日本発のグローバル企業である「タケダ」こと武田薬品工業。その“研究の総本山”とも言うべき湘南研究所(神奈川県藤沢市)に、2018年4月、「湘南ヘルスイノベーションパーク」(略称:湘南アイパーク)が出現した。バイオベンチャーやアカデミアが持つ革新的なアイデアを、患者に届く形に実用化(社会実装)する――。そんな構想の下、タケダが湘南研究所を開放することにより設立された産官学連携の場だ。狙いや取り組みなどについて、1年間の成果を含めて追った。

湘南アイパークの外観(写真:剣持 悠大、以下同)
湘南アイパークの外観(写真:剣持 悠大、以下同)
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研究所を開放し、研究開発のホットスポットを自らつくる

 約22万m2の敷地に地上10階建てビルディング5棟とエントランス棟が並び、長さ430mにわたる廊下が各棟の各階を貫いている。延床面積は約31万m2を誇る。

 この広大な湘南アイパークの約半分の建屋をタケダが研究所として利用し、残りがテナントとなっている。2019年4月現在、40社が入居。バイオベンチャーをはじめ、国立がん研究センターのトランスレーショナルリサーチグループ、日本IBMなども入居した。タケダの同業としては、あすか製薬に続いて2019年4月に田辺三菱製薬の入居も決定し、3社の製薬企業が研究拠点を置くことになった。

430mにわたる廊下が5棟のビルを貫き、どこのオフィスとも行き来できる
430mにわたる廊下が5棟のビルを貫き、どこのオフィスとも行き来できる
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吹き抜けの2階回廊には来訪者とのミーティングスペースが設けられている
吹き抜けの2階回廊には来訪者とのミーティングスペースが設けられている
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 タケダが湘南研究所を開放するに至ったのはなぜなのか――。湘南アイパークのジェネラルマネージャーで医師の藤本利夫氏は、大きく2つの側面が背景にあると話す。

 1つは、タケダの戦略転換にあるという。「タケダには2015年、R&Dトランスフォーメーションという大きな変化があった。手広く手掛けていた研究開発を、がん(オンコロジー)、消化器系、ニューロサイエンス(神経精神疾患)の3領域に集約。加えて、トランスフォーメーションの外部化を推進し、パイプライン(新薬候補)の50%は外部からのシーズで占めていくという戦略に転換した」(藤本氏)。その一環として、自社研究所にバイオベンチャーなどを招致し、育成しながら一緒にイノベーションを実現していこうというわけだ。

湘南ヘルスイノベーションパーク ジェネラルマネージャーの藤本利夫氏
湘南ヘルスイノベーションパーク ジェネラルマネージャーの藤本利夫氏
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 もう1つは、技術変革の潮流の変化である。世界的な流れとして、製薬企業が大規模な研究施設を持つのではなく、アカデミアやバイオベンチャーなどが数多く集積している都市に研究開発部門を置き、いち早くバイオベンチャーとつながろうとする戦略に変わってきているという。ただし、バイオベンチャーが数多く生まれるような都市が日本にはないのが現状だ。そこで、「タケダが自社の研究所を開放して、研究開発のホットスポットを自らつくってはどうかというアイデアから、湘南アイパークの設立に至った」(藤本氏)。

入居しただけではイノベーションは生まれない

研究/オフィス設備が完備された実験エリアには各種の共有実験機器が設備され、入居してすぐに研究をスタートできるという
研究/オフィス設備が完備された実験エリアには各種の共有実験機器が設備され、入居してすぐに研究をスタートできるという
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 湘南アイパークには、研究/オフィス設備が完備された実験室に、遠心機やリアルタイムPCR、フローサイトメーターなどが共有実験機器として備わっている。入居企業は自ら実験設備に投資する必要なく、入居した日から研究を始められる環境を有していることが大きな特徴という。「研究施設への初期投資が不要なことは、バイオベンチャーにとって魅力的」(藤本氏)と自負する。

 ただし、「入居しただけではイノベーションは生まれない。各自のオフィスを出て、研究者同士が交流できる環境や仕掛けが必要だ」と藤本氏は指摘する。そこで、交流を促進するためのアメニティーを充実させた。施設内の各所には大小さまざまなカンファレンスルームや講堂などの共有施設がある他、「ノマド」「ビーチ」「キャンプ」「和」などと名付けられたコミュニケーションスペースがあちこちに設けられている。

 こうしたスペースを利用したイベントも毎週のように開催している。あるテーマに沿ったレクチャー、その後の懇親会、あるいはアルコールを飲みながらのピッチイベントなどだ。革新的な技術やビジネスを創造するには、まずは組織を超えて人の交流が生まれることが大切だという考えからだ。

施設内のあちこちに設けられたコミュニケーションスペースでは、ピッチが開催されたり、会社を超えて研究者同士が交流したりする場として活用されている
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施設内のあちこちに設けられたコミュニケーションスペースでは、ピッチが開催されたり、会社を超えて研究者同士が交流したりする場として活用されている
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施設内のあちこちに設けられたコミュニケーションスペースでは、ピッチが開催されたり、会社を超えて研究者同士が交流したりする場として活用されている

 藤本氏は、世界的に成功しているエコシステムは、会社の結び付きにとどまらず、会社を超えてタレントが流動していると指摘する。「製薬企業出身者がバイオベンチャーを起業したり、あるいは研究者がベンチャーキャピタルの中に入って技術の目利きをしたりするといったタレントの異動が必要だと思っている。入居企業の人材の交流が起きてくると協業の垣根も低くなる。そうした環境が生まれれば成功と言えるだろう」(同氏)。

4つの注力領域を設定

 湘南アイパークでは、4つの注力領域を設定している。(1)再生医療、(2)希少疾患、(3)認知症、(4)未病、である。湘南アイパークの強みと、社会の中のアンメットニーズの大きさという2つの視点で選定されたという。

施設内の様子
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 (1)の再生医療は、次世代医療として大きな注目と期待が寄せられている領域だ。「山中伸弥教授が所長を務める京都大学iPS細胞研究所(CiRA)とタケダは『T-CiRA』という共同プログラムを推進しており、100人近くのグループが湘南アイパークで研究している」(藤本氏)。こうした強みを生かし、再生医療の研究開発・事業化の中心地となることを目指している。

 (2)の希少疾患は、タケダがアイルランドShire社を買収(2019年1月に買収完了)したことで、今後より研究への機会が広がっていくという思惑で掲げたものという。「湘南アイパークのアンカー(中核)テナントであるタケダの強みとして、この領域は(共創先を)引きつける力があると思っている」(藤本氏)。

施設内の様子
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 (3)の認知症は言うまでもなく、最も大きなアンメットニーズであり、社会コストの面でも取り組みが不可欠な課題の一つである。ただし、必ずしも薬物治療をターゲットとしていないという。「湘南アイパークは創薬の研究開発専門ではなく、多企業連携を促進する場であるため、むしろ非薬物療法に重点を置いている。例えば、運動や食事などを組み合わせたようなサービスの事業化を考えていきたい」(藤本氏)という。

 (4)の未病領域は、湘南アイパーク設立に伴う協定を結んだ神奈川県との関係で重点領域とした。神奈川県はヘルスケア・ニューフロンティア政策を推進しており、その柱の一つが未病の改善だ。発症前の健康管理が重要な疾患について、遺伝的要素や生活習慣に関するデータに基づいた未病に対する新たなヘルスケアサービスを創出し、ビジネス化することが目的である。

民間企業のビジネス化コンソーシアム「湘南会議」を設置

 湘南アイパークでは、ビジネス化を目指す民間企業のコンソーシアム「湘南会議」を設置し、そのファシリテーターも担っている。参加企業を募集した上で集中的な議論を重ね、ビジネスモデルを構築し、パイロットスタディーまでの道筋を付けるところまでをスコープとしたコンソーシアムである。「社外起業だけでなく、組織に属しながら他社と連携してイノベーションを起こそうとする社内起業家も多い。そうした人たちをつなぐことができれば、新たなサービスやビジネスを創出できるのではないか」(藤本氏)との考えから設置した。

 2018年12月に始動した第1期の湘南会議は、未病のビジネス化をテーマにした。参加企業は公募によって決めるのが基本だが、第1期は立ち上げということもあり、神奈川県が主宰する未病産業研究会から紹介を受けた企業にインタビューした上で、次の8社で結成した。アフラック生命保険、SOMPOホールディングス、武田コンシューマーヘルスケア、武田薬品工業、電通、日本生命、ライオン、RIZAPグループ、である(50音順)。

湘南会議第1期の月次会議の様子(出所:湘南アイパーク)
湘南会議第1期の月次会議の様子(出所:湘南アイパーク)
湘南会議第1期の月次会議の様子(出所:湘南アイパーク)

 テーマは、「メタボ気味の中年男性が健康に年を重ねるには、どうすればよいか?」。8社のメンバーは、メタボ対象者の行動変容を促し、継続可能なソリューションについて、月1回の月次会議とその間のメールやコラボレーションツールなどを用いて、集中的に議論を重ねた。その結果、(a)趣味コミュニティアプローチと、(b)職場アプローチの2種類のビジネスモデルを構築したという。(a)は湘南エリアのコミュニティを対象としたサービスで、趣味などを通じてつながるコミュニティに対して健康増進を目指すもの。(b)は自治体と連携したエリアの企業従事者を対象とするサービスで、企業の従業員の健康増進、それによるパフォーマンスの向上を目指すものである。

 2019年度には、サービスに対するエビデンスづくり、スキームの詳細化を目指したパイロットスタディーを実施する計画である。第1期湘南会議の成果について藤本氏は、「社内起業家と呼べる人たちが集まったことで、短期間の中でそれぞれの企業の利益を超えて社会問題の解決に向けた議論ができた」と評価する。さらに、神奈川県、藤沢市、鎌倉市がオブザーバーとして参加しており、「パイロットスタディーの検証フィールドにしてほしいという申し出を受けるなど、自治体との共生も生まれている」(同氏)そうだ。なお、第2期の湘南会議は、認知症をテーマに2019年4月10日から参画企業の募集が始まった。

(写真:剣持 悠大)
(写真:剣持 悠大)
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 湘南アイパーク開所から丸1年。規模の大小を問わず多くの企業がオープンイノベーションを求めて集い、ビジネス化コンソーシアムの湘南会議も第2期が始動した。最後に藤本氏は、湘南アイパークがもたらす未来を次のように語った。「このパークで多くのイノベーションが生まれ、アントレプレナーが育ち、その人たちが湘南の街で起業し街も発展していく。その発展が湘南の海を越え、革新的な技術が世界に飛んでいく――それが私たちの夢である」。

(タイトル部のImage:剣持 悠大)