最初にネクタイを商品化しましたね。

崇弥 シルクで、織りで、障害のあるアーティストの作品を表現できたら本当に素敵なものができるんじゃないかなということで、まずはネクタイをつくりました。

文登 障害のある方と社会を結ぶ、という意味合いを込めてネクタイを選んだのですが、当時はただ「熱量が高い若者が有志で頑張っている」というだけの状態でしたので、製造してくれるところを見つけるまでは苦労しました。

崇弥 そうですね。東京・銀座で100年以上続くネクタイメーカー、田屋さんが最初につくってくださることになったのですが、田屋さんは創業(1905年)以来、OEM生産で他社ブランドに卸すということは一切やってこなかったんです。そんな中で、法人格もない僕らを認めていただけたのは、すごい熱量というか、思いに共感してくださったからだと思います。とてもありがたかったですね。

文登 田屋さんのデザイナーも「(色の数が多くて大変だけれど)逆に燃えます」と言ってくださって、作品自体にも魅力を感じていただけたのではないかと思います。

田屋の職人が織り上げて初めて商品化されたネクタイ。八重樫道代氏の「ワープロ」という作品がモチーフだ(写真:鈴木 愛子)
田屋の職人が織り上げて初めて商品化されたネクタイ。八重樫道代氏の「ワープロ」という作品がモチーフだ(写真:鈴木 愛子)
[画像のクリックで別ページへ]

他に苦労した点は、どのようなことがありましたか。

崇弥 苦労はあったんですが、(当時は副業だったので)別にこれで食わなきゃいけないわけでもないので、ある意味、すごく楽しかったですね。勤務していた広告の企画会社では、年間の数字目標が毎年あって、それをどう達成するのかということを一生懸命やっていました。それも楽しくやっていたのですが、でも、「MUKU」の活動をしながら、「やっぱり自分は知的障害のある方々と一緒にクリエーションを生み出していくようなことが、すごくやりたかったんだな」という気持ちが、日に日に大きくなっていったんです。「MUKU」を立ち上げて起業するまでは、やりたいことを実感していく時間でした。

純粋にやりたいことを形にしてみたら「MUKU」ができたということだった、と。

(写真:鈴木 愛子)
(写真:鈴木 愛子)
[画像のクリックで別ページへ]

崇弥 本当にそうです。「好奇心を形にした」みたいな。なので儲けようとかは別に思ってなかったです。

文登 ワクワクが前提なので。当時は、事業としてどうしようとか、社会を変えようとか、そんな大きいことは考えてなかったです。

崇弥 やっぱり作品は本当にリスペクトしていて──。純粋に格好いいし、イケてるなって思っているので、そのイケている作品をイケているままに、どうやって世に出せるか──。このことはいつもすごく考えています。