人がいる空間に移動することが第一歩

コロナ禍におけるコミュニケーションというのは、まさに、開発したときには考えていなかった意外な使われ方ですよね。我々の働き方に引き寄せて考えると、テレワークが増えていったときのコミュニケーションにもOriHimeが役立つのではないでしょうか。

吉藤 そういったこともあると思います。ただ、その点について私は、むしろコロナ禍が収束した後のことを考えています。おそらく、コロナ禍の中では多くの人が自分の家にいて、パソコンを通してコミュニケーションをとっている。つまりモニターの前にいるという状態は、例えば寝たきりの方や、無菌室にいる子供たち、ひきこもりの人たち……みんな一般の人と平等の立場に今はいるんです。でも、コロナが収束すれば、人はまた必ず外に出始めます。しかし、みんなが出始めて「やっぱり外はいいよね」となったとき、そこに参加することができない人は、より孤独を感じることになるでしょう。

 人はどんなときに孤独を感じるかというと、「独りぼっちでいるという状態」のときではなくて、「周りと比較して自分がどうか」ということを思ったときに、すごく孤独を感じてしまいやすいんです。クリスマスの夜に1人でいるとさみしく感じる、という世界ですね。「周りはきっとみんな幸せな夜だろう」みたいなことを思ってしまう。

(写真:オリィ研究所)
(写真:オリィ研究所)
[画像のクリックで別ページへ]

確かに、人と比較をしてしまうことでさみしさが増す、みたいなことはありますよね。

吉藤 ですので、同じクラスの友達がみんなZoomなどのオンライン会議ツールで授業を受けている分にはよいのですが、自分を残してみんな学校に行くようになってしまうと、学校に行くことができない子どもは、そこですごく取り残されたと感じてしまうと思うんですね。

 このシチュエーションにおいて、私たちのつくっているOriHimeは、最もコミュニケーションがとれるツールだと思っています。クラス全員に「モニターを持って歩いてください」とは言えないし、実際になかなかそうはならないでしょう。そこにOriHimeというツールがあることによって、スマホやタブレットなどにアクセスしていない人たちに対しても、話しかけたりすることができる。モニターとは違って、OriHimeは「もう1つの体」として顕現できるツールなんです。

みんなが移動できているのに自分だけできない。そのことによって、より孤独感が際立ってしまう──。OriHimeは、「移動と孤独」に関する問題を解消するツールという言い方もできそうですね。

吉藤 コロナ禍以前、私たちは毎朝、着替えて、化粧して、いろんな準備に1時間かけて、電車に乗ってさらに1時間かけて仕事場に行き、そして帰りも1時間、電車に乗って帰ってくる。1日3時間ぐらいは移動のためだけに費やしてきたわけですけれども、これだけで年間1カ月ぐらいの時間を使ったことになるんです。そこまでして私たちはどうして外に行くのかと考えると、やっぱり人の営みに参加するために外に出るんですよね。

 人の営みに参加するには、まず人と出会わなきゃいけなくて、人と話さなきゃいけない。その上で関係性を構築することができる。そして、関係性を構築することができたからこそ、何か役割を与えてもらえて、そして役割をこなしていくうちに何かしらのことを任されるようになってくる──。そうやって自分の有用感が高まってきてきたときに、そこが自分の居場所になったり、自分を真に肯定することができるようになっていったりするわけです。そこから先は、向上心を持って成長していくというフェーズに入っていけるわけですが、人によっては、そこまで到達するのがとても大変だったりするんです。

 私が意識しているのは、人が社会に参加していくプロセスです。まずその第一歩として、人がいる空間に移動しなくてはなりません。人と出会うということ自体がコミュニケーションの始まりであって、何も持たない人たちのコミュニケーション、あるいは社会復帰のリハビリテーションのきっかけのためのコミュニケーションを考えた場合、自分の体を運ぶ、もしくは運ぶモチベーションをもう一度持ち直すというアプローチが必要だと考えています。

 まずその第一歩として、人がいる空間に移動しなくてはならない、と。