香港に根付く中医学。前回「中国4000年の歴史を持つ『中医学』の本当の実力」は、東西の医学に通じているHKUST(香港科技大学)生命科学部のカール・ツィム教授に、まったく異なる成り立ちと性質を持つ東西医学の違いと、意外なところで接点を持つ両者のつながりについて、詳しく説明していただいた。

2回目の今回は、中医学で使われる漢方薬成分と、西洋伝統の民間療法であるアロマセラピーを組み合わせることで生まれた、抗コロナウイルス機能を持つマスク用パッチを中心に、中医学と漢方薬の新たな可能性を探っていこう。

視点を変えて見つける新たな活用

 医学書はもちろん、哲学書や小説など、過去4000年にわたり様々な文献を検証して漢方薬の変遷を見てきたツィム教授。その時代の中国人の経済状況が、漢方薬の処方にも大きく影響してきたことは、前回も紹介した。

HKUSTの実験室で漢方薬の研究を続けるカール・ツィム教授。HKUSTは2021年度世界大学ランキング27位の超一流大学だ(写真:筆者が撮影)
HKUSTの実験室で漢方薬の研究を続けるカール・ツィム教授。HKUSTは2021年度世界大学ランキング27位の超一流大学だ(写真:筆者が撮影)
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 「過去にないほど中国人が豊かになった現代では、ほとんどの薬草は、薬用成分が最も濃厚な根の部分しか利用されない。だが廃棄処分になる葉や茎にも、根ほどではないにしても同じ成分が含まれている。これを有効活用する術はないかと考えた」

 ツィム教授が手を組んだのが、広東料理の代表的な魚であるガルーパ(石斑)の養殖場。

 「養殖魚と言えば、経済効率のために抗生物質漬けにされがち。香港のレストランのために魚を育てている中国・シンセンにある養殖場で、漢方薬草の余った葉や茎を原料にした天然の抗生物質を使った養殖を実験的に行っている」

 そんなアイデアの宝庫であるツィム教授が昨年から取り組んでいるのが、アロマセラピーと中医学の融合。ツィム教授と共同開発をしているアロマセラピストでキャット・レイ・ウェルネス創業者のキャット・レイ氏にもインタビューに加わっていただいた。

漢方薬からの抽出成分でコロナ感染防止

 2020年初頭にコロナ禍が始まってから、コロナウイルスに対して何らかの効能がある漢方薬を調査してほしいとの依頼を政府から受けたというツィム教授。多数の薬草を研究した結果、シナモン、ウツボカズラ、クローブなど13種類の薬草由来成分を割り出した。

 「コロナウイルスの表面にはスパイクタンパク質と呼ばれる突起があり、これが呼吸器系の細胞表面にあるACE2受容体(アンジオテンシン変換酵素II)と結合することで人体に侵入する。特定の漢方薬成分には、スパイクとACE2を包み込む機能があり、物理的に両者の結合を阻止できることを証明できた」とツィム教授。

漢方薬由来の成分が、コロナウィルスの細胞内への侵入を防ぐ作用原理を解説した資料。 左上紫の突起がスパイクタンパク質だ。資料提供:カール・ツィム教授
漢方薬由来の成分が、コロナウィルスの細胞内への侵入を防ぐ作用原理を解説した資料。 左上紫の突起がスパイクタンパク質だ。資料提供:カール・ツィム教授
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 この研究結果を活用した製品をつくることで、人々の助けになりつつ、漢方薬の応用範囲の広さを世に示すこともできる。しかしコロナのようなパンデミックに限定した商業製品の開発には、大きなリスクがある。

ツィム教授との共同開発で活躍するキャット・レイ氏
ツィム教授との共同開発で活躍するキャット・レイ氏
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 「医薬品として販売するには、香港では食物及衛生局から承認される必要があり、多数の検査を経るため、市場に出るまで平均3年はかかる。その頃には抗コロナのニーズがなくなっている可能性が高い。そこで考えたのがウェルネス業界との協力だった」

 ツィム教授が「アロマセラピーとの融合を進めれば、迅速に製品化して市場に出せる」と声をかけたのが、知人を通して知り合ったレイ氏。自らのブランドを立ち上げて、従来のアロマセラピーの範疇を越えた商品やサービス開発に精力的に取り組んでいる人物だ。

5種類のマスク用パッチの誕生

 教授がアロマセラピーに白羽の矢を立てた理由は他にもある。

 「ディフューザーを使ってエッセンシャルオイルを吸入するように、ハーブの効能を体に取り込むアロマセラピーのメソッドを用いて漢方成分を吸入できれば、漢方薬成分を呼吸器系に直接作用させることができるはず。さらにエッセンシャルオイル自体の効能が加わることもプラスの要素だ」

 教授はアロマセラピーのメソッドを使えるように、高揮発性を持たせた特殊な漢方薬オイルを開発し、2020年11月に香港・中国で特許を取得。

 レイ氏は、「アロマセラピストとして、ツィム教授が提示した13種類の漢方薬のうち、どれを何%使うか。どのエッセンシャルオイルとミックスするか。どのように自社製品に漢方薬オイルを取り入れるのか。持続時間はどの程度必要か。あらゆる課題を教授のチームと協力して解明していく必要があった」と振り返る。

 「最重要視したのは、様々な調整や工夫を行いながらも、ツィム教授が開発した機能や効能がそのまま残ること。その上にアロマセラピーならではの機能や効能が加えられるように気を配った」とレイ氏。

 そのように、2人の持つ異分野の専門知識を合わせて練り上げ、生まれた製品が、「抗コロナウイルスの漢方薬+アロマセラピーのエッセンシャルオイルを含ませたマスク用パッチ」だ。マスクの表面に貼り付けることで、主に鼻から漢方薬オイルとエッセンシャルオイルの成分が吸入される。アロマセラピーの効能によって「リフレッシュ」「リラックス」「集中」「蚊よけ」「子供でも使用可能なマイルド」の5種類が開発された。

抗コロナウィルス・アロマセラピーパッチ。下からリフレッシュ、リラックス、集中、蚊よけ、マイルド。1個12枚入りで59香港ドル(約850円)
抗コロナウィルス・アロマセラピーパッチ。下からリフレッシュ、リラックス、集中、蚊よけ、マイルド。1個12枚入りで59香港ドル(約850円)
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香港で人気のB.Duckを入れたキャラ入りのタイプも
香港で人気のB.Duckを入れたキャラ入りのタイプも
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 香港では、外出時のマスク着用が義務化されているため、真夏には湿度100%も珍しくない高温多湿でもマスクを手放すことができない。実際にパッチを貼ったマスクをして外出すると、呼吸もしやすく非常に快適な上に、コロナ感染の危険性が軽減されると考えると安心感も高い。さらにレイ氏のショップで販売するマスク本体も、三層のサージカルタイプにアロマセラピーオイルを含ませたもので、これにパッチを貼り付けることで快適度が格段に高まる。

レイ氏のブランド「KAT LAI DK Aromatherapy」のオリジナルマスクは、中医学の基本である火、水、木、金、土の五行要素に合わせてブレンドしたエッセンシャルオイルを染みこませており、色もそれぞれの要素を示している。10枚入り59香港ドル
レイ氏のブランド「KAT LAI DK Aromatherapy」のオリジナルマスクは、中医学の基本である火、水、木、金、土の五行要素に合わせてブレンドしたエッセンシャルオイルを染みこませており、色もそれぞれの要素を示している。10枚入り59香港ドル
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製品化の思わぬ障壁

 しかし、ツィム教授の研究成果を製品にするために動き出したレイ氏は、意外なところで壁にぶつかったと言う。

 「マスクに貼り付けるパッチという一見単純そうなものに、こんな手間がかかったとは誰も想像できないはず」とレイ氏が言うように、半年間で4カ所も工場を変えて試行錯誤を続けたという。

 「衣服の布地に貼り付けるシールは製法が確立されていたけれども、マスクにシールを貼ろうという人は今までいなかったため、参照できるリサーチがなかった。しかも、中には複雑なフォーミュラのオイルを含ませている。ちゃんと貼り付くこと、簡単に剥がれないことを確実にするために、工場を渡り歩き試行錯誤を繰り返した。今でも完全に満足いているわけではなく、質を向上させるべく努力を続けている」

マグネット式マスク用ディフューザーは7月から発売開始。円形の使い捨ての綿に抗コロナウィルスのオイルを垂らしてケース内に入れて、マスクに取り付ける
マグネット式マスク用ディフューザーは7月から発売開始。円形の使い捨ての綿に抗コロナウィルスのオイルを垂らしてケース内に入れて、マスクに取り付ける
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香港のスーパーモデルであるユーニス・チャン氏も、#MillionSmileHKに参加して、SNSに写真をアップ(写真提供:Eunis Chan)
香港のスーパーモデルであるユーニス・チャン氏も、#MillionSmileHKに参加して、SNSに写真をアップ(写真提供:Eunis Chan)
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 レイ氏の事業方針は「事業と社会で価値を共有し、愛と笑顔を送る」。その意図を反映させた社会貢献事業として、「#MillionSmileHK(100万の笑顔)」をSNS上で展開している。

 「企業による1000枚以上の購入、個人による200枚以上の購入で、同じ枚数のパッチがNGOに寄付される事業。自分が着用している姿をFBページなどSNSにアップしてもらい、100万人の笑顔の写真を集めたら、ギネスブックへの記録登録を申請する予定だ」

「アロマ+漢方」にCBDも加えた新製品

 需要のある期間が読めないコロナ関連製品とは別に、長期的展望でツィム教授とレイ氏が共同研究開発を続け、現在テスト段階を迎えている製品がある。アロマセラピーと漢方薬に、今話題のCBD(カンナビジオール)も融合させたオイルだ。

 「大麻の有毒成分であるTHCを取り除いたCBDは、ストレス緩和、不安感の軽減、不眠解消などの効果があることが科学的に証明されている。中医学との組み合わせは新奇なものに聞こえるかもしれないが、大麻の種である『火麻仁』は伝統的に漢方薬や食材として存在するもので、両者の親和性は高い。火麻仁は、香港の火鍋レストランで当たり前のトッピングとして使われている」とツィム教授。

 このオイルは、レイ氏が手掛けたモバイルアプリと連携した新型アロマポッドに入れて使用する。2022年末の完成を目指しており、最初のターゲットはADHDや自閉症の児童。その後、鬱や不眠に悩む大人を対象にしたバージョンも発売予定で、現在投資家を募っているところだ。

レイ氏が開発した携帯用アロマポッド。火や水不要の特殊カプセルを使ったエッセンシャルオイル用ディフューザーになっている
レイ氏が開発した携帯用アロマポッド。火や水不要の特殊カプセルを使ったエッセンシャルオイル用ディフューザーになっている
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 このプロジェクトには、HKUSTに加え、香港教育大学、有名運動心理学者も参加している。顔認知付きモバイルアプリでアロマポッドと連携して呼吸練習を行うと、バイオフィードバックを使ってただちに結果が表示され、アプリ内で使える報酬を受け取るというゲーム感覚の使い方も取り入れられている。「エンドルフィンやドーパミンなどの幸せホルモンの分泌を促すのも狙いの1つだ」とレイ氏。

 中医学や漢方薬は、アロマセラピーと組み合わせることで、より洗練されたライフスタイルコンセプトとして受け入れられていく可能性が高まることも十分あり得るとレイ氏は予想する。

 東西の垣根を軽々と越える柔軟な発想で、中医学の知恵を現代の生活のより広い範囲に生かしていこうというツィム教授とレイ氏。今後の研究開発の成果を楽しみに見守りたい。

(タイトル部のImage:筆者が撮影)