「睡眠を軸に世の中を変えたい」。そんな思いを胸に、2013年に小林孝徳氏はニューロスペースを創業した。「よい眠り」を広めるため、最先端の技術を駆使しさまざまな業界と連携して、睡眠改善プログラムの提供や時差ボケ調整アプリの開発などを進めている。小林氏は、睡眠を通した健康支援、まだ謎の多い睡眠の研究支援などをベースに、人々が互いの睡眠を尊重する風土の醸成を図る考えだ。

右が小林社長。ニューロスペースは東京スカイツリー近く、東京・墨田区のインキュベーション施設「センターオブガレージ」内にある(写真:高山 透、以下同)

デバイスありきではダメ

岡島義氏(以下、敬称略) 小林さんは27歳のときにニューロスペースを創立していますが、なぜ睡眠に注目されたんですか。

小林孝徳氏(以下、敬称略) 僕自身が学生時代から睡眠で苦しんでいて、社会人になって短時間睡眠が続くと記憶が途切れたり、上司のアドバイスをネガティブに捉えてしまったりすることがありました。日本大学医学部の内山真先生の「睡眠障害による経済損失は年3.5兆円」という試算で国民の4~5人に1人が眠りで困っていると分かったので、睡眠を軸にヘルスメンテナンスできる仕組みを作りたいと思ったんです。

岡島 起業に当たって、核とした部分や条件はありましたか。

小林 第1は「素粒子物理の知識を生かせるサイエンスを軸にした事業」。睡眠を正確に測れるデバイスを社会に提供したいと思いました。第2は「社会の根源を変えるようなこと」。当時は睡眠と言えば薬や医療、もしくは寝具の2つの視点しかなかったので、その間を埋める施策で睡眠を変えたかった。第3は「諦めない熱を持てる事業」。この3つを満たせるビジネスを考えて起業しました。

岡島 実体験に基づき知見を生かし、かつ熱くなれる分野で起業されたんですね。とはいえ、2013年だと睡眠市場はまだあまり盛り上がっていませんでしたよね。睡眠でやっていけるという確信があったのでしょうか。

小林 計画性も確信もなかったので(笑)、起業から2年は生活できなくてアルバイトでしのいでいました。でも、実体験に基づいて世の中を変えていきたいと思ったし、投資家の方からも「目のつけどころはいいから、ぜひ継続してほしい」と言われていたから、社会的に意味があることだと自信を持って続けてきました。

ニューロスペース 代表取締役社長 小林孝徳(こばやし・たかのり)氏
1987年⽣まれ、新潟⼤学理学部素粒⼦物理学科卒。 自身の睡眠障害経験を機に睡眠から派生する悩みや社会的ペインに対する問題意識を抱き、2013年にニューロスペースを設立。 大学や医療機関と連携して『法人向け睡眠改善プログラム』を開発し、吉野家やDeNAなど多くの企業に提供している。時差ボケ調整アプリなども開発中で多方面への展開を図っている。戦略的に眠りをデザインすることで日中のパフォーマンスをあげ、誰もがお互いの睡眠を尊重して幸せになれる社会を目指している

岡島 ここ数年で睡眠市場は広がりを見せていますが、その中で御社はデバイスをあくまでツールとして使い、大きな社会実装の発想で多様な企業と連携している点で他社と一線を画していると感じます。単にデバイスを超えて、社会実装に踏み込んだことで、見えてきたことはありますか?

小林 そうですね……。睡眠は無意識のうちに行われる生理現象だから重要さが認識されていないし、皆さんの関心が低いことに驚きました。ちょうど起業したころに「これを使えば睡眠時間を2時間短縮できる」という睡眠グッズが発売されて人気を集めたんです。単相性である人間の睡眠を多相性にでき、30分睡眠をちょくちょくとれば1日を乗り切れるというコンセプトの商品です。

岡島 ウーベルマン型睡眠を活用したやつですよね。デバイスを使うだけで解決するという商法を僕は「だけだけ詐欺」と呼んでいます(笑)。そんなに簡単に睡眠を改善させられるわけないけれど、手軽で安価だと飛びつく人も多いんですよね。

小林 デバイスありきだと怪しげなものが出てくるし、睡眠リテラシーが低いと騙されてしまう危険性があります。なので僕はデバイスありきではなく、それぞれの最適な睡眠のあり方、クロノタイプ、レム・ノンレム睡眠などの特徴といった睡眠のパーソナリティが尊重される文化を作りたい。それを実現するツールとしてデバイスやアプリを提供していきたいと思っています。

「睡眠」という漢字について考えてみたら…

岡島 短時間睡眠のワースト1位の日本が「睡眠をもっと短くしよう」という方向に流れるくらいだから、日本人の意識を「いい睡眠」に向けるのは難しいし、マネタイズするのも難しいですよね。その中で、御社ではどんなビジネスを展開していますか?

小林 例えばデバイスとアプリで一人ひとりに最適なソリューションを提供するものとして「法人向け睡眠改善プログラム」を提供しています。ある企業では睡眠時間や睡眠の深さ、中途覚醒などを計測した睡眠スコアで約80%の人に改善が見られました。睡眠負債が溜まっている社員さんに「休日も起床時間を揃える」とアドバイスして意識づけを図りながら行動改善してもらったら「20年ぶりに朝の食欲が湧いて朝食を食べられた」と喜んでくれました。

2019年7月に「東京メトログループ健康宣言」を制定し、そのなかで社員の「睡眠の質の向上」を掲げている東京メトロ。同9月からニューロスペースの「法人向け睡眠改善プログラム」を採用する(出所:ニューロスペース)

岡島 80%ですか!それは衝撃的な数値だし、実生活でそれだけの改善がみられるとうれしいですね。ほかにはどんな業種で導入されているのでしょうか。

小林 シフト勤務で働く飲食店店長、夜勤のある工場の方、航空産業で時差ボケになる人など様々な業種・職種で実施しています。たとえば飲食店だと勤務時間がバラバラで“体は疲れているが寝たい時に寝られない”という悩みがあるので、最初にデバイスを活用して客観データをとって企業特有の悩みを分析しています。寝る時間を固定することはできないから、例えば筋弛緩法的なリラクゼーションなどのアドバイスをしてリラックスして寝つかせる方法をアドバイスしています。

岡島 企業や働き方に合わせてアドバイスしているわけですね。ただ、パーソナライズするのは難しくないですか? 「あなたは朝型だから夜勤はやめましょう」と提言しちゃうと不公平感が生まれそうです。

小林 そこ、すごく重要なところです! 我々のプログラムは企業と伴走型なんですよ。だって、睡眠って残業とかシフトの急な変更といった外的要因、複合的要因に左右されるから、企業や上司や同僚がお互いの睡眠を尊重する仕組みを作っていかないと根本的には解決しないですからね。

岡島 具体的にはどんなアプローチをするんですか?

小林 プログラムの中間地点で集まってもらい、効果があったアドバイスや難しかったことなどをシェアするグループワークを行います。動機付けがよりモチベートされてソリューションの継続につながるし、その中には上司もいるから“睡眠時間を確保するためにどんな工夫ができるか”を企業として考えられるようになります。

岡島 それはいいですね。会社と人の両方を同時に動かしていくのは理想的です。そんな風に考えるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

小林 きっかけとは少し違いますが、睡眠という漢字について考えてみたんですよ。「睡」は“目が垂れる現象”と解釈できます。そして「眠」の字のつくり「民」を調べると、“会社組織など他から介入されるべきでない個人の権利”という意味がありました。まさにこれだ!と思いましたね。睡眠障害は“皆を巻き込んで目が垂れるような状態”を作れば解消できるんです。睡眠は“犠牲にされてはいけない重要な権利”という語源を持っているのだから、皆で実現していいはずだ、と自信を持てました。

岡島 なるほど! 僕も講演でその話、使わせてもらいますね(笑)。確かに睡眠は権利とも言えますね。それに最近の研究で、睡眠不足が思考の乱れにつながり、痛みの感覚が増すことも分かりました。睡眠と心身の痛みが関係することを体験できる仕組みがあれば、行動変容に結びつくきっかけになると思います。その点では、御社が先頭を走っていて他の追随を許さない状況ですが、今後はどんな方向を目指していますか?

小林 例えば、アスリートはいい眠りが取れると練習が体に記憶されたり、イヤなことを忘れられたりします。戦略的に眠りをデザインすれば、その人の可能性やポテンシャルはもっと広がる。いい睡眠をとれた10年後の自分と、短時間睡眠だった10年後の自分は明らかに違います。睡眠のパーソナリティを自覚して、家族や会社なども含めて互いに尊重していける社会を作りたいんです。

岡島 『pay forward』というアメリカ映画(2000年)は、「世の中をよくするために何をしたらいいか」という課題に対して生徒がpay forward(受けた恩を別の人に贈る)という解決策を考えた心温まる話でした。そんなふうに、1人が睡眠の知識を得て改善の取り組みをして家族に伝え、家族が親戚や友達に伝え…そうしていけば睡眠が大事だというムーブメントが起こりますね。

さまざまな業界と提携しデータの集積進める

小林 我々はさらに踏み込んで、データを収集して睡眠改善という価値も提供しながら、睡眠自体も解明していきたいんです。眠りの分子メカニズムはまだ分かっていないから、動物を使った基礎研究とは違った側面、つまり人間にアプローチして睡眠のサイエンスにも貢献していきたいと考えています。CTOの佐藤は研究員としてアカデミアに所属していたので、設計時点で「サイエンス的にあり得ない」と生物学的観点や工学的アプローチで方向性を正してくれるのも強みです。

さまざま睡眠データの蓄積を進める小林社長とCTOの佐藤氏(写真:高山 透)

岡島 御社では、イスラエルのIoTヘルスケア機器ベンチャーEarlySense社のデバイスを使っていますね。マットレスの下に敷くだけで睡眠中の心拍・体動・呼吸をセンサーで感知できる。ポリソムノグラフィ(PSG)検査との一致率が92%という、その精度の高さに驚きました。僕も使ってみましたが、寝心地にはまったく支障がありませんでした。一過性の流行で終わらせないためには、正確なデータを取ることは大事ですね。

寝具の下に睡眠センサーをセットして、スマホのアプリで測定した睡眠データを管理。睡眠改善のアドバイスが受けられる(出所:ニューロスペース)

小林 だからこそ、いろいろな業界と提携して睡眠にまつわる価値を提供しつつデータを集積していきたいんです。睡眠は解明されていないことが多すぎてエビデンスが少ないので、既存のエビデンスだけを元にサービスをしようとすると何もできない。安全性を担保しながらエビデンスを作っていくというのが今必要なアプローチですね。

時差ボケ調整アプリは2020年4月にローンチ目指す

岡島 今後はどのような事業展開を考えていますか?

小林 現在はANAと提携して、光や刺激をあてることで体内リズムを調整し、時差ボケを軽減できるプロダクトを開発中で、社員でカリフォルニアに行く時にアプリを試したら、時差ボケで現地や帰国後のパフォーマンスをずっと維持することができました。2020年4月にローンチを目指しています。また、KDDIとスマートホーム事業にも取り組んでいます。ビックカメラでもEarlySense社のデバイスと連動したサービスを販売しており、アプリの開発、睡眠の解析、アドバイス提供には弊社のアルゴリズムが使われています。

時差ボケを伴う海外渡航者向けの時差ボケ調整アプリをANAと共同開発(出所:ニューロスペース)

岡島 BtoBもあればBtoCもあり、幅広い事業展開ですね。しっかりしたコンセプトと技術があるからこそ、多くの人や企業が興味を持ってくれるし、連携することで相乗効果も生まれています。小林さんと話しているとワクワクしてきて、技術だけでなくいろいろな企業の方に「一緒に組んでみたい」と思わせる魅力があると感じます。世界中に睡眠で悩む人は多いと思うから、敵は日本にあらず! 国内で競合しないようにタッグを組み、世界に発信できると面白いですね。今後の御社の展開がますます楽しみです!

東京家政大学 人文学部心理カウンセリング学科准教授 睡眠行動科学研究室 岡島 義(おかじま・いさ)氏
日本大学文理学部心理学科卒業。北海道医療大学大学院心理科学研究科博士課程修了(博士〔臨床心理学〕)。公益財団法人神経研究所附属睡眠学センター研究員、東京医科大学睡眠学講座兼任助教、医療法人社団絹和会睡眠総合ケアクリニック代々木、早稲田大学人間科学学術院助教などを経て2018年より現職。毎日8~9時間睡眠をとると快調だと気づき、夜9時に寝て朝5時ごろ起きる生活を続けている(写真:高山 透)

(タイトル部のImage:tippapatt / popyconcept -stock.adobe.com)