公立2病院の再編に国が「待った」

 この地域の医療体制が、現在の姿に落ち着くまでには紆余曲折があった。2004年に始まった新医師臨床研修制度をきっかけに、大学による医師引き揚げに遭い診療体制の縮小を余儀なくされた、それが経営状態の悪化に拍車をかけた、病院の建物が老朽化した、国がガイドラインを策定し公立病院の改革を求めた──など、多くの自治体病院が直面したのと同じ状況に、県西総合病院も筑西市民病院も置かれたことが一つ。

 さらに2病院独自の事情として、東日本大震災の影響がある。筑西市民病院は病棟が使えなくなり50床で暫定的な診療を余儀なくされるという大きな被害を受けた。県西総合病院でも、耐震補強の必要性や設備の老朽化対策が、喫緊の課題としてクローズアップされたのだ。

桜川市の資料をもとに筆者が作成

 震災前、既に茨城県は地域医療再生や公立病院の再編・ネットワーク化の計画を策定し、両病院の再編統合により「新中核病院」を整備する方針を打ち出していた。それを受け、桜川・筑西両市も調整のための会議を設け、2013年12月には新中核病院建設に関する基本的な事項で合意。筑西市民病院を新中核病院として筑西市が整備・運営し、桜川市は県西総合病院を整備・運営することで、各市に一つずつ病院が残るという内容だった。

 ところが2014年、両市はこの計画の断念に追い込まれる。2病院をどちらも残す形では、公立病院の再編・ネットワーク化とみなさないという姿勢を国が示したためだ。そうなると国からの交付金、病院事業債の活用、交付税措置などの財政支援が受けられなくなる。

「地元に病院を残す」という思いを受けて、病院再編に取り組んだ桜川市保健福祉部健康推進課の長島幸男氏(写真:井上俊明)

 そこで桜川市が選んだのは、民間病院を加えた3病院の再編統合という道だった。これなら国の財政支援も受けられるし、桜川市にも公立病院を残せる。大塚秀喜市長が医療法人隆仁会に、地域医療の確保や財政再建への協力などを訴えて再編統合への参加を呼びかけ、2014年12月、民間を含めた3病院による再編の協議が始まった。

 2015年1月には桜川・筑西の両市長が記者会見を行い、当初予定の新中核病院に加え、その機能の一部と山王病院の機能と併せ持つ「桜川市立病院」も新設する方針を公表。筑西・桜川地域の病院再編の枠組みが固まった。

 「2病院を統合して新中核病院のみを建設することになると、桜川市に急性期機能を持つ病院が残らない。県西総合病院は救急対応のほか、市内に診療所が決して多くはない中、外来診療でも大きな役割を果たしていた。なんとかして桜川市に公立病院を残したいという市長や議会の強い思いがあった。桜川市保健福祉部健康推進課の長島幸男氏は、当時を振り返って語る。