今年は、2種類のがん遺伝子パネル検査が保険収載されたことで「ゲノム医療元年」といわれ、がんゲノム医療が様々なメディアなどにも取り上げられるようになってきた。がんゲノム医療では、がんの特徴を見る検査として主にパネル検査が行われる。今回は、あまり知られていないパネル検査の裏側について紹介しよう。

 がんの遺伝子パネル検査の目的は、がん患者のがん細胞に起きている遺伝子の変化を調べて、がんの特徴を理解することだ。そして、がん細胞の遺伝子の変化に合った適切な薬剤を選ぶことで効果的な治療を進めていくことができる。がんの種類や臓器の情報だけではなく、遺伝子変化の情報まで組み合わせることでよりパーソナライズされ、より精密に分析されることから、その過程はプレシジョンメディシンとも呼ばれている。これに関する説明は第1回にもしているので参照されたい。

 がんの遺伝子パネル検査を、患者視点で見ると、生検や手術でがん組織を採った際の検査の一つであるため、結果としてはレポートが返ってくるのみである。この点は、血液を採ると、結果が返ってくる血液検査と同じような体験となる。ただ、検査結果が出るまでの日数は大きく異なる。一般の血液検査ではだいたい翌日、大きな病院で迅速検査となると当日に結果が出る。がん遺伝子パネル検査では通常、結果が出るまでに2週間から1カ月程度の時間がかかる。これは、検査の裏側で、多くのステップがあるためである。

がん遺伝子パネル検査での様々なステップ

 患者側から見ると、がん遺伝子パネル検査の裏側はほとんど接することのない世界である。このがん遺伝子パネル検査について、大きく次の4つに分けて紹介しよう。ここでは主に固形がんについて対象とする。

(1)病院内でのがん組織の取り扱い
(2)検査のウェット(Wet)部分
(3)検査のドライ(Dry)部分
(4)拠点病院内でのエキスパートパネル

図1● がん遺伝子パネル検査の裏側の4つのステップ(出所:テンクー、図2、3とも)

ウェット部分とドライ部分

 まず(1)の病院内でのがん組織の取り扱いについては、病理の世界となる。これは病理医や病理技師がゲノム医療のために、がん組織について検体の作製などをする部分であり、検体の品質を高める面において適切な作成方法や保管方法がある。対象となるがん細胞を取り出すことに加え、精度高く検査に回すためにも大事なステップとなる。日本病理学会においては、ゲノム診療用病理組織検体取扱い規程を公表し、適切に取り扱いができるようにしている。

 (2)と(3)の検査の部分は、遺伝子の情報を読むシークエンシングをするウェット(Wet)の部分と、そのシークエンシングした結果のゲノム情報を解析して意味付けを行うドライ(Dry)の部分の2つに大きく分かれる。この2つについては後で紹介する。

 ウェットとドライ、見慣れない使い方であるが、この業界ではよく使われる言葉である。2000年以降、ゲノムデータがシークエンシングで読めるようになり、実験だけでなく、ゲノムデータ自体の情報解析も重要となった。そして、バイオインフォマティクス(生物情報学)という言葉も生まれ、コンピュータだけの解析や実験も大事な分野となった。そのためこの部分を分けて呼ぶようになり、実際に、人が細胞などを取り扱って生物学的な実験をする部分について「ウェット」と呼び、逆にコンピュータだけ利用して解析する部分を「ドライ」と呼ぶようになった。生物実験をウェット、コンピュータ解析をドライと呼び分け、両者が両輪となって研究を進めてきた経緯がある。余談ではあるが、研究室自体を「ウェットラボ」「ドライラボ」と言ったり、研究者が自己紹介で、「私はウェット系研究者です」「私はドライ系研究者です」と言ったりもするほど、業界内では普通に使われている。

 (4)は、専門医や専門家が集まり、一人ひとりの患者に対して、がんの治療や薬剤選択について総合的、多角的に議論と検討を行うエキスパートパネルである。遺伝子パネル検査から出てきた結果を解釈し、レポートを確定していく作業を行う。現在は、がんゲノム医療中核拠点病院、がんゲノム医療拠点病院でエキスパートパネルが開催されることになっており、がんの専門医、ゲノムの専門家、病理医、生物統計学の専門家などが集まって議論を行い、より適切な診断、治療につなげていくことを行っている。

 この後に、主治医や遺伝子カウンセラーを通して、がん遺伝子パネル検査の結果は患者に伝えられ、実際の治療などに進んで行くことになる。

図2. ウェット(wet)部分とドライ(dry)部分

ドライ部分が価値を生み出す縁の下の力持ち

 がん遺伝子パネル検査のウェット部分は、主に遺伝子の情報を読み取るシークエンシングである。がん組織からDNAやRNA自体を抽出し、生物学的実験の処理を行い、次世代シークエンサ(NGS)と呼ばれる遺伝子読み取り装置で遺伝子情報を読み取っていく部分になる。NGSと検査所が必要なため、主に臨床検査会社などが担当していることが多い。いかに高品質、高精度、高信頼性のあるサービスを提供していくかが大事なステップである。

 もう一つのドライ部分は、読み取った遺伝子の情報、ゲノムの情報を解析して、意味付けを行うコンピュータが担う部分である。ウェット部分で、NGSから一人当たり数GBから数十GBのゲノム情報が出てくる。ゲノム情報は、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という塩基配列の文字情報で、これが100文字や200文字並んだ行が数億行ある、というイメージだ。この文字情報を整理して並べ替え、遺伝子の情報が書き換わっている部分を見つけていく作業を行う。そして書き換わった部分を見つけた後、その部分が、がんに関係しているのか、病気に関連しているのか、その部分を対象にした薬剤があるのか、などを探してくる。その際に膨大な医学や生物学の知識を集めた知識データベースを用いて、意味付けを行っていく。その結果をまとめて、患者さんのレポートを作り、検査結果としていくことを行う。

 このドライ部分をまとめると、次の3つが主な作業部分となる。

A. データ解析部分
B. 知識データベースを用いた意味付け部分
C. レポート作成部分

 これらはコンピュータが自動で行った方が品質は高くなり、時間も短縮できる。ドライ部分は臨床検査会社が行うこともあるが、筆者の所属するテンクーのような情報解析だけに特化した企業、バイオインフォマティクスに特化した企業が担当することも多い。図3は、筆者の会社のテンクーでサービス提供しているChrovisの位置付けの図である。

図3●ドライ部分の3分野

 特に、意味付け部分は、膨大な情報や意味付けの仕組みが必要なため、データ量、コンピュータパワーに加え、意味付けの仕組み、ソフトウエア自体が鍵となってくる。実際、レポートの内容に直結する部分であり、最終的な医師、患者へのUX(ユーザエクスペリエンス)を考えると、ドライ部分の重みは大きい。どこまで遺伝子の情報を元に、合う薬や治験を見つけられるか、医師に参考情報としてお薦めできるかが、最終的には価値につながっていく。

 今回は、がん遺伝子パネル検査のUXにつながる裏側の紹介を行った。見えない部分に多くのステップがあり、これらが調和しないとサービスが提供できず、多くの方の協力により成り立っている検査であることが、少しでも伝われば、と思う。そして、筆者も関わっているドライ部分が価値を生み出す縁の下の力持ちとなっていることをぜひ知っていただきたい。

(タイトル部のImage:artinspiring -stock.adobe.com)