-D(うつ病の認知行動療法)、(2)CBT-I(睡眠のための認知行動療法)の2種類の治療を試したら、CBT-Iだけで不眠とうつの両方が良くなったというデータもあります。確かに不眠を訴えるうつの人の中にはカウンセリングしてもなかなか効果がないけれど、睡眠が整ってくると徐々にいろいろなことに取り組めるようになるケースがあります。でも、うつの人に「まずは睡眠を整えて」と言ってもなかなか聞いてもらえません。どうすれば「睡眠から始める」ところに納得してもらえるかが課題ですね。

秋冨 睡眠に興味がない人にも「やってみよう」と思わせる流れができて、皆がアプリを使い始めると面白いですね。ポケモンのゲームアプリで、睡眠に関するデータをゲームに活用する「Pokemon Sleep」が発表されました。エンターテインメントを採り入れることも大事ですね。今、『睡眠習慣改善アプリ』には専門家アバターを入れていますが、この人に言われたらやりたくなる、というアバターを選べる仕組みがあってもいいかもしれません。

岡島 好きな動物キャラクターを選べたり、写真をはめ込んだりできるものもいいですね。娘の写真を入れて「パパ、頑張って」と励まされたら、がぜんやる気になるかもしれません(笑)。経済協力開発機構(OECD)の調査では、加盟国の中の睡眠時間の短さは日本と韓国が1位、2位を争っている状況です。日本では不眠で困っている人や潜在的な患者はたくさんいるのに、情報を得る手段はほとんどありません。潜在需要を掘り起こし、軽度な人はアプリで治し、病気の人はクリニックにつなげるなど、正しい睡眠の知識を提供していきたいですね。

秋冨 寝不足の人は寝付きが良いことが多いなど、不眠と寝不足は相反する面があるので寝不足の人は『睡眠習慣アプリ』の対象外と考えていたのですが、残業が多い会社で寝不足の人に聞くと、「夜遅く家に帰って、短時間だけでも寝ようと思うけど眠れない」という不眠の悩みがあることが分かりました。そうなると寝不足の人も対象に入ってくるから、対象者の範囲はさらに広がります。

岡島 自分でアクションを起こすのが認知行動療法のモットーですが、例えば「光を浴びるのが効果的」となったら朝の光を採り入れるのが得意な企業と提携するとか、室温が大事であればエアコンメーカーと手を組むなど、いろいろな分野に広がる可能性がありますね。睡眠は衣食住すべてに関わってくることなので、アプリで睡眠機能を充実させるだけではなく、周辺環境を整えたり企業と連携できたりする余地があるはず。日本全体で睡眠産業を盛り上げていけば、日本に留まらず世界にも広がっていくはずだと考えています。

(タイトル部のImage:tippapatt / popyconcept -stock.adobe.com)