ジャンルを問わず、世の中に新しい価値を創出したDisruptive Innovator(ディスラプティブ・イノベーター:破壊的創造者)の生の声をお伝えするインタビューコラム「Disruptive Innovators Talks ~新たな価値の創造者たち~」。第12回は、人口約5000人の小さな町、徳島県神山町で日本中が注目する地方創生の取り組みを次々と展開している中心人物、大南信也氏が登場します。

大南氏は、道路清掃プログラム、アートプログラム、移住促進プログラム、サテライトオフィス誘致など、周囲を巻き込みながら活動の枠を広げ続けています。神山町で最初にサテライトオフィスを設置したSansanの寺田親弘社長の発案を受け、現在、国内では20年ぶりとなる高専(神山まるごと高専 仮称・設置構想中)の設立に向けて精力的な活動を展開しています。一つの成功体験にとどまらず、新機軸の取り組みを生み出し、実践し続ける大南氏に、その発想や行動の原理を語っていただきました。

大南信也(おおみなみ・しんや)
1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学院修了。帰郷後、仲間とともに「住民主導のまちづくり」を実践しながら、1996年頃より「国際芸術家村づくり」に着手。全国初となる住民主体の道路清掃活動「アドプト・プログラム」の実施(1998年~)や、「神山アーティスト・イン・レジデンス」(1999年~)などのアートプロジェクトを相次いで始動。2004年に「日本の田舎をステキに変える!」をミッションとするNPO法人グリーンバレー設立。理事長を務める。町営施設の指定管理事業や、町移住交流支援センターの受託運営、ITベンチャー企業のサテライトオフィス誘致など活動の幅を広げながら神山のまちづくりを進める。現在はグリーンバレー理事と神山まるごと高専設立準備財団代表理事を務める。(写真:千葉 大輔)

大南さんは以前からずっと、神山町で「シリコンバレーを目指す」と言っていますね。それは今も変わりませんか。

大南 はい、今も変わらないです。ただ、誤解されがちなのですが、それは「ITで何か新しいことをする」ということではありません。これは以前からずっとそうなんですが、「新しいものや、新しいことがそこから自生してきたり、湧いてきたりするような場所」というのが、シリコンバレーについての僕のイメージです。

「イノベーションのインキュベーター」みたいなイメージですね。

大南 そういうことです。通常だと、「条件がそろっていないから無理」だとか、そんなふうに物事を進めていくことが多いですよね。でも神山はそうではなく、与えられたものの中から何か新しいものが生み出せるような場所でありたいし、そういうことができる人を生み出すような場でありたいですよね。そういう人であれば、分野を問わずどこででも活躍できると思うんです。

今、設立準備を進めている「神山まるごと高等専門学校(仮称・設置構想中))」(以下、神山まるごと高専)*1も、そういった考え方ですよね。

大南 そうですね。神山まるごと高専の場合、ITとかAIの教育というイメージをとかく皆さん持ちやすいんですが、必ずしもそれだけではありません。新しいモノやコトを起こせるような人たちを育てたいという考え方です。

なぜ「高専」なのか──Sansanの寺田社長と議論を重ねる

神山まるごと高専は、神山町で最初にサテライトオフィスを構えたSansanの寺田親弘社長が主導して動き出したわけですが、そもそものきっかけを教えて下さい。

大南 Sansanが2010年に神山にサテライトオフィスをつくるということで寺田さんと出会ったのですが、その頃から彼は「株式上場を果たした後は、自分のプロジェクトとして2つのことをやりたい」と言っていました*2。1つはエネルギー、もう1つは教育だ、と話していました。それから年月が経って、確か2015年頃だったと思います。寺田さんから、事業も軌道に乗ってきたので、そろそろ第2段階の自分のプロジェクトについても少しずつ考えたいという話があったんです。教育については神山で学校づくりができないか、と。

 それで、どういう形だったら神山で学校をつくれるか、いろいろ2人で話をしていきました。学校の形態は小・中・高・高専・大学とあるけれど、どれがいいのか。例えば全国でも小中一貫校とか、中高一貫校で特色のある面白い学校もできつつありますが、1学年の生徒数が二十数名の神山町にそんな学校ができると、ある意味競合するような形になってしまう。それでは町や町民の賛同も得られないでしょう。では大学はというと、別に神山じゃなくてもいいかなという気もしていました。神山町にできることの特色が出しづらいというか…。そして、それならば高専はどうだろうという案が寺田さんから出てきたんです。寺田さんがSansanを経営する中で、社員に高専の卒業生がいて、その人たちが非常に優秀だということもあったようです。

 それに、高専であれば町や町民からも賛同が得られるだろうと考えました。神山出身のほとんどの子どもたちは、高校入学時点で普通科に入るために町外にアパート暮らしをしながら通うことになります。そうではなくそのまま町に残って5年間学べるという選択肢ができるというのは、町にとってネガティブな要因には絶対にならないですよね。高専というのは面白い仕組みだなということがもちろんまずありましたが、一つの現実的な選択としても、「これはもう高専しかない」という話になっていきました。


注)
*1 2023年4月開校予定。1学年40人、全寮制でテクノロジーとデザイン、アントレプレナーシップを学ぶ。Sansanの寺田親弘社長が主導し、グリーンバレー理事の大南信也氏、電通のエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターの国見昭仁氏ら有志14人による「神山まるごと高専 設立準備委員会」を立ち上げ、2019年6月プロジェクトが具体的に動き出した(2020年11月には一般財団法人神山まるごと高専設立準備財団を設立)。予定通り開設すれば、約20年ぶりの高専新設となる。

*2 同社は2019年6月に東証マザーズに上場。現在は東証一部。

新しいことを切り開いていく、起業家精神を持った人間を育てたい

「高専」のどこに魅力を感じたのでしょうか。もう少し詳しく教えてください。

大南 高校だと3年間通って、それから大学入試があるわけです。その時に「理系にしようか文系にしようか」といった形で進路を決めていくわけですが、(子どもが自分の進路を念頭においた上での教育のスタートが)15歳か18歳かということには、非常に大きな差があると思っています。やっぱり頭の柔軟さということでは若いほど有利ですから。

 それに、中学校卒業時点で、ある程度自分のやりたいことが明確になってきている子もいると思うんです。そういう子どもたちが、高校3年間で普通科の勉強をしながら改めて18歳で進路を決めるというのは、ある意味もったいないと言うか、時間の浪費でもあるかなと思います。

 だからそういう子どもたち、例えば世界の人を驚かすようなゲームをすぐにでもつくりたいという子がいるなら、その実践ができるような場を用意する。逆に、何をやっていいか分からないという子も当然いるはずですが、そういう子たちにとっては、周りの人たち見聞きすることによってヒントを得ることができる。この高専では、「これをやろう!」と決められる子どもが出てくれば最終的にはいいのかなと思っています。

(写真:千葉 大輔)

町に足りないパーツと、寺田さんや大南さんの思いを合わせたら、それが「高専」だったというわけですね。ここではどんな教育を目指していきますか。

大南 僕らは「次世代型高専」と呼んでいるのですが、高専の枠組みを使いながら、起業家精神を持った人間を育てるような教育をしていきたいと思っています。それを15歳から始めることができれば、日本の高等教育に変化を生み出せるのではないかという意識はありますね。

 これは僕のイメージですが、これまでの高専は製造部門の現場のトップになるような人間を育てようという意識があったのではないかと思います。そして、高専はその機能をうまく担ってきたと思うんです。一方で、人が使いたくなるようなデザインであるとか、そういった面の教育との融合がもっとあってよいのではないかと思ったんです。

 これからつくる高専では、強みであるテクノロジーと同時に、デザインやデザイン思考なども一緒に学べるようにしていきます。それがある子どもたちは起業という形に開花していってもいいし、もっと学びを深めたい子は大学に編入をしてもいい。もちろん、すぐに現場で働きたい子は、現場で働ける力を持てるようにしていく。起業家を育てるのではなくて、起業家精神を持った人間を育てていく。それができれば、いろいろな面で新しいことを切り開いていく子どもたちが育っていくのではないかと思っています。

高専と言いつつも、その中身は再定義しようとしているわけですね。

大南 文部科学省の設置基準をクリアする中で、「あそこまでやれるんだ」というモデルを提示することができれば、これまで行動を制御してきた思考の枠や固定観念が崩れ、学校としての可能性を拡げられると思うんですね。そうした動きを先駆する役割を期待されている意識はありますね。

企業版ふるさと納税を活用した資金調達の手法*3も、注目を集めています。

大南 2019年の12月から、個人版ふるさと納税の中で教育応援事業という枠組みを神山町につくってもらいました。そこを通してのお金を高専の設立にも使えるような形になっているんですね。今年からは、日本で初めて、学校設立のために企業版ふるさと納税を受けられるようになりました。

 今ある仕組みを最大限に活用するとともに、新たな公民連携の形が作られ、そこから調達された資金を投入することによって高専ができるということになれば、プロセス自体がすごいクリエーティブですよね。もちろん、最初から開設資金が十分あればそれで間に合うわけですが、不足しているからこそ、当然苦労も多いけど、新しい何かが生み出せるんですよね。



高専をつくることによって、若手人材が地域に残ってくれる、神山の人口減少に歯止めがかかるといった期待はありますか。

大南 おそらく町の人たちはそれを期待していると思います。けれど、もしそうなったとしても、それはあくまでも「結果として」ということだと僕は思っています。例えば「地方創生を目的にこの学校をつくります」と言ってしまうと、とにかく最初から「地域貢献のために」という枠の中での議論になってしまい、広がりを持たなくなってしまいますよね。

 地方創生は究極の目的の一つではありますが、あまりそこに絞り込みすぎると、「現時点で何か役に立つのか」「何がプラスになるのか」みたいな方向に結局すぐに行ってしまう。これだけ世の中の先が見えない時代なのに、その時々の現実解ばかり追い求めていたら、絶対に時代から放り出されてしまいます。ですから、地域貢献についての意識は常に持ちながらも、そこに向けての目標は、あえてぼんやりとしたままでいいと思っています。

変化し続ける余地を残しておく、ということですね。

大南 僕のすべての物事に対するモチベーションは、「変化の向こうにある変化をのぞいてみたい」ということなんです。この向こう側には何があるのかを常に探り出したい欲求があるんですね。ですから、高専ができたら、高専のできた向こうに起きるであろう変化をのぞいてみたいんです。それが1つのモチベーションになって次の展開に進んでいく。そんなところがありますね。

町内全域に光ファイバー網、最初はアート事業での活用を考えていた

このプロジェクトは、Sansanが神山町に進出してこなければ、そもそも立ち上がらなかったと思います。Sansanの寺田社長とはどのようにして出会ったのですか。

大南 まず前段からお話しますと、1つのきっかけは2005年9月に神山町全域に光ファイバー網が整備されたことでした。テレビ放送のデジタル化に伴っての行政の対応だったのですが、僕らとしてはちょうど「待ち望んでいたものが来た!」ということになりました。まずは「神山アーティスト・イン・レジデンス」*4の取り組みで活用できると考えていました。

 当時の回線はISDNが主流だったので、通信速度が遅く、アーティストを公募する際には、それぞれの過去の作品画像をスライドで郵送してもらっていました。100人応募してくると(返送料が)10万円かかります。弱小NPOにとっては結構な出費です。画像がネットで転送できるようになれば、コストは抑えられるし手間も減る。さらに、より多くのアーティストを招き入れるために、招待プログラムだけでなく自費滞在プログラムを伸ばしていこうと考えていたのですが、こうした新しい取り組みをきちんと世の中に伝えるには、当然、ネットによる情報発信が重要になってくるわけです。

 アーティスト・イン・レジデンスは、国・県・町から補助金や助成金を受けて運営をしていたのですが、通常補助金等は3年とか5年で打ち切りになります。その後の展開を考えると、招待プログラムを続けていくのは難しいと僕らは考えていました。招待は毎年3人なんですが、2003年ごろからは170人ぐらいが応募してくれるようになっていました。そこで、招待できなかった人たちに対して「滞在費や交通費が出なくても神山に来たいですか」とアンケートで尋ねてみたところ、8割ぐらいの人たちがそれでも来たいって言うんですね。欧米はアーティストに対する支援がたくさんあるので、制作の場所さえ確保できれば来ることができるんです。

 また、光ファイバーが通る前は、文化庁の外郭団体にお願いをして、そこのサイトから世界のアーティストたちにプログラムを紹介していたのですが、ネット回線が充実したことで直接アーティストとの間でやり取りができるようになり、日常的にアーティストの生の声に接することができるようになっていきました。そこで、総務省の地域ICT利活用モデル構築事業に採択されたのを機に、アート情報などを一元化して発信するウェブサイト「イン神山(in Kamiyama)」*5を2008年に構築しました。


注)
*4 神山アーティスト・イン・レジデンス
1999年スタート。毎年8月末から約2カ月半、日本国内および海外から3人~5人のアーティストが神山町に滞在。作品を制作し毎年10月下旬から作品展覧会を開催する。長期滞在することで町民との交流も図る。2020年はコロナで海外アーティストの招待休止。

*5 神山町の情報発信サイト「イン神山(in Kamiyama)
2008年公開。現在はNPO法人グリーンバレーと神山つなぐ公社が共同で運用。


当時はサテライトオフィスの誘致が主眼ではなかったのですね。

大南 そうですね。サテライトオフィスという言葉さえ知りませんでした。僕らとしては、この「イン神山」を使ってアート事業から何らかのビジネスを起こしていきたいという思惑がありました。ただ、ちょうどその頃に神山町移住交流支援センターの運営もグリーンバレーに委託されていたので(2007年10月~)、アートから移住・起業支援をも含めた総合的なサイトをつくることにしました。このときに、アーティスト・イン・レジデンスを読み替えて、「ワーク・イン・レジデンス」という移住・起業支援プログラムを始めたんです。

ワーク・イン・レジデンスでは、職能などで「逆指名」する移住者の募集方法が話題になりました。

大南 例えば、町にはパン屋さんが足りないからパン屋さんだけ、あるいはWebデザイナーさんがいないからWebデザイナーさんだけ移住者として受け付けますよ、といった形で募集をしました。通常、行政が移住者を募集する時には、できるだけたくさんの人に応募してほしいという気持ちがあるじゃないですか。絞り込んだら応募してくれる人が少なくなるのではないかと心配するわけです。僕らも多少そういう心配もしていたんですが、結果的には絞り込むことによって「自分が求められている」という意識の高い人が来てくれることになりました。

 そうして神山町に移住者も増えてきたので、より多様な職種の人たちを呼び込もうと、クリエーター用滞在施設の改修を始めていたのですが、これに参画してくれていた建築家の須磨(一清)さんがSansanの寺田(親弘)社長と大学時代の同期で、Sansan東京オフィスの内装も須磨さんが担当したりしていたんですね。そんな中で、寺田さんが新しい働き方を模索していたときに、須磨さんが神山の話をしたんだそうです。アートのプログラムをやっていて、小さな町だけれど、光ファイバー網が張り巡らされていてネットの速度がめちゃめちゃ速い──。その話を聞いた寺田さんは、聞いた直後の週末、2010年9月 25日・26日に神山にやってきました。それでほぼ即断でしたね。10月14日にはSansanの社員3人が東京からパソコンなどを積んで車でやってきて、仕事を始めたんです。これが神山町のサテライトオフィスのスタートとなったわけです*6


注)
*6 神山町初のサテライトオフィス「Sansan神山ラボ」。「OMOYA」外観(左)と「KOYA」内観(右)。築70年以上の木造住宅をリノベーションした。
(写真:2点ともSansan)

Sansanに「地域貢献」は求めなかった

神山町への進出企業であるSansanには、何を求めたのですか?

大南 今から振り返ると、寺田さんが持つ先見の明には驚くばかりです。彼自身がシリコンバレーで体感してきた新しい働き方を東日本大震災の半年前に実現していたわけですから。その思いを実現するためには先ず神山に受け入れてもらわなければならないと考えたのでしょう。寺田さんから、Sansanは地域貢献をしたいのだけれど、まだ設立3年のひよこのベンチャーで社員数も少ないからどんな地域貢献ができるのか教えてほしい、と。

 僕はその時、「Sansanの地域貢献は、Sansanが神山でも本業ができるということを証明してくれることだと思う」と答えました。地域の人たちが求める「地域貢献」というのは、ほとんどが労力を提供してほしいといった感じのものをイメージしています。例えば道路脇に草が繁茂しているけど草刈りをする人がいないので手伝ってほしいとか、そういったことです。だけど、僕はそういうあり方に違和感を覚えていたので、「仮にSansanのようなベンチャーの本業が神山のような地域で成立することを見せてくれたら、多分、寺田さんは日本の何かを変えることになると思う」という話をしたんです。

(写真:千葉 大輔)

 Sansan神山ラボ(神山町に設置したSansanのサテライトオフィス)の前で、寺田さんと僕はスタンフォード大学のあるパロアルトという街のことを話ました。ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードがヒューレット・パッカードを創業したガレージがあるパロアルトのアディソンロード367番地。そこには創業時のガレージが復元され「シリコンバレー発祥の地」というサインボードが立てられています。将来このオフィスから世界に向けた変化が生まれてきたら、もしかしたらこの場所に「神山バレーの発祥地」というサインボードが立てられるかもしれないと語り合ったことがあります。このときのことは寺田さんの頭の中にもすごく残っていたようで、いまだにその話が出てきたりもしますよ。

大南さんにとって、やはりシリコンバレーは大きな存在なのですね。最近はコロナ禍の影響で減っているかもしれませんが、大南さんがシリコンバレーを目指しているように、神山町を目指す人たちがたくさん視察に来たのではないかと思います。視察に来た人たちには、神山のどこを見てほしいですか。

大南 こういう言い方はあまり好きではないのですが…大まかに二つの捉え方をする人がいるような気がします。まず、神山のワーク・イン・レジデンスを始めとするいろいろなプロジェクトを「自分の町でもまねてやってみよう」という人たち。もう一方で、視察後に「自分たちがやっている方向は間違っていないことが分かりました」という言葉を残す人たちも、少数ですがいます。まねようとしている人たちも、それはそれで悪くはないんですが、多分、何かをつくり出すのは後者の人たちが多いんじゃないかと思います。

 いろいろな物事を起こしても、それに対するインパクトや変化というのは、現れてくるのに時間が掛かります。その結果、モチベーションの維持が困難になってしまいます。「やっぱりこんな事を続けていても何もならないのか」と、心が折れてしまう人が多いんですね。でも、そんな時に「いや、間違っていない」ということが確信できたなら、次のステップまで動いていけるじゃないですか。そういう人たちはうまく行くと思います。したがって、現在起きている現象ではなく、何がその現象を生み出したのかを深堀りしてほしいですね。

「読み替えること」「自分の目で確かめること」が大事

このコラム(Disruptive Innovators Talks ~新たな価値の創造者たち~)では、毎回皆さんにしている質問なのですが、これからベンチャー、スタートアップを目指す人、新しいことに取り組もうとしている人にメッセージをいただけますか。

大南 抽象的なことですが二つあって、まず「読み替え」をすること。これは僕自身、習慣的にずっと心掛けてやっています。例えば、昔からずっと日経(日本経済新聞)のシリコンバレー支局から送られてくる記事は漏らさず読んでいるのですが、その中で「Googleがあることを始めた」といった記事に出会ったら、必ずGoogleをグリーンバレーに読み替えたり、自分自身に読み替えてみたりするわけです。

(写真:千葉 大輔)

 要は、常にシミュレーションを繰り返すわけです。日々、いろいろな人が自分の前を流れ星のように通過しているものですが、その時に読み替えによるシミュレーションができていれば、自分にとって重要な人が通過した時に「あれ?この人!」ってすぐに反応ができる。「この人、自分がずっと探していた人だ」「この人がプロジェクトに入ったら絶対面白いことになる」といった感じに、必要な人と出会える確率が格段に高くなります。これは実感しています。この読み替えはトレーニングなので、誰でもやろうと思えばできます。習慣化していれば、そういう物事の捉え方っていうのはできるようになるものです。

 もう一つは、世の中にある情報とか、あるいはデータとかを鵜呑みにしないことです。必ず自分の目で確かめることが重要です。常に反芻しながら疑ってみる。「本当に当たり前のことなの?」「ほかに道はないの?」といったような自問自答を常に繰り返していますね。だから僕は人の噂にはほぼ反応しないんですよ。

インタビューを終えて
物静かな佇まいでありながら、一たび話し出すと強烈な熱量で自らの思いを分かりやすく話してくれる人──。大南さんに会うのは5年振りですが、見かけも中身も良い意味で全く変わっていませんでした。

大南さんに初めてお会いしたのは、本連載を掲載するウェブメディア「新・公民連携最前線」で、BSジャパン(現・BSテレビ東京)とのコラボ企画「まちづくりマスター」の取材で2016年夏に神山町を訪ねたときでした(関連記事)。当時も今も、大南さんのビジョンは、「シリコンバレーを神山町につくり出す」ということでした。「IT産業が集積する町をつくりたい」という意味ではありません。インタビューで語っている通り、小さなガレージで創業したヒューレット・パッカードを源流とするシリコンバレーのスピリッツを持った、起業家精神にあふれる町をつくりたい、ということです。

様々な自治体が、その町づくりの秘訣は何かと視察の要請が後を絶たない神山町。日本の地域創生のカギを握っている神山町──。しかし、神山町の活性化の立役者でありキーパーソンである大南さんは、「人が来ればよい」「賑いが創出できればよい」ということで地域創生に取り組んでいたわけではありません。

「変化の向こうにある変化をのぞいてみたい」──。大南さんの思いは明快です。まさに、変化することを楽しみ続けるシリコンバレーのスピリッツそのままに、神山町を舞台として活動してきたのです。結果として、人口わずか5000人の神山町が日本中から注目されるに至ったのです。

しっかりとしたビジョンはとても大切です。しかし、明確なビジョンはその目的がはっきりとしすぎるがゆえに、時として枷にもなり得ます。

大南さんは明確なビジョンを持ちつつも、そのビジョンをあらゆる角度から絶えずシミュレーションし、新しい可能性を探っていました。まさにシリコンバレー型のディスラプティブ・イノベーターといえるでしょう。
高橋博樹(たかはし・ひろき)
日経BP 総合研究所 戦略企画部長
高橋 博樹(たかはし ひろき) 日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総合研究所の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「新・公民連携最前線」「Beyond Health」の2つのメディアを創案して立ち上げた(写真:栗原克己)

特別付録 大南信也さんへの10の質問

1.行ってみたい場所
ヨーロッパの氷河地帯。

(イラスト:宮沢洋)


2.影響を受けた本
猿谷要『現代の幌馬車―アメリカ考現旅行』(1973年)です。アメリカに行きたいという小さい頃からの夢があって、この本を読んでいっそう、その思いが募りました。



3.尊敬する経営者
HP(Hewlett-Packard Company)の創業者、ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードです。

4.会ってみたい人
シリコンバレーの父、フレデリック・ターマン教授。

5.好きな動物
ピューマ

6.好きな食べ物
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ステーキ)

7.ほしいモノ
若さ、です。

8.生まれ変わったらなりたいもの
「ものを創造する人」ですね。

9.リラックス/気分転換する方法
ソファで何も考えないで寝っ転がることです。

10.最近ハマっていること
ダルビッシュ有選手です。登板日は早朝からテレビ観戦しています。これまで一人のスポーツ選手を追いかけることはありませんでした。常に創意工夫を怠らず、さらに自分の会得したものを惜しげもなくオープンにしているところが素晴らしい。イノベーションが生まれますよね。年齢は僕の半分ですが、尊敬しています。

(タイトル部のImage:千葉 大輔)

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