前回までは、「コロナうつ」が「古典的なうつ」と異なり、動かないことが起因しておこる「うつ」であること、そしてストレスを極端になくすことでデメリットが生じるなど、主に「個人」的なところに焦点を合わせたお話が主でした。

 今回は、焦点を「集団」に移して「コロナうつ」にまつわるお話をしていきたいと思います。今までの個人的な思考においては、自分のクセとして向き合い修正をすれば良いので、自分で気を付けていればコントロールが容易でした。しかし、ここからお話する「集団的他者思考」というものは、外部からの情報や影響を受け、自分のみならず社会全体が巻き込まれて動かされてしまうという点で、個人的な思考性よりも質が悪く、危険です。また集団的他者思考は、知らない間に自分の認知や行動を変更させ、ある意味「善意な情報」のようなふりをして私たちの心理に入り込んできます。ですから知らず知らずに社会全体をも動かす点でかなり注意が必要なのです。

「情報」こそが影の支配者である理由

 皆さんは、対人関係でストレスを感じたことはありませんか? 「感じたことはない」とお答えの方は、ほとんどおられないのではないでしょうか。ほとんどの悩みには他者が関係していると私は考えています。しかし、これが情報となるとどうでしょうか? 情報は上手く生きていくために必要なものです。しかし、この「情報」こそが集団的他者思考の影の支配者として危険な罠を仕掛けてくるのです。

 集団的他者思考とは、ウイルスのように心の中に入り込み、自分の認識や行動を変えてしまいます。例えば、SNSなどの情報を興味があるというだけで拡散してしまい、炎上の加担をしてしまうといった経験はないでしょうか?

 SNSなど集団の中で匿名性がある場合には、責任感が薄れ、多数派に乗じることで代理的に自分が承認されている感じになり興奮が増し、攻撃的な言動や衝動的な言動をしてしまうことがあります。コロナ報道が始まったころは、新型コロナ罹患者をまるで罪人かのように捉えてしまい、どこかでクラスターが発生したとなると誰が大元だったのかなど犯人探しをする人が多くいました。これこそが集団的他者思考の怖さの1つなのです。

 他にも集団の凝集性が強く外部からの情報が得られない状況においては、合理的に考えれば間違った情報であってもつい信じてしまい、その情報によって間違った行動を行ってしまうこともあります。例えば、小さな村で明らかにクラスターが発生していても、専門家がおらずに正しい判断ができなければ、「ここで患者が出たことが広まったら大変なことになるから、一切他言無用とし平常通りの生活をする」といった間違った対処をしたり、まじない程度の「お湯をたくさん飲む」などの根拠のない予防対策しかなされなかったりすることがあります。このため一気に感染症患者が増加し、医療崩壊となる施設や小集団もありました。

 このほか「集団極性化」といって、個人の意見よりも集団の判断となった場合に極端な方向へと変化する現象を、集団的他者思考は起こします。これはより危険な方向に偏る「リスキーシフト」や、より安全な方向へ偏る「コ―シャスシフト」の原因となるものです。集団になると類似の意見が1つの強い塊となり柔軟性を失いやすくなることも考えておかなければなりません。マスクをしていない人に強引にマスクをさせたり、行列を見つけては通報したりなどを行った「自称自粛警察」も、集団的他者思考から生まれたものであるといえます。普通の人を極端な行動に駆り立てるのも、集団的他者思考の怖さなのです。

 集団的他者思考に陥り、マスメディアやインターネットによって誤った情報に心がさらされ続けると心の疲弊が起こります。例えば、マスクが品薄であるという情報を何度もメディアからを聞かされ、マスクを買わないと大変なことになると大勢が買いに走ったため、従来通りの行動でもマスクの在庫切れは起こらなかったであろうにも関わらずにあちこちで在庫切れとなり、個人の不安は増加しマスクの単価も高騰しました。これらは「同調圧力による認識の変化」と言い、合理的に冷静に考えればわかるはずのことも、多くの誤情報を継続的に取り込むことにより間違った行動が促進され、心が疲弊してしまうのです。