ゴーグル型やメガネ型のデバイスを使って、仮想空間をつくるVR(バーチャル・リアリティ)技術注)。一般向けのデバイスが普及し始め「VR元年」と呼ばれた2016年以降、この技術を活用したソフトやビジネスモデルが次々に登場している。

医療分野において、そのフロントランナーの一社になりそうなのがVR/ARを軸としたソリューション事業を手掛けるsilvereyeだ。同社は東京医療保健大学と共同で、一体型ヘッドマウントディスプレイ(以下、ヘッドセット)とスマホアプリを連動させた高齢者向けリハビリテーションツールキット「RehaVR」を開発、2019年に発表した。

高齢者にフォーカスしたVRサービスは、まだ、世界でもあまり例がないという。どのようにVRを用い、何ができて、この先、どんなことを目指しているのか。開発者の2人に聞いた。

右:汲田宏司(くみた ひろし) Silvereye代表取締役。楽天にて楽天ブックス、楽天ダウンロードの各種コンテンツ事業の立ち上げを担当。2011年よりデジタルコンテンツ、IoTデバイス運動等アプリ開発会社運営の後、2017年silvereye社創業。観光体験VRアプリや大手広告代理店経由のVRイベントシステム等、VR /AR空間を構築し支援するソフトウェアシステム開発を主軸に事業展開する
左:今泉一哉(いまいずみ かずや) 東京医療保健大学医療保健学部 医療情報学科/大学院 医療保健学研究科教授 博士(人間科学)。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。同大学院人間科学研究科修士課程修了。専門はバイオメカニクス、人間工学、スポーツ科学。高齢者のフレイルや、リハビリテーション評価に詳しい(写真:大久保 惠造)

ペダル運動で観光名所の散歩を疑似体験

 ゲームやコンテンツ配信などのエンターテインメント分野では身近になった感の強いVR。若い人にとってはおなじみのこの技術が、高齢者を対象とした医療の分野でも活用され始めている。

 2019年に上市されたリハビリシステム「RehaVR」がそれだ。ゴーグルのようなヘッドセットとコントローラーから成るシステムで、ゴーグルを装着すると目の前に観光名所のパノラマ映像が投影される。コントローラーをフィットネスバイクなどの歩行トレーニングマシンのペダルに取り付けると、その回転と連動し、漕ぐスピードに合わせて映像が動く仕組みで、装着した人はその風景の中を実際に自転車に乗って走っているかのように感じる。

 この仕組みをリハビリテーションに取り入れることで、患者が長く歩きたくなるなどのモチベーションを高め、リハビリの効果を上げていくことが当面の目標だ。

 8K対応360度カメラで撮影された映像は鮮明。「ディスプレイと上映機材が一体型なので、場所を取らずに使用できるのが特長の一つ」と話すのは、このシステムを開発したsilvereye 代表取締役の汲田宏司氏だ。同社は主にVRやARを軸としたデジタルコンテンツ、ソフトウエア開発を手掛けるスタートアップだ。

 汲田社長は、自身が以前、リハビリを受けた経験から「もっと楽しくリハビリをできないか」と考えてこの装置を開発したという。

 「世界を見渡しても、日本ほど高齢者市場の大きい国はない。ここをターゲットにしたVRのサービス開発が日本で先行するのは自然なこと」と汲田社長は話す。ある市場規模予測では、医療分野でのVR関連の市場は2026年には340億円という数字もある(下のグラフ)。

国内の医療分野でのVRの普及は期待値が高い
2017年にシード・プランニングが発表した市場調査によると、医療分野で使われるVR・AR・MRの市場規模は2021年には約153億円、2026年には約342億円になると予測されている(出所:2017年シード・プランニング)

 だが、国内でVRを搭載したリハビリテーション機器をビジネスとして展開しているのは、「今のところ、当社を含めて2社しかないと認識している」と汲田社長。

 「実はVRを用いたリハビリの研究は四半世紀以上の歴史があり、研究対象としては目新しいトピックではない」と解説するのは、同製品の監修・共同研究者である東京医療保健大学の今泉一哉教授(専門はバイオメカニクス)だ。

 今泉教授によると、VRで映像を見せトレーニングすることで歩行機能向上や転倒リスク低下などに一定の成果があることを示した研究も複数存在し、論文もある(下のグラフ)。しかし、研究はあっても臨床応用が進まなかったのは、パソコン処理能力の限界や機械が大がかりなこと、高コストなどがネックになっていたからだ。

海外の先行研究例
高齢者対象に、半年間のトレッドミルによる歩行運動と、トレッドミル+VRで仮想の散歩道を見せながらの歩行運動を比較したところ、後者で転倒リスクが有意に下がった(図:Lancet:2016 Sep 17;388(10050):1170-82.を基に編集部が作成)

デバイスの小型化が追い風に

 実装化への扉が開いたのは2016年。米フェイスブック社によるオキュラス社の買収がターニングポイントになった。オキュラス社はVRのハード&ソフトウエア製品に特化した開発・販売会社で、現在はフェイスブック社の一業務部門になっている。

 フェイスブック社CEOのマーク・ザッカーバーグ氏がVRの将来性を高く買い、巨額の投資を行った。ハードウエアを安く流通させ、ソフトウエアで利益を上げる戦略で、オキュラスのヘッドセット(oculus go)はシェアを拡大し、ソフト開発・販売に多くの会社が参入した。silvereyeもその一社だ。

 「装置のパフォーマンスも上がり、大容量の情報を処理できるようになって小型化が実現した。リハビリ領域でも、それまでの研究を足がかりに、やっと実用的なデバイスを世に出せるようになったのです」(汲田社長)。それが2018年のことである。

RehaVRの商品構成。ヘッドセット(oculus go)と、ペダルに装着するコントローラー。「一般に流通している機材を利用しているので低コスト化が実現し、導入金額を安く抑えられている」(汲田社長)(写真:大久保 惠造、以下同)

 デバイス開発のハードルは下がった。そのため、仮想空間を歩くだけならアミューズメント施設でも導入できるようになった。だが、同社が目指すのは医療の分野だ。

 問題はソフトだった。先行研究があるとはいえ、どんなコンテンツがリハビリに適しているのか、時間は何分が望ましいのか、有効な対象者像は…など、一から設計する必要があったのだ。

 そこで今泉教授は知己の病院にヒアリングし、医療現場のニーズをさぐったところ、「病院でのリハビリは診療報酬体系に則って時間に上限があり、現状、その時間数だけでは日常生活に戻れるか不安な患者さんも少なくない。そのため、治療としてではなく、自主トレのような形で入院中に使えるものがあれば使ってみたい、といったアドバイスをいただいた」(今泉教授)

 医療スタッフもマンツーマンでつくだけの人的余裕がないため、一人で複数の患者を見られると使いやすい、というリクエストもあった。当初、今泉教授は先行研究で主に使われていたトレッドミル(移動ベルトの上を歩くトレーニングマシン)との連動を考えていたが、立位では安全確保のためにリハビリ現場ではマンツーマンが原則。そこで、より安全性の高い、座位でペダルをこぐマシンと連動させることにした。

 機能面も、当初は歩行などの運動機能の改善を念頭に置いていたが、まずは楽しんで運動できること、それによるモチベーションアップを目的としたものに絞り込んだ。

動画を再生すると、写真のモニター画面と同じ映像が利用者のヘッドセットにも上映され、ペダルをこぐスピードに合わせ、風景が進んでゆく。ペダルと動画を連動させる技術は特許出願中

 「試作機は、動画と動作が連動しておらず、ただ動画を眺めながらペダルをこぐもので、まったく面白くなかった。そこでペダルの回転と動画の速さを対応させてはとsilvereyeに提案し、同社でアルゴリズムを開発、搭載したのです」(今泉教授)。ゆっくりこげば映像もゆっくり、速くこげば速く進む。これが同社の製品の独自性であり、現行品の基本仕様になっている。

「楽しく動く」から「身体機能改善」へ

 現行のRehaVRには指導者用のタブレットが付属しており、利用患者ごとに身長、体重、運動時の距離と時間、消費エネルギーなどが記録できる。

 また、利用患者がヘッドセットで見ている映像は、タブレットでも同時上映される。映像は利用患者の顔の向きや角度とも連動しているので「右に何がありますか?」「次はここまで行きましょうか」といった声かけも可能だ。

導入病院でのシーン
回復期リハビリ病棟を持つ病院での利用例。脳卒中の後遺症がある患者に理学療法士がつき、タブレットで同じ映像を見ながら声掛けをしている(写真:silvereye提供)

 映像は希望するものをダウンロードして使う。国内観光地をはじめ現在100本以上あり、今後も増やす予定という。

 システムの費用は本体、好きな動画のダウンロードを含むサブスクリプション方式で月3万円(税別、2020年3月時点)。初期費用は不要でダウンロード制限もない。

 今のところ病院や高齢者施設を対象にB to Bで展開しており、2019年9月の販売開始後、現在まで約半年で関東を中心に12施設が導入。今後、東海や関西にも販路を広げ、今年内に300施設の導入を目指す。

 「昔旅行した場所の景色が見られ、夢中でペダルを漕いでしまいました」(利用者)

 「浜辺の波打ち際を歩いたり、犬と散歩したりと、施設にいるとできないことを、仮想体験できて楽しかったです」(利用者)

 「同じ映像を見られるので、作業療法士や理学療法士からの患者指導がしやすくてよい」(医療・介護施設関係者)

 「将来的に、介護アウトカム評価の助けになることが期待される」(医療・介護施設関係者)など、導入施設や利用者からも好評だ。

 現状は、リハビリを続けるモチベーションを上げることが主な狙いになっており、リハビリ効果を向上するか、などの検証はこれからだ。とはいえ、一部の医療機関では、機能改善やADL(日常生活動作)向上、さらには在院期間の短縮を念頭においた試みも始まっているという。

ペダルをこぎながら、画面の奥から手前に飛んでくるボールの番号(画面では右の6のボール)を読み取る、など、二つの動作を同時に行うような訓練もできる(写真:大久保 惠造)

 「たとえば、数字が書いてある風船が飛んでくるといったオプションを景色の映像に付加して使ってもらっています。ペダルをこぎながら風船を目で追ったり、数字を読み取ったり、風船に手を伸ばしたりする動作が、実生活での自立度を上げるバランス制御(姿勢を保つ機能)や神経系(ものを認知し、働きかける機能)の改善につながるかどうかを、今後検証したいと思っています」(今泉教授)

 RehaVRの基本システムは、医療分野以外への応用も可能だ。「例えば教育分野。子どもたちが屋内で安全に体を動かして遊ぶのにも適していますので、放課後デイサービスなどの施設にプレゼンテーションを行っているところ。またVR技術は製造業や建設業現場の安全管理シミュレーションも得意。工場のレイアウトや動線の設計、作業者のトレーニングなどに役立てられる」(汲田社長)。同社ではVR/ARを使ったソリューションやプラットフォームを企画から開発まで手掛ける。多様な業種との連携にも積極的だ。

RehaVRの今後の展望
VRを導入することで、患者のモチベーションが上がり、それがリハビリを促進し、リハビリ自体の質も向上する。それにより患者の心身の機能向上やADLの向上が実現して、QOLアップにつながる(図:今泉教授の資料を基にBeyond Healthが作成)

 “高齢化先進国”の日本で、今後、世界的な普及が見込まれているVR技術が健康長寿にどれだけ貢献できるのか──。挑戦は始まったばかりだ。

注)
VR:「Virtual Reality」の略で、日本語では「仮想現実」と訳される。ディスプレイに映し出された仮想世界に、自分が実際にいるような体験ができる技術。

AR:「Augmented Reality」の略で、日本語では「拡張現実」と訳される。VRは「別の仮想空間」を作り出すのに対し、ARは現実世界にCGなどによるデジタル情報を付加、つまり、現実世界に仮想現実を反映し拡張させる技術といえる。

MR:「Mixed Reality」の略で、日本語では「複合現実」と訳される。現実世界の情報を、カメラなどを通して仮想世界に反映させる技術。同じMR空間にいる複数の人間が、同時にその情報を得たり、同じ体験ができたりする。

(タイトル部のImage:patpitchaya -stock.adobe.com)