湯につかり、美味をいただき、癒やされる。もてなされる。宿で過ごす際の表現は、一般的に受動態を使うことが多い。しかしながら新潟県南魚沼市の温泉宿「里山十帖」では「体験と発見こそが、真の贅沢」と唱う。すなわち、ただ流れに身をまかせるだけではなく、何かしら気づいて帰って欲しいう姿勢を前面に打ち出している。ウェルネスという言葉は使っていないものの、それはこれまでご紹介してきたライフスタイルの行動変容へとつながる旅に共通するのではないか。そんな思いから南魚沼を訪れ、宿を運営する「自遊人」の代表取締役・岩佐十良氏にお話を伺った。

メディアとしてメッセージを発信する宿

自遊人代表取締役の岩佐十良氏は、武蔵野美術大学でインテリアデザインを専攻。里山十帖のリノベーションを含めた同社施設の空間デザインも担ってきた。里山十帖ほか自遊人が運営する施設のコンセプトや活動については、ウェブサイトでご確認を。<a href="https://jiyujin.co.jp/">https://jiyujin.co.jp/</a>(写真提供:自遊人)
自遊人代表取締役の岩佐十良氏は、武蔵野美術大学でインテリアデザインを専攻。里山十帖のリノベーションを含めた同社施設の空間デザインも担ってきた。里山十帖ほか自遊人が運営する施設のコンセプトや活動については、ウェブサイトでご確認を。https://jiyujin.co.jp/(写真提供:自遊人)
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 「自遊人」はもともと2000年に同名の雑誌を創刊した出版社であり、岩佐氏はその編集長を務める。同誌では食や環境問題などに関連した健やかなライフスタイルを時代に先駆けて提案し、2002年にはオーガニックフードの販売を開始。やがて新潟県内で米作りを手掛けるようになり、2006年には拠点を南魚沼市に移転。農業生産法人として「自遊人ファーム」を設立するなど、多角的な展開を進めてきた。

 里山十帖のオープンは2014年のこと。廃業する旅館を引き継ぎ、築約150年の母屋を含め、2年間を費やした全館リノベーションから始まった。古民家の再活用、化学調味料は一切使用しない、地元の旬の食材に徹底するのはもちろん発酵食や保存食といった地域の伝統的な食文化に着目、リネンやアメニティは環境に配慮するなど、当時としてはまだ稀な取り組みが関心を集めた。

雑誌「自遊人」は視点や切り口が先駆的なため、バックナンバーを読み返しても得るもの、感じることは多い(写真:松隈 直樹、以下同)
雑誌「自遊人」は視点や切り口が先駆的なため、バックナンバーを読み返しても得るもの、感じることは多い(写真:松隈 直樹、以下同)
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 宿には特産品を売るコーナーがつきものだが、館内のショップに並ぶのはいわゆる土産物ではなく、調味料から食器、調理器具、リネン類、果ては調度品まで里山十帖で実際に触れられるものや使われているもの。滞在中に気に入れば購入できる、いわば宿そのものがメディアの役割を果たしているのも特徴だ。

 さらには、客室からダイニングまで、長文のメッセージが用意され、宿の考え方を伝える努力が重ねられている。よく見かける事務的、もしくは広告的な文章ではなく、コンセプトと楽しみ方の指南を岩佐氏自らが丁寧に綴った読み応えのある内容だ。

古民家をリノベーションした、里山十帖のレセプション棟。この空間をはじめ館内にはアートも数多く展示されている。「湯処 天の川」の露天風呂の前に広がるのは、自然の絶景。芸術、自然もまた、なにかしらの発見につながる扉となる
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古民家をリノベーションした、里山十帖のレセプション棟。この空間をはじめ館内にはアートも数多く展示されている。「湯処 天の川」の露天風呂の前に広がるのは、自然の絶景。芸術、自然もまた、なにかしらの発見につながる扉となる
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古民家をリノベーションした、里山十帖のレセプション棟。この空間をはじめ館内にはアートも数多く展示されている。「湯処 天の川」の露天風呂の前に広がるのは、自然の絶景。芸術、自然もまた、なにかしらの発見につながる扉となる
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古民家をリノベーションした、里山十帖のレセプション棟。この空間をはじめ館内にはアートも数多く展示されている。「湯処 天の川」の露天風呂の前に広がるのは、自然の絶景。芸術、自然もまた、なにかしらの発見につながる扉となる
客室はそれぞれしつらいが異なるが、いずれもシンプルなつくりに和む。冷蔵庫には水とお茶が用意されているが、ペットボトルの姿はない
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客室はそれぞれしつらいが異なるが、いずれもシンプルなつくりに和む。冷蔵庫には水とお茶が用意されているが、ペットボトルの姿はない
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客室はそれぞれしつらいが異なるが、いずれもシンプルなつくりに和む。冷蔵庫には水とお茶が用意されているが、ペットボトルの姿はない

時代とともに深まるその取り組みへの理解

 「僕たちの取り組みやコンセプトはご説明しないと伝わらない部分がある一方、語り過ぎや先走りが過ぎると、逆にご理解いただけなくなってしまう。押しつけがましくなってもいけません。どこまで書けばいいのか、時代の状況やバランスを見ながら調整し、少しずつ文脈や文面を変えてきました」

 洗面所にも、アメニティは最小限の揃えであり、使用後は持ち帰って自宅で再利用して欲しいと書かれたメッセージが置かれている。

 「開業当初は、ほかの宿泊施設のアメニティと比べるお客さまもいらしたのですが、環境への問題意識は一般の方にも浸透してきています。また2022年4月1日からプラスチック資源循環促進法が施行されたこともあり、そろそろ文面をより踏み込んだ内容に変えていこうと思っているところです」

 里山十帖をはじめ自遊人の活動の根底にあるのは、心と体の健康だ。

 「人間にとって当たり前に必要なことですが、それを体験、体感をしていただく施設が里山十帖であり、リネンを含め使用する素材は環境負荷がかからないものという点まで含めて、何がしかを感じていただきたいというのが僕たちの考えです」

 コロナ禍で中断を余儀なくされたが、自社田での田植えや稲刈りなど農業体験にも多くの応募があり、取り組みへの理解は確実に深まっていると岩佐氏は話す。

 「時代の流れは明らかに、僕たちが歩む方向に進んでいると思っています。おこがましい言い方かもしれませんが、時代が追いついてきているという感じでしょうか。ですから改善を重ね、やりたいことを以前にも増してできるようになってきました。リーマンショックや東日本大震災、さらにはコロナ禍といったできごとはあったものの、それらは大河の中のきっかけでしかないと考えています」

宿泊者以外も利用できるショップは広々としたスペースが取られており、リビング、ベッドルーム、キッチンなど、日常の空間に思いを馳せながら買い物ができる多種多様な商品が揃う
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宿泊者以外も利用できるショップは広々としたスペースが取られており、リビング、ベッドルーム、キッチンなど、日常の空間に思いを馳せながら買い物ができる多種多様な商品が揃う
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宿泊者以外も利用できるショップは広々としたスペースが取られており、リビング、ベッドルーム、キッチンなど、日常の空間に思いを馳せながら買い物ができる多種多様な商品が揃う
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宿泊者以外も利用できるショップは広々としたスペースが取られており、リビング、ベッドルーム、キッチンなど、日常の空間に思いを馳せながら買い物ができる多種多様な商品が揃う

伝えたいことにはコストを惜しまず

 たとえなんら意識を持たずに訪れた客も、あちらこちらに用意されたメッセージに触れれば、なにかに気づいたり疑問を持ったりと新たな扉が開く。筆者にとっては今回、1本の歯ブラシとの出合いが日常に小さいながらも変化をもたらした。孟宗竹と馬毛の100%自然素材使用により「土に還る」という、文面に目を留めたがゆえのことだ。接着剤を使っていないため最初は毛が抜け、1週間ほどで安定する……という、正直な告白も気になった。

 実はここ10年以上、洗面所での必需品はシャンプーを含めて愛用のものを携帯し、興味を引かれた基礎化粧品以外、宿で用意されたアメニティには一切手を触れてこなかった。環境問題云々というよりも、ひと晩きりでゴミ箱行きになる運命がどうにも切なく思えていたからだ。なのに説明を読みながら思わず開封し、使用してすぐそのやわらかな感覚に魅了された。自宅でも使いたいと向かったショップでは、1000円を超えるその価格に驚いたものの、迷わず財布の紐を緩めたほど心を奪われていた。

 「台湾に住む僕の友人が、育ちすぎた竹林が荒れて環境破壊をもたらす状況を見て資源化に取り組み、コップや箸など竹製品などの製造を手掛けているのを知り、その一環として世界で初めて竹製の歯ブラシをつくってもらいました。ひとつひとつ手作業なので価格は張りますが、ぜひ知っていただきたいと思っている品なんです」

 岩佐氏からそんな背景を聞いたのは、購入後のこと。伝えたい、広めたいモノ、コトに関しては、コストを考えずに提案する度量を感慨深く思った。結果的に滞在から1カ月が過ぎた現在も、里山十帖の洗面所で開封した歯ブラシはそのままへたれることなく活躍中だ。あのメッセージがなければ、なにも考えることなくふつうにプラスチック製の歯ブラシを使っていたことだろう。

 「僕たちはローカル・ガストロノミー(地域の風土と歴史、文化を料理に表現すること)を提唱し、世間にも浸透しつつありますが、それに関してはもう一歩踏み込み、先に進んだ発信をしたいと思っています」と岩佐氏が話す食に関する姿勢については次回、お伝えしたい。

ときにユーモアを交えながらきちんとコンセプトを語る客室のファイルと、食に対する真摯な姿勢が綴られた夕食時に卓上に用意される案内
ときにユーモアを交えながらきちんとコンセプトを語る客室のファイルと、食に対する真摯な姿勢が綴られた夕食時に卓上に用意される案内
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使い始めに毛が抜ける歯ブラシへの反応は賛否両論あるそうだが、筆者の場合は小回りがきく形状も気に入っている。中央は温泉水と米ぬかでつくった、オリジナルの石けん。肌がつるんとなり、こちらも自宅で愛用中
使い始めに毛が抜ける歯ブラシへの反応は賛否両論あるそうだが、筆者の場合は小回りがきく形状も気に入っている。中央は温泉水と米ぬかでつくった、オリジナルの石けん。肌がつるんとなり、こちらも自宅で愛用中
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(タイトル部のImage:松隈 直樹)