ゲノム医療に限らず、様々な分野の新しい技術は、研究から実用・商用化されるものが多い。ただ、産学連携や大学発ベンチャーが実を結ぶ確率は低く、研究と実用・商用化との間には、「死の谷」と呼ばれる大きなギャップが存在するのも事実。今回は、この谷をユーザーエクスペリエンス(UX)の視点から考えてみよう。

研究とアートにおける谷

 以前、私が大学で研究をしていた頃、アカデミックのアウトプットとパブリックのアウトプットとのギャップを感じたエビソードから紹介しよう。

 当時、複数の研究室と合同でアートの展覧会を行った。2009年に羽田空港で1カ月間(一部は3カ月強)開催した「Digital Public Art in Haneda Airport 「空気の港」~テクノロジー×空気で感じる新しい世界~ 」展1,2)である。アーティストの鈴木康広さん3)とコラボレーションした展覧会で、羽田空港施設全域に体験型の作品を設置し、空港を利用する方に体験してもらう企画であった。この中で、複数の研究室のメンバーと鈴木さんと一緒に、作品を創り上げていく作業を行った。このプロジェクトは「デジタルパブリックアート」と名前からも想像できるように、情報技術を用いたアート作品を公共の場所に展示し、その場所をたまたま訪れた方に体験してもらう実証研究であった。

1)Digital Public Art in Haneda Airport「空気の港」~テクノロジー×空気で感じる新しい世界~開催
2)researchmap 西村 邦裕
3)MABATAKI NOTE

 この作品制作の際に感じた点の一つが、研究のアウトプットと展示用アートとのギャップである。すなわち、「研究室で担当者が動かして見せるためのシステム」と、「約1カ月にわたる公共の場で動かし、かつ、多くの方の目に触れ、体験していただくためのシステム」とのギャップである。単純に担当者が操作あるいは補助していて、その場でデモンストレーションをするシステムと、誰も操作せずに自動で起動し、来ていただいた方に初めて触ってもらうシステムとの間には、想定も準備も大きく異なる。基本動作は同じであっても、その後、体験してもらうためのブラッシュアップが必要となる。さらに、研究として仕組みを見せて分かってもらうことを目的とした場合と、アート作品として成立させる場合とでも、文脈が大きく異なる。

 このように、体験型の研究発表をすることと、アートの作品として成立させることの間には、近い部分はあるものの出口が異なるため、作り込みや安定性、体験の仕方、見せ方などの点で大きな差があることを実感した。そのため、展覧会の作品制作の際には、ゴールを展示と置き、いわゆる研究活動とは異なる開発や実装も含めて行い、様々な研究室のメンバーと一緒に制作をしていき、なんとかそのギャップを埋めようと努力したことを記憶している。

研究と実用化における谷

 このアカデミックの研究とアートとのギャップと同じようなことが、科学技術における研究と実用化、商用化における間にも存在すると感じている。一般的に産学連携においては、基礎研究と市場に出す製品との間の「死の谷」が存在するといわれており、それと近いものだろう。

<b>図1●フォーミュラカーと商用車のギャップ</b>(出所:テンクー、図2も)
図1●フォーミュラカーと商用車のギャップ(出所:テンクー、図2も)
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 比喩として自動車技術を取り上げ、モータースポーツのフォーミュラ1(F1)で考えてみる。フォーミュラカーを作って、その専用のドライバーが乗り運転し、最高速度のチャンピオンデータを取り、それをまとめて知見として発表する。こうしたフォーミュラカーの開発では、専用のシステムを開発し、そのシステムを操作する人は決まっており、その中で最高性能がきちんと出せ、データを出し、適切にまとめ実証すればよい。

 一方、商用車を考えると、誰もが運転でき、安全に乗れ、フォーミュラカーほどの最高速度は出ないが、安定して時速100kmではきちんと走れるようにする必要がある。走れることは必須であるが、開発において、重要視されるのは最高速度を出すことではなく、安定性や安全性、操作性など、社会の中で実際に使う際に必須となる品質に関わるところが重要になる。もちろんフォーミュラカーで開発した要素技術は使うものの、商用車の設計はフォーミュラカーとは同じではなく、商用車を想定してアレンジして設計し、最適化して品質を確認しつつ、商品として成り立たせていく。

 フォーミュラカーと同じような位置付けにあるのが研究であり、商用車と同じような位置付けに実用化したシステムがあると考えてみる。商用車には商用車に適した設計、システムの最適化が必要となるのと同じように、実用化するためのシステムにおいても、そのための設計と最適化、品質管理が必要となるだろう。研究で論文化されたり実証されたシステムであっても、誰でも操作可能、安定性向上、利用目的と場所に応じた最適化が必要となるだろう。

 このようにフォーミュラカーと商用車の違いのように、研究から実用化するのにも同じようなギャップがあり、そこを実用化、商品化の際には埋めていく必要があるのではないかと感じている。

<b>図2●研究と実用・商用化とのギャップ</b>
図2●研究と実用・商用化とのギャップ
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研究から医療に入ったゲノム医療

 ゲノム研究の基礎となった「ヒトゲノム計画」は、1990年に米国政府のファンディングにより始まり、2003年に完了している。2003年は1953年のワトソンとクリックのDNA二重らせん構造の発見からちょうど50年目である。

 そして、その後もゲノム関連の研究は進んでいった。ゲノムの読み取り装置(シークエンサー)の価格が下がり、一人ひとりの方のゲノムを読むことも現実的な価格と時間になり、ゲノム医療の導入が進み始めた。日本において、ゲノム医療の保険収載はがん遺伝子パネル検査の保険適用の形で2019年6月に始まり、本格的に社会実装されることになった。振り返ると、平成が1989年から2019年まで、と考えると、ゲノム研究は平成の30年間で研究が進み、令和に入り、ゲノム医療に足を踏み入れた、といえる。

 この研究から医療に入ってきたゲノム医療であるが、研究から実用化のギャップというのを当然、乗り越えていく必要がある。やはり研究と医療の間にはギャップはあり、現在、社会実装を通して、様々な取り組みが行われている。品質管理としての薬事承認もその一つの山でもあり、がん遺伝子パネル検査としての「検査」になるのも商用化の一つの山である。

 筆者も、2011年に研究者から会社を起業し、10年ほどたってきているが、この分野をきちんと社会実装し、IT(情報技術)を活用して貢献できるように、研究から実用化・商用化のギャップ、谷を渡るところを進めていこうとしている。様々なギャップが存在しているが、それを一つ一つ乗り越え、多くの医療者、患者さん、患者さんご家族に届けられるように、本稿のタイトルでもあった「UXで解くゲノム医療」を、実際の現場でさらに推進していきたい。

(タイトル部のImage:artinspiring -stock.adobe.com)