ジャンルを問わず、世の中に新しい価値を創出したDisruptive Innovator(ディスラプティブ・イノベーター:破壊的創造者)の生の声をお伝えするインタビューコラム「Disruptive Innovators Talks ~新たな価値の創造者たち~」。第14回は、知的障害のある作家が描くアートをビジネスの文脈に乗せて発信することで注目を集めるヘラルボニーの創業者、松田崇弥氏(代表取締役社長・双子の弟)と松田文登氏(代表取締役副社長・双子の兄)が登場します。

「障害者アート」という枠組みを超えて、それぞれの作家の作品のすばらしさ、個性を広く伝えたい。そんな思いを実現するために作品のデータベース化とライセンスビジネスを発想。「異彩を、放て。」というミッションの下、その展開は衣類、食品パッケージ、建設現場の仮囲い、ホテルのプロデュースなど大きな広がりを見せています。

(写真:鈴木 愛子)<br><br><b>松田崇弥</b>(まつだ・たかや、写真左)<br> 1991年生まれ。双子の弟。小山薫堂率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズを経て独立。4歳上の兄・翔太氏が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に2018年7月、ヘラルボニーを設立。代表取締役社長。クリエイティブ担当。東京在住。<br> <b>松田文登</b>(まつだ・ふみと、写真右)<br> 1991年生まれ。双子の兄。大手ゼネコンで被災地再建に従事。その後、ヘラルボニー代表取締役副社長。マネジメント担当。岩手在住。
(写真:鈴木 愛子)

松田崇弥(まつだ・たかや、写真左)
1991年生まれ。双子の弟。小山薫堂率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズを経て独立。4歳上の兄・翔太氏が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に2018年7月、ヘラルボニーを設立。代表取締役社長。クリエイティブ担当。東京在住。
松田文登(まつだ・ふみと、写真右)
1991年生まれ。双子の兄。大手ゼネコンで被災地再建に従事。その後、ヘラルボニー代表取締役副社長。マネジメント担当。岩手在住。
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ヘラルボニーの事業の根幹には、障害のある4歳上のお兄様の存在があります。改めてお二人にとってのお兄様への思いや、障害についてのお考えについて聞かせてください。

松田文登(代表取締役副社長・双子の兄) 4歳上の兄は重度の知的障害を伴う自閉症なんですが、家では普通に仲良く暮らしていました。それに、母親が福祉に積極的だったということもあって、物心のついた頃から障害福祉系の団体のところに毎週土日は一緒に通っていた記憶があります。そこはいろいろな障害のある方が当たり前のように存在している場所でしたから、(障害のある人と)共存するというのは当たり前でした。そんな環境で福祉業界の人たちにすごくかわいがられて育ったということもあって、もともと将来的には福祉という領域で勝負したいなという思いはありました。ですから、ヘラルボニーは兄がきっかけで始まったといえると思います。

 ただ、一歩外に出ると社会には「障害者」という枠組みがあって、兄はやはり欠落と見られてしまうようなことも多々あるんだな、ということを実感する機会は幼少期からたくさんありましたね。それで中学校のとき、クラスに障害者のことをバカにしてからかうみたいな風潮があって──。兄のことは大好きだったんですけど、そのクラスの小さい枠組みの中では、自分は兄の存在を隠して中学の3年間を過ごしてきたということがありました。

それはお二人ともそうだったのですか。

松田崇弥(代表取締役社長・双子の弟) はい、2人ともそうでした。僕らは本当に小学校・中学校・高校とずっと一緒で、部活も全部一緒で、友人関係もほぼ一緒でしたので。ですので、二人とも中学のとき兄が自閉症だということを言いづらくなったというのはありました。それから高校に入って、全く違う友人関係と環境に大きく変わったことによって(兄のことを)話せるようになっていきました。

(写真:鈴木 愛子)
(写真:鈴木 愛子)
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文登 障害というと「欠落」をまず連想されてしまう──。けれど、アートというリスペクトが生まれてくる世界と出会い、従来からの障害に対する価値観を変えていけないかと考えました。そんな思いからヘラルボニーはスタートしています。

障害のある作家が描いたアートをプロダクトに落とし込む

障害のある作家が描いたアートをネクタイや傘といったプロダクトに落とし込んだブランド「MUKU」を2016年にスタートしました。事業を起こそうとしたきっかけや苦労したことなどを教えてください。

文登 崇弥が障害のある作家の作品を展示する美術館「るんびにい美術館」(岩手県花巻市)を訪れたことがきっかけです。その作品が、障害者であるとかそういうことと関係なく、単純に美しくて感動を覚えて、「これはすごい」と思ったことがスタートです。

お母さんが連れて行ってくれたんですよね。

崇弥 そうです。当時、私は東京にある広告の企画会社で働いていたんですが、たまたま岩手に帰省していたときに母から「るんびにい美術館に行ってみない?」と言われて。私もそのときは知らなかったんですが、行ってすごい衝撃を受けて、文登に電話して──。最初の「MUKU」は副業でしたが、まずはそういった形でスタートしました。

 一方で、障害のある方が描くアート作品は、支援的な文脈、CSR(企業の社会的責任)的な文脈に乗り過ぎているのではないかとも感じていました。例えば、福祉施設や就労支援施設でつくられた皮細工が、道の駅で500円とか安い値段で売られている。けれど、その職人の作品をクオリティーの高いものとして世の中にアウトプットすることはできるはずです。これってプロデュースする側の裁量なんじゃないかと思ったりもしていました。