2014年1月末のある朝、筆者の友人であり、会社(グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン=GHC)の顧問も務めている米国メイヨークリニックの元COO(最高執行責任者)のボブ・スモルトから電話を受けた。

 「スイスにいるデニスから今朝聞いたのだが、日本にメイヨークリニックのような病院を作るんだってね」

 デニスとは、メイヨークリニックの元総括院長兼最高経営責任者のDr.デニス・コーティス。早朝、想定外の内容だったので、筆者は当初、「えっ、ほんと?」としか言えなかった。その後、朝一杯目のコーヒーを入れながら、ボブの話に注意深く耳を傾けた。すると、前出のデニスも出席しているダボス会議(世界経済フォーラム)で、安倍晋三首相が「日本にもメイヨークリニックのような病院(正確にはホールディングカンパニー型の大型医療法人)ができてしかるべき」との発言をしたというのだ。

 日本の報道では「ホールディング型の大型医療法人」と訳されたが、実際の英文スピーチの該当部分を抜粋すると"large-scale health care companies in the form of holding companies, much like the Mayo Clinic"。これは1990年代に米国で広まった複数病院の統合・再編によって構築される「インテグレイティッド・デリバリー・システム(Integrated Delivery System=IDS)」のことである。スピーチの中で「カンパニー(companies)」とあるが、必ずしも医療法人である必要はなく、日本ではもっと公共性を意識した社会医療法人財団や地方独立行政法人のイメージに近いと思う。

メイヨークリニックとは?

 米国西海岸北部を代表するスタンフォード大学とカリフォルニア大学サンフランシスコ校の大学病院の合併・再編(1996年)も、IDS事例の一つだった。当時、私はスタンフォード大学で教職に就いており、この合併にもかかわった(いずれその事例に関しても、このコラムで述べたいと思う)。その後、教職を退き、病院経営のコンサルタントに転じた私と、米国の経営パートナーで最も多くのIDS案件に携わってきたマーティ・マイケルは、ともに米国で多くのIDS案件を推進してきた。私が日本市場へ参入したのも、そのようなIDSこそが、日本の病院産業の再編のために、そして持続可能な地域医療を構築する術だと考えていたからだ。

 多くの読者はメイヨークリニックの名前を聞いたことがあると思うが、少し説明しておこう。メイヨークリニックは米国を代表する医療機関であり、「患者と患者の家族が運命を受け入れる前に訪れる最後の拠り所」とも呼ばれている。「クリニック」の名前が付いているが、日本で言うところのクリニック(診療所)ではない。イギリスから移民として米国に渡ったウィリアム・メイヨー医師が、1864年に雪深い辺境の地ミネソタ州のロチェスターに開いた小さな診療所が起源であり、「クリニック」と呼ばれている所以だ。

米ミネソタ州ロチェスター市にあるメイヨークリニック(写真提供:Robert K. Smoldt [Emeritus CAO, Mayo Clinic])

 今日では医学部も有し、フロリダ州ジャクソンビルとアリゾナ州スコッツデールにも支部病院を置いている。USニューズ&ワールド・レポート誌の「全米の優れた病院ランキング」の2019年版ではトップの1位。約30年にわたりトップもしくはそれに次ぐ位置を維持している。また単なる医療機関としてだけではなく、事業体・経営体としても高く評価されており、経済誌フォーチュンで発表されている「働きがいのある会社トップ100ランキング」(Fortune 100 Best Companies to Work For)の常連でもある。病院も企業同様に扱い、働きがいランキングに載せるのは米国らしい(2020年2月に最新のランキングが発表されたが、この年は残念ながらランクインを逃した)。

ロチェスター市の3人に1人がメイヨークリニックに勤務

 過去、私は日本の医療関係者数人から「米国の医療はお金儲け中心だ」「米国の医療は医療ではない」という言葉を聞き、忸怩たる思いをしたことがある(いずれそのような意見には今後の連載の中で反論を述べたい)。そのような米国の医療に対して拒否反応が強い彼らでさえ否定できないだけの高い志の歴史、そして圧倒的な実績と経験がメイヨークリニックにはある。

 メイヨークリニックの従業員数は6万5214人であり、内3万5000人は本拠地のロチェスターで勤務している。ロチェスター市の人口は10万人ほどなので、3人に1人がメイヨークリニックで働いていることになる(医療機関による究極の地方経済振興の事例であろう)。医師の数は4878人。看護師や技師、事務系職員は6万336人。2019年には、世界138国から年間120万人の患者が来院し、うち入院患者は12万9000人。メイヨークリニックは非営利の病院であるが、収入は日本円では1兆円以上の138億ドルで、利益は10億ドル。このような規模と実績がある医療機関は、日本には存在しない。

 冒頭のボブ・スモルトからの電話に戻ろう。GHCの顧問であるボブとメイヨークリニックの元総括院長のデニスとは、日米の医療の比較研究を行い共同著作物もある。ボブは日本の多くの有名病院を訪問したこともある。その上でボブとデニスはこう指摘する。

 「日本にもメイヨークリニックのような病院? メイヨーを例として出していただいて光栄だが、首相は本気なのか…?」

 彼らは日本の医療と病院のことを理解した上で、安倍首相の発言に驚いたのである。

 筆者は、スタンフォード大学の医療経済学者として、また米国および日本を代表する2つの医療コンサルティング会社の幹部として長年、日米のがん医療を俯瞰してきた。一方、近年は自らもがん患者(大腸がんステージIIIb)になり、日本で手術を、米国で化学療法を受け、その経験をもとに『日米がん格差』(講談社 2017年)を上梓した。

 このコラムでは、このような立場から日本の医療を「産業」として論じたいと思う。医療供給側(病院)だけではなく、健康保険組合のような支払い側、実際の消費者である患者、そして国民皆保険と診療報酬を軸とした日本の医療制度に関しても、アウトサイダーとして、日本の常識に縛られず、忌憚なく、建設的な意見を述べていきたい。

Dr.デニス・コーティス氏、ボブ・スモルト氏とともに。左端から著者とDr.コーティス氏、右端からGHCジャパン渡辺幸子社長とスモルト氏(写真:GHC)

(タイトル部のImage:sublime / PIXTA)