町内全域に光ファイバー網、最初はアート事業での活用を考えていた

このプロジェクトは、Sansanが神山町に進出してこなければ、そもそも立ち上がらなかったと思います。Sansanの寺田社長とはどのようにして出会ったのですか。

大南 まず前段からお話しますと、1つのきっかけは2005年9月に神山町全域に光ファイバー網が整備されたことでした。テレビ放送のデジタル化に伴っての行政の対応だったのですが、僕らとしてはちょうど「待ち望んでいたものが来た!」ということになりました。まずは「神山アーティスト・イン・レジデンス」*4の取り組みで活用できると考えていました。

 当時の回線はISDNが主流だったので、通信速度が遅く、アーティストを公募する際には、それぞれの過去の作品画像をスライドで郵送してもらっていました。100人応募してくると(返送料が)10万円かかります。弱小NPOにとっては結構な出費です。画像がネットで転送できるようになれば、コストは抑えられるし手間も減る。さらに、より多くのアーティストを招き入れるために、招待プログラムだけでなく自費滞在プログラムを伸ばしていこうと考えていたのですが、こうした新しい取り組みをきちんと世の中に伝えるには、当然、ネットによる情報発信が重要になってくるわけです。

 アーティスト・イン・レジデンスは、国・県・町から補助金や助成金を受けて運営をしていたのですが、通常補助金等は3年とか5年で打ち切りになります。その後の展開を考えると、招待プログラムを続けていくのは難しいと僕らは考えていました。招待は毎年3人なんですが、2003年ごろからは170人ぐらいが応募してくれるようになっていました。そこで、招待できなかった人たちに対して「滞在費や交通費が出なくても神山に来たいですか」とアンケートで尋ねてみたところ、8割ぐらいの人たちがそれでも来たいって言うんですね。欧米はアーティストに対する支援がたくさんあるので、制作の場所さえ確保できれば来ることができるんです。

 また、光ファイバーが通る前は、文化庁の外郭団体にお願いをして、そこのサイトから世界のアーティストたちにプログラムを紹介していたのですが、ネット回線が充実したことで直接アーティストとの間でやり取りができるようになり、日常的にアーティストの生の声に接することができるようになっていきました。そこで、総務省の地域ICT利活用モデル構築事業に採択されたのを機に、アート情報などを一元化して発信するウェブサイト「イン神山(in Kamiyama)」*5を2008年に構築しました。


注)
*4 神山アーティスト・イン・レジデンス
1999年スタート。毎年8月末から約2カ月半、日本国内および海外から3人~5人のアーティストが神山町に滞在。作品を制作し毎年10月下旬から作品展覧会を開催する。長期滞在することで町民との交流も図る。2020年はコロナで海外アーティストの招待休止。

*5 神山町の情報発信サイト「イン神山(in Kamiyama)
2008年公開。現在はNPO法人グリーンバレーと神山つなぐ公社が共同で運用。


当時はサテライトオフィスの誘致が主眼ではなかったのですね。

大南 そうですね。サテライトオフィスという言葉さえ知りませんでした。僕らとしては、この「イン神山」を使ってアート事業から何らかのビジネスを起こしていきたいという思惑がありました。ただ、ちょうどその頃に神山町移住交流支援センターの運営もグリーンバレーに委託されていたので(2007年10月~)、アートから移住・起業支援をも含めた総合的なサイトをつくることにしました。このときに、アーティスト・イン・レジデンスを読み替えて、「ワーク・イン・レジデンス」という移住・起業支援プログラムを始めたんです。

ワーク・イン・レジデンスでは、職能などで「逆指名」する移住者の募集方法が話題になりました。

大南 例えば、町にはパン屋さんが足りないからパン屋さんだけ、あるいはWebデザイナーさんがいないからWebデザイナーさんだけ移住者として受け付けますよ、といった形で募集をしました。通常、行政が移住者を募集する時には、できるだけたくさんの人に応募してほしいという気持ちがあるじゃないですか。絞り込んだら応募してくれる人が少なくなるのではないかと心配するわけです。僕らも多少そういう心配もしていたんですが、結果的には絞り込むことによって「自分が求められている」という意識の高い人が来てくれることになりました。

 そうして神山町に移住者も増えてきたので、より多様な職種の人たちを呼び込もうと、クリエーター用滞在施設の改修を始めていたのですが、これに参画してくれていた建築家の須磨(一清)さんがSansanの寺田(親弘)社長と大学時代の同期で、Sansan東京オフィスの内装も須磨さんが担当したりしていたんですね。そんな中で、寺田さんが新しい働き方を模索していたときに、須磨さんが神山の話をしたんだそうです。アートのプログラムをやっていて、小さな町だけれど、光ファイバー網が張り巡らされていてネットの速度がめちゃめちゃ速い──。その話を聞いた寺田さんは、聞いた直後の週末、2010年9月 25日・26日に神山にやってきました。それでほぼ即断でしたね。10月14日にはSansanの社員3人が東京からパソコンなどを積んで車でやってきて、仕事を始めたんです。これが神山町のサテライトオフィスのスタートとなったわけです*6


注)
*6 神山町初のサテライトオフィス「Sansan神山ラボ」。「OMOYA」外観(左)と「KOYA」内観(右)。築70年以上の木造住宅をリノベーションした。
(写真:2点ともSansan)