古代の医学書は原石の宝庫

 西洋医学を学んできたツィム教授にとって、2000年近く前の古代の医学書に記された製薬方法や処方箋が示す正確性は驚異だった。

 「中医学のグローバライゼーションのためには、西洋医学の方法論を用いて、これらのメカニズムを解析していかなければ」と自らの使命を悟ったという。

 歴史に裏打ちされた処方の水準の高さを示す最高の例が、2015年にマラリア特効薬となるアルテミシニンの抽出により、中国人として初めてノーベル医学・生理学賞を受賞したトゥ・ヨウヨウ氏だ。

 「ヨモギの一種である漢方薬の青蒿(クソニンジン)から抽出されるアルテミニシンが、マラリアに効く可能性があることは長く語られていたが、非常に不安定で有効成分の抽出が困難なため、実現できなかった。ヨウヨウ氏が着目したのは、約1700年前に医学者の葛洪が記したマラリアを治す16種の方法の1つだった」

 「葛洪(283~343年)は、道教思想、医学、化学など多方面で名を成した天才で、中国のダ・ヴィンチ的存在」とツィム教授。「西洋医学では、有効成分抽出にはエタノールを使い、原料を高温で扱うのが一般的。ところが青蒿はアルコールと高温に弱い。葛洪が勧める冷水を使った古代の抽出方法に忠実に従うことで、ヨウヨウ氏はマラリア特効薬の開発に成功した」

 「中医学と西洋医学の融合は、実は最近始まったことではない。アルテミニシンの他にも、抗アルツハイマー薬のガランタミンや、乳がん、子宮がん、肺がんに処方されるパクリテキセルは、漢方薬として使われてきた薬草由来の成分だ。最近では癌患者への化学療法での副作用緩和に芍薬甘草湯が使用されている。西洋医学では、1970年代頃に多数の人工的な化学物質を開発したものの、自然に存在しない成分は人体への有毒性が強く、肝臓に害が及ぶ副作用が問題になった。それ以降、天然植物を薬の原料として考える傾向が強まり、中医学由来成分にも注目が集まってきた」

ツィム教授の実験室で研究に使われている漢方薬剤。現在ほとんどの薬剤は、原産地も購入者も中国本土だが、香港での品質管理を通してパッケージングされることで信頼が高まるとして、香港は漢方薬の輸出入貿易で重要な地位を保っている(写真:筆者が撮影)

 「1つの成分に集中する西洋薬は、バイオリニストやピアニストなど、1人の音楽家によるソロ演奏。成分の効能や副作用がはっきりと分かる。一方、漢方薬には1000以上の化学成分が含まれることもあり、まさにオーケストラのようなもの。全体として効能があることは科学的に証明できても、1成分を除いた全体への効能の変化は明確にはならず、どの成分がどう作用するかというメカニズムを説明するのが難しい。これを西洋医学と同じ枠組みで証明するには、1000以上ある成分の中で唯一、無くなると成り立たなくなる『オーケストラの指揮者』となる主成分を特定しなければならない」

 まったく成り立ちが違う東西医学をすり合わせるのは、想像以上に難しい作業だということに気づかされた。