花王が「皮膚を超える皮膚」と表現する、直径1μm以下の繊維を吹き付けて肌表面に膜を形成する技術「Fine Fiber Technology」を開発した。同技術で作成された膜は、同時に用いた製剤の蒸発を抑えて保持する機能を持つのが特徴だ。製剤と併せて研究することで将来、医療領域への応用が期待できる。

 一見すると何も乗っていない手の甲。爪できっかけを捕らえて引き上げると、薄い膜が剥がれていく(図1)。その様子は日焼けした後に皮膚がめくれるのにも似ているが、ここで剥がされているのは皮膚ではない。花王が「皮膚を超える皮膚」と表現する、機能を備えた極薄の膜だ。

図1●「Fine Fiber Technology」で形成した膜を手の甲から剥がす様子
膜が手の甲に乗っているときは透明で、何もないように見える。そこから膜が姿を現す様子はインパクトが強く、社内での発表時も感嘆の声が上がったという(写真:川島 彩水、以下、図4以外は同)

 同社は、直径1μm以下の繊維を吹き付けて肌表面に膜を形成する技術「Fine Fiber Technology」を開発。それを応用した製品の第1段として、スキンケア向けの小型ディフューザー(繊維を吹き付ける装置)とポリマー溶液、専用美容液を発売した(2019年11月1日付ニュースリリース*1

*1 発売した製品はスキンケアを目的とするものであり、前述のような医療領域では使用できない。

 このディフューザーを使って形成した膜は、美容液に含まれる製剤の蒸発を抑えて湿潤環境を保つため、肌を乾燥から守れるという。同社は今回、Fine Fiber Technologyの適用領域としてスキンケアを選んだが、この技術自体は他の用途にも展開可能だ。同社は同技術や併用する製剤の研究を進め、将来はメイクによるアピアランスケアの他、レーザー治療後のケアや皮膚疾患の治療といった医療領域への応用を目指す。

あたかもカイコが繭を作るよう

 ここでスキンケア向け製品を例に、膜が作られる過程を見てみよう。ディフューザーを手にしてノズルを肌に向け、スイッチを押す。すると肌は微かにひんやりとした風を感じ、やがて繊維が積層した部分がうっすらと白色に見えてくる(図2)。ディフューザーを動かして覆いたい範囲に膜を作り、ディフューザーを止めて膜を肌になじませると、その部分は素早く透明になる。

図2●ディフューザーから極細繊維を吐出する様子
繊維が肌に向かって飛んでいるのは見えないが、手の甲に繊維が積層されていくにつれて膜が形成されていくのが分かってくる。肌に繊維が付着した時点では白色だが、肌になじませると透明になる

 肉眼では何が起きているのかいまいち分からないのだが、この過程を高速度カメラで撮影すると、ノズルから糸が吐出され、それが積層して膜を形成していくのが分かる(花王が公開している動画1動画2)。短繊維を吹きつけているようにも見えるが、これは、螺旋を描きながら吐出されていく1本の長繊維が部分的に光を反射しているため。長繊維は短繊維と異なり交絡させる工程が要らず、部分的に抜けて強度が低下する恐れもない。長い1本の繊維が幾重にも折り重なり、面を作り出していく様子は、あたかもカイコが繭を作るようだ。膜を形成する際は、スキンケア用途に限らず基本的に同じ過程を経る。

 Fine Fiber Technologyで形成した膜(以下、ファインファイバー膜)は、中央から縁へ向かうほど薄く、肌との境目が分かりにくい。端面がないから肌が何かに触れても引っ掛からず、剥がれづらくもなる。加えて、膜を形成した指の関節を曲げ伸ばししても違和感なく追従するほどの柔軟性を備える。さらに、製剤を塗った後に膜で覆えば、製剤を均一に広げて保持し、繊維の隙間から適度に水蒸気を通すので完全に閉塞することもない。

 これらの特性は全て「繊維の細さに起因する」と語るのは、Fine Fiber Technologyの開発を担当した研究開発部門 加工・プロセス開発研究所 グループリーダーの東城武彦氏だ(写真1)。紙おむつや清掃用シートなどに用いられる不織布の研究で得たノウハウを生かし、新技術を実現した。

写真1●花王 研究開発部門 加工・プロセス開発研究所 グループリーダーの東城武彦氏

「繊維が20~30層重なって1枚のファインファイバー膜を構成していて、厚さは5μ~10μm*2。皮膚の角層が約20μmですから、ファインファイバー膜はその半分以下ということになります*3。繊維が細くなると、肌と接する面積が増えて密着性が向上する上、肌の動きに追従する柔らかさが生まれます。そして、この技術の最大の特徴である『毛管力』が高まるのです」

*2 吹き付ける時間やディフューザーの動かし方などにより、膜の厚さは制御できる。
*3 角層:表皮は、外側から「角層」「顆粒層」「有棘(ゆうきょく)層」「基底層」の4層から成る。このうち角層は、肌へのほこりや菌の侵入を防ぐ、体内の水分が過剰に蒸散するのを防ぐ、保湿するといった役割を担う。

 毛管力とは、物体内の狭い隙間が液体を吸い込む力。繊維が細いほど繊維間の隙間が小さくなって毛管力も高まり、肌にぴたっと密着する。化粧品で用いられる粘度の高い製剤でも、均一に広がるそうだ(図3)。化粧品には従来、肌表面に製剤を均一に広げて、かつ、その状態を持続させるのが難しいという課題があったが、ファインファイバー膜はそれを解決できる可能性がある。

図3●ファインファイバー膜に製剤が広がるイメージ
水色に着色したモデル溶液を用いている。繊維の隙間に製剤を広げて保持する(出所:花王)

不織布の製造技術で極細繊維を紡糸

 では、ここまで細い糸をどのように作り出しているのか。それを実現するにはまず、適切な材料を選ぶ必要がある。東城氏らは同社が持つ材料の知見を活用し、細くなりやすい、柔らかい、十分な強度を備える、化粧品として使用可能な安全性を確保できるといった要求特性を満たすポリマーと溶媒の組み合わせや溶媒の濃度などを決めた。

 併せて同社は、極細繊維を吹き付ける機械技術の開発も進める。製膜には不織布を造るのに広く使われる「エレクトロスピニング(ES)法」(電界紡糸法)を採用した。ES法は、プラスに帯電したポリマー溶液をマイナスに帯電した対象物に向けて噴射し、極細繊維を得るもので、不織布の製造では広く使われている方法だ。

 東城氏らは当初、ファインファイバー膜をシートとして製品化することを考えて大型の装置を試作したが、極薄の膜を扱うのは難しいためアプローチを変更することになる。そして、肌に直接吹き付けるというアイデアを得て「分散型の生産装置」(東城氏)、すなわち家庭で使うことを想定した小型のディフューザーの開発へと舵を切る。さらにスキンケア向け製品では、美容家電の開発で実績のあるパナソニックの協力を得て小型化を図った。

 製品化したディフューザーは電池の電圧を増幅する回路を搭載しており、ノズルに電圧をかけてポリマー溶液に印加する。プラスに帯電したポリマーが近付くと必然的に肌表面はマイナスの電気を帯びるため、ノズルからポリマー溶液を噴射すると、ポリマーから溶媒が分離して糸を形成しながら肌表面に向かって飛んでいく。このとき、ノズルから出た糸が何らかの力を受けて揺らぐと同時に、糸が電気を帯びて反発し合い、遠心力が発生するため、糸は螺旋を描くように進む。遠心力が増幅されることで繊維が細くなるという原理だという。

 ポリマー溶液をパウチに収めて交換しやすくするなど、ディフューザーの使いやすさを向上(図4)。当然ながら、安全性にも配慮した。ノズルにかかる電圧は小さいものの、静電気よりも強いショックが発生する恐れもあるため、使用する上で必ず触れる部分、つまり持ち手にアースの機能を持たせて使用者の体に回路を形成し、放電しにくくしている。さらに、肌に近付けすぎると停止させて電圧がかかり過ぎるのを防ぐなどの工夫も盛り込んだ。

図4●ポリマー溶液を充填したパウチ
簡単に交換できるようにして、使い勝手の向上を図った

 材料や装置の開発過程で苦労したのは「色々な環境で使えるようにすること」(同氏)だった。ES法は、いったん紡糸してから平面に加工する方法と異なり、ポリマーから直接加工できるのが利点。その他にも、常温で加工できる、さまざまな材料を紡糸できるといった特徴がある一方で、周囲の環境によっては紡糸しにくくなるという欠点もあるのだ。

 「夏と冬では湿度が異なり、静電気の発生の仕方も変わってきます。夏は電荷が逃げやすくなって紡糸しづらくなる。そこで、ポリマー溶液の設計によって電気的な特性を制御することで、季節を問わず安定して紡糸できるようにしました」

「使い方によって、この極薄の膜にさまざまな価値が生まれる」

 花王は、ファインファイバー膜の機能に関して試験を実施している(2019年9月4日のニュースリリース)。[A]従来の製剤のみ、[B]ファインファイバー膜のみ、[C]ファインファイバー膜と製剤を併用した膜の3種類のサンプルを用意し、透湿度(膜が水蒸気を通す度合い)を比較したところ、透湿度が高い順に[A][B][C]となることが確認できた。この結果について同社は、[A]には微細な隙間が存在し、[B]にも繊維間に隙間があるため、透湿度のレベルは大差ないとみる。それに対して[C]では、ファインファイバー膜が持つ毛管力によって製剤が広がり、隙間が埋められるため、透湿度が低下。加えて膜が密着し、水分蒸散を抑える効果が持続すると分析している。さらに同社は検討を重ね、ファインファイバー膜に組み合わせる製剤の組成によって透湿度の制御が可能であることも確かめたという。

 併せて同社は、水分の蒸散を制御する製剤を用いた場合と、この製剤とファインファイバー膜を併用した場合での連用試験も行った。これにより、製剤にファインファイバー膜を組み合わせて使うと、肌を良好な状態に導くとされる複数のタンパク質が角層内で短期間に発現することや、乾燥した肌の見た目が早期に改善することも確認できたとしている。

 これらの結果から同社は、Fine Fiber Technologyを目的に合った製剤と組み合わせて提供することで、さまざまな分野での展開が可能とみている。具体的には、あざや傷跡を隠すカバーメイクやケミカルピーリング後のケア、皮膚損傷の治療などの使い道が考えられる。「使い方によって、この極薄の膜にさまざまな価値が生まれる」と研究開発部門 研究戦略・企画部 部長の前田晃嗣氏は、同技術が持つ可能性に期待を込める(写真2)。

写真2●花王 研究開発部門 研究戦略・企画部 部長の前田晃嗣氏

 そのために同社は、ポリマーや溶媒、ファインファイバー膜と共に使う製剤、装置の仕様といった各要素を用途に合わせて検討していく計画だ。

 「例えばボディーメイクの場合は、肌への密着性をより高める製剤が必要かもしれません。他の用途では、装置の仕様を変更する可能性もあります。目的に合わせたさまざまな提案が可能なのです」

 「ファインファイバー膜によって実現すべき湿潤環境が、用途によって変わってくる」と東城氏。

 「医療分野での使用を考えたとき、肌の状態が健常な人と疾患を抱える人では適した環境が異なるはずです。検討を重ねることで、それぞれの環境を保つためのポリマーや溶媒、製剤といった要素の最適な組み合わせが見出せると考えています」

発表して以来、外部から問い合わせが相次ぐ

 今後の展開は、社内での活用にとどまらない。花王は従来、ある程度の展開が決まってから外部に向けて技術を発表していたが、Fine Fiber Technologyに関しては、製品化が決まる約1年前の2018年11月から積極的に情報を公開してきた(2018年11月27日付ニュースリリース)。これはオープンイノベーションを目指してのこと。「Fine Fiber Technologyが秘めたあらゆる可能性を知ってほしい」(前田氏)という狙い通り、初めて発表して以来、外部から問い合わせが相次いでいるという。中心となるのは、美容・医療領域での活用に関するものだ。

 「眼科での治療や心臓手術での使用など、人体へのいろいろな使い方が見えてきました。他にも、バイオテクノロジーにおける細胞の固定、ウエアラブルデバイスの身体への貼り付けなど、さまざまなアイデアが生まれています」

 それらの中で具体的に進行しているのが、米国での応用研究だ。例えば同社は、広範囲への噴霧が可能な装置を開発し、ボディーメイクを手がけるメイクアップアーティストに提供している。メディカルスパ(皮膚科医や医療従事者による施術も受けられる美容医療施設)では、ケミカルピーリング後のケアに使用。ピーリング後の肌をファインファイバー膜で覆うことで肌が備える修復機能を補助し、ダウンタイムを10日間から半減させられるという。ニキビをファインファイバー膜で保護してからファンデーションを塗れば、肌への刺激を抑えられる。

 Fine Fiber Technology以外ではRNA(リボ核酸)の解析技術も、外部に発信(2019年6月4日付ニュースリリース)。AIスタートアップのPreferred Networks(本社東京)と共同で、実用化に向けたプロジェクトを開始した(2019年11月20日付ニュースリリース)。RNAは一生変化しないDNA(デオキシリボ核酸)と異なり、体調や環境に応じて短い時間で変化する。このため、皮脂中のRNAを調べることで肌状態を捉えられる。肌に薬を塗るなどした後にRNAを分析すれば、正確な効果を把握できるというわけだ。

 実際、ファインファイバー膜と製剤を使用すると、3時間ほどで肌表面のRNAに変化が起きることが分かっている。言い方を変えれば「この技術によって、製剤などの本当の効果が見えてしまう」(同氏)。

 「他社が効果の高いものを作ったら、それが当社の技術で明らかになってしまうのですから、RNA分析技術は『諸刃の剣』でもあります。けれども当社は、本当のところが分かった状況で競争をしていきたい。本当のところをお客さまに示した上で、本当に良いものを提供したいと考えているのです」

 今後も、こうした技術について社内外問わずアイデアを募り、幅広く展開する考え。同社には、原料から製品まで一貫して造り、販売する体制がある。この自前主義は、ともすれば「自分たちで技術を囲い込んでしまうことにもなりかねない」(同氏)。この危険性を排除するために、同社はオープンイノベーションの取り組みを始めた。極薄の膜は、同社の新たな挑戦を支える役割も担っていく。

■変更履歴
本記事で紹介している「Fine Fiber Technology」と、2019年12月に発売した製品の位置付けをより明確にするため、表現の一部を変更すると同時に、写真1点を削除いたしました。記事は修正済みです。

(タイトル部のImage:川島 彩水)