僕ほど「理念」を頭に置いてずっと過ごしてきた男はいない

(イラスト:宮沢洋)

原点を確認する、というのは、理念を大切にするということにもつながる気がします。

川淵 うん。やっぱり理念って絶対に大事なんだね。困ったとき、これからどう考えたらいいのかというとき、僕は常に理念というものを頭に置いて進んでいる。多分、僕ほど理念を頭に置いて、30年近くずっと過ごしてきた男はいないと思う。暗記しておけって言われたって、なかなかそうしている人は少ないんじゃないの? 日本サッカー協会の理念は「サッカーを通じて――」と始まるんだよ。「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」というのがサッカー協会の理念。これは言ってみればJリーグの2つめの理念と同じだよね*9

 Jリーグの理念*10というのは3つあって、1つめはサッカーの水準向上と普及促進。これは当たり前の話。3つめが、国際社会における交流、親善。これもそんなに取り立てて言うほどのことではない。理念の命ともいえるのは2つめで、人々の心身の健全な発達への寄与。これは日本サッカー協会と全く同じだね。


注)

*9 JFAの理念
サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。

*10 Jリーグ理念
一、日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進
一、豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与
一、国際社会における交流及び親善への貢献

 そう考えたときに、日本サッカー協会もJリーグも、「心」については何もやっていないのではないか、と。そこで、子供たちにスポーツのすばらしさを教え、夢を持つことの大切さを教えようと、「JFAこころのプロジェクト」を立ち上げ、小学校(主に5年生が対象)の正課で「夢の教室」を始めたんだよね*11

 「また川淵の趣味が始まった」なんて陰口を言う関係者もいたけど、そういう人たちは要するに理念のことなんか頭にないわけだ。理念には「心身の健全な発達への寄与」って、はっきり書かれているんだよ。これをやるのは理念に照らせば当たり前の話だよね。

 「心身」のうち、体についての鍛錬や教育については、年間延べ何百万人の子供たちにサッカーを教えているけど、それじゃあ、心の教育、心を育てる活動を何かやっているのかといったら、やっていなかった。だからこそ大事だ、ということなんだよね。

理念に基づいて、当然やるべき活動だと。

川淵 うん、そうなんだよ。これこそがスポーツ団体の一番大事なことだと僕は思っているんだよね。だから、これがなくなるようじゃ、サッカー協会もなくなるようなものだ、と。

 今、僕の目標は、「夢の教室」を年間10万人の事業にすること。年間10万人というと、今の日本の年間出生数のだいたい1割の子供に教えるということになるでしょう。このことの持つ価値というのはむちゃくちゃ高いと思っているよ。

最後に、今、会長として取り組んでいる、日本トップリーグ連携機構*12の活動について教えてください。

川淵 日本トップリーグ連携機構は、「日本のボールゲームを強くするためには、各球技のトップリーグを強化する以外にない」ということで森(喜朗)さんと麻生(太郎)さんがつくられた。僕が2015年に森さんから引き継いで連携機構の会長になったとき、各協会に対して最初に言ったのが「基盤固めをしっかりやりなさい」ということ。それさえしっかりしていれば、2020年のオリンピックが終わって強化予算が減っても、その後も協会がちゃんと営々と伸びていくことができる。

 そういうことで、僕は連携機構に加わっている協会の会長たちを全員呼んで、「やっぱりガバナンスが問題だから、僕は口出しするぞ」と。「それで文句あるやつ、ここで手を挙げろ」と言ったら、誰も手を挙げなかった(笑)。これからやることはたくさんあるよ。


注)

*11 「JFAこころのプロジェクト」とは、サッカー界が学校教育の現場と力を合わせて子どもの心の教育に貢献していくというプロジェクト。主催は日本サッカー協会。「夢の教室」は、こころのプロジェクトの一環として、様々な競技の現役選手/OB/OGなどを「夢先生」として学校へ派遣。「夢を持つことや、その夢に向かって努力することの大切さ」「仲間と協力することの大切さ」などについて、「夢の教室」で夢先生と子供たちがメッセージのやり取りをすることで伝えていく取り組み(小中学校の正規授業として実施)。

*12 日本トップリーグ連携機構(JTL)は2005年5月24日に設立。目的は、日本における団体ボール競技のトップリーグが連携し、互いのリーグの強化活動の充実と運営の活性化を図ること。現在、参加9競技12リーグが参加。森喜朗氏(元首相。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長)が名誉会長を、麻生太郎氏(副総理・財務相。一般社団法人バスケットボール女子日本リーグ名誉会長)が代表理事副会長を務める。

インタビューを終えて

Jリーグの華々しいスタートをリアルタイムで知る世代には、川淵三郎という名前はあまりに有名です。「プロチームを核とした地域に根差したスポーツクラブ」という、これまでの日本になかったスポーツ文化を、サッカーによってつくり上げました。その過程での渡辺恒雄・読売新聞社社長(当時。現・読売新聞グループ本社主筆)との確執もまた、その頃を知る人にはよく知られたエピソードです。

一言で言うと、企業色を廃してクラブの名称には地域名を前面に出すという川淵さんの思いを、空疎な理念と渡辺主筆が評したことから論争が始まりした。しかし、それは渡辺主筆の考えというより、当時の世間においては一般的な見方だったと私は思います。川淵さんのディスラプティブ・イノベーションの始まりは、「常識との戦い」だったともいえるのです。

そして皆さんご承知のとおり、Jリーグはスタートと同時に大成功を収めます。地域とプロスポーツの関係がCSV(共有価値の創造)を推進するとともに、日本サッカーの実力は世界で通用するまでに成長しました。

また、逆境のど真ん中にあった日本のバスケットボール界も川淵さんは短期間で再構築し、Bリーグを発足させ救済、発展させました。

その原動力はインタビュー本文でお示しした通り、徹頭徹尾「理念」のもとに行動する、頑固なまでの生き方にあります。

独裁者と揶揄されることもある川淵さんですが、実際に接してみると、揺るがぬ「理念」に忠実なイノベーターでした。
高橋博樹(たかはし・ひろき)
日経BP総研 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト
高橋 博樹(たかはし ひろき) 日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総合研究所の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「新・公民連携最前線」「Beyond Health」の2つのメディアを創案して立ち上げた(写真:栗原克己)
BeyondHealth 健康・医療 Disruptive Innovation × 新・公民連携最前線 PPPまちづくり