「腸呼吸」という言葉を聞いたことがあるだろうか。たとえばドジョウは水中ではエラ呼吸だが、泥などの低酸素環境下に置かれると腸を介して酸素を取り込む。驚くことに、私たち人間にもこのような腸呼吸の能力が備わっているらしい。東京医科歯科大学統合研究機構先端医歯工学創成研究部門の武部貴則教授は、呼吸不全に対する新たな呼吸管理法を模索する中で、この腸呼吸に注目。マウスやブタなどの哺乳類でも、腸呼吸によって呼吸不全が改善することを突き止めた。

そうして全く新しい呼吸管理法として開発されたのが、「腸換気(EVA)法」。浣腸の要領で肛門に器具を入れ、腸から全身に酸素を送り込む。最初は「そんなバカな!?」「肺以外で呼吸できるはずがない!」などと、まともに取り合ってもらえないことが多かったそうだが、試験結果がすべてを覆した。今年にはヒトを対象にした臨床試験も開始予定。5年以内の実用化を目指す。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などに伴う呼吸不全の治療、筋ジストロフィー患者の呼吸管理、救急医療現場での救命処置など、想定される用途は広い。医学の歴史を変えるかもしれない新治療の開発に大きな期待が寄せられている。

 武部教授は2013年、iPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基、いわゆる“ミニ肝臓”の作製に世界で初めて成功した。そんな武部教授が重い呼吸不全に対する新しい治療法の開発に取り組み始めたのは、今から5年ほど前のこと。肺移植で知られる京都大学呼吸器外科との共同研究がきっかけだったという。武部教授は当時を振り返る。

 「最初は自分の専門である再生医療を用いた方法を模索しましたが、肺は気道や心臓ともつながっており、再生させるにはかなりハードルの高い臓器の一つ。実現するにはそれなりの年月がかかり、今まさに呼吸不全で苦しんでいる患者を救うことは難しい。実は、僕の父が肺の病気を抱えていたこともあり、できるだけ早く治療法として完成させたいという思いもありました。そこで、再生医療とはまったく違う方向からアプローチすることにしたのです」

 まず行ったのは、いろいろな生物の呼吸法を調べること。当時、京都大学呼吸器外科の大学院生として派遣されていた岡部亮医師とともに生物図鑑を片っ端から調べてみたという。

 「魚類や両生類などの中には皮膚で呼吸するもの、食道で呼吸するもの、胃や腸で呼吸するものなど、実にいろいろなタイプがあるとわかりました。そして、これらの中から注目したのがドジョウの腸呼吸。水中ではエラ呼吸ですが、泥の中など酸素の足りない環境下では腸呼吸に切り替わります。いわば環境変化に対する呼吸のバックアップシステムとして腸呼吸の能力を備えているわけです」

 もちろん、ドジョウと人間では体の構造も生態も違うが、共通する点があったという。

 「ドジョウは、毛細血管が密集した腸管後部の後腸と呼ばれる粘膜の薄い部位で、酸素を取り込んでいます。人間の場合も、肛門付近の直腸には静脈叢と呼ばれる非常に豊富な血行があり、粘膜もやや薄い。薬の吸収が非常によいため、お尻から薬を投与する坐薬が昔から用いられています。先行研究がまったくない未知の分野でしたが、これはいけるのではないか!?と勘が働きました。消化管は自分にとってど真ん中の研究領域ですから、とにかくやってみよう、と」

武部教授(写真:稲垣 純也、以下同)
武部教授(写真:稲垣 純也、以下同)
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