末期がんになった人は退院できずに病院で亡くなることが一般的だった頃に、姉を自宅に連れ帰り看病したことから訪問看護を始めた秋山正子氏。がん経験者や周囲の人が不安を相談したり、悩みを受け止めてサポートしたりする「マギーズ東京」(東京都江東区)や「暮らしの保健室」(東京都新宿区)を通して、病と共に生きていける社会を実現すべく活動を続けている。

 マギーズ東京は、がんと共に歩むやその家族・友人などが予約なしで訪れ、医療知識を持つ看護師や心理士に無料で相談したり、漠然とした心のモヤモヤを打ち明けられたりする場所だ。2016年10月にオープンしてから、毎月500~600人が訪れ、2021年3月までに訪れた人はのべ2万5000人に上る。

マギーズ東京外観。世界の約20カ所にあるマギーズセンターには、緑に溢れた庭があるのも共通する特徴の1つだ(写真:寺田 拓真、以下同)

 マギーズ東京センター長の秋山正子氏は、2歳上の姉が末期の肝臓がんで亡くなるまでの約4カ月間、自宅で看護した。当時、末期のがん患者は亡くなるまで入院を続けるケースがほとんどだったが、看護師である秋山氏は、病院との調整の末、何とか自宅に姉を連れ帰った。退院時に余命1カ月と言われていた姉は、約4カ月を子どもたちとともに自宅で過ごすことができた。この経験から秋山氏は「これからは自宅で最期まで過ごすことを希望する人も増えるのではないか」と考え、「看護師として病院にこもるのではなく、お宅まで伺って在宅ケアをする訪問看護を始めたい」と決意した。元号が昭和から平成に変わったころのことだった。

 訪問看護開始当初は診療所から患者宅を訪問していたが、1992年に改正された老人保健法で「老人訪問看護制度」が創設され、老人訪問看護ステーションの設置が始まった。そこで、秋山氏らも訪問看護ステーションを立ち上げることになった。今では全国に約1万2000カ所ある訪問看護ステーションだが、約30年前の制度開始年にできた訪問看護ステーションは全国で200カ所のみ。東京都内では9カ所で、そのうちの1つが秋山氏らの訪問看護ステーションだった。

残された人に「やっぱりがんは大変な病」という傷を残さないために

 訪問看護を始めるきっかけになったのが姉の末期がんだったことから、秋山氏は在宅ホスピスに興味を持っていた。ホスピスケアとは、日本在宅ホスピス協会によれば「生命の危機に瀕している患者が身体的・心理的・社会的・スピリチュアルな苦痛から解放され、残された日々を人間としての尊厳を保ちながら、心身ともに安楽に過ごすことができるようにするためのケア」であり、秋山氏はこれを在宅で提供したいと考えていた。

 一方、医療界におけるがんという疾患の認識も変わってきた。2007年4月にがん対策基本法が施行され、各地にがん診療連携拠点病院が整備された。この頃から、がんの治療法が充実して、体力を温存しながら治療ができるようになり、がんは罹患後も長く生きられる疾患の1つとなった。入院が基本であったがん治療も、外来での治療が主になってきた。

 秋山氏は、「これはとても素晴らしい進歩」と喜ぶと同時に、「ずっと治せるかもしれないと思って治療を続けてきて、あるとき『もう治療薬がなくなった、緩和ケア病棟を探しなさい』と言われる。突き放されたような気持ちになり、どうしていいか分からなくなる方も増えた」と振り返る。そうこうしているうちに、あっという間に病状が悪化し、秋山氏の訪問看護ステーションに、亡くなる前の1週間だけ訪問依頼が来るといったケースが続いた。

自宅で末期がんの姉を看取った経験から訪問看護を始めた秋山正子氏

 患者が人生の最期を迎えるときは、家族と周囲の人たちが協力し合って良い見送りができたと実感することもあれば、反対に心に大きな傷を残す結果となることもある。「残された人たちに、『がんはやっぱり大変な病だった。最期は医療にも突き放されてひどい目にあった』という思いを抱かせてはいけない」。そう思っていた秋山氏が、2008年に知ったのが英国エジンバラにある「マギーズ エジンバラ」だった。