LGBT当事者の久保氏が会社を立ち上げるまで

 東京生まれの横浜育ち、気が付いたら女子よりも男子が気になっていた少年時代。久保氏は、東京の大学に入学後、新宿の二丁目でアルバイトをするようになったという。

 「はじめてのアルバイト先は二丁目のゲイバーだったのですが、その店のママがすごいお酒の飲み方をしていた。毎晩焼酎ボトル、2~3本を空にするような感じです。自分の母親くらいの年齢だったのですが、お酒が原因で身体を壊してお店をやめて……。その後はいわゆる引きこもり状態になってしまって、身も心もボロボロ。これを見て『ゲイの老後の難しさ』について切実に感じたんです」

 二丁目遊びが楽しい時期に感じた、人生観の大きな変化と当事者が抱える闇──そうした思いが久保氏の心に縫い付けられたのだった。

閑散とした浅草界隈。2020年5月上旬

 視野を広げてみたら同じような境遇の人ばかりいた。「HIV などの性病」「うつ病」「家族との不仲」「自殺」「覚せい剤」そして老後の問題「孤独死」などだ。

 「老後に天国はないかもしれないけど、今よりもマシにはできるはずだ。老後問題のモデルをつくれば、今の現役世代にも目標ができるはず!」

 歳を重ねるにつれ思いは徐々に強くなっていった。そして、サポートは自分が引退した後も続くようにするためにビジネスで取り組むと考えていた。

 「大切なお客様の人生に関わることなので、一時的なサポートで終わっては意味がありません。ある程度長いスパンで見ていかなければならない。そのために活動を会社組織化し、属人化から脱却した手法が適していると判断したのです」

 元々久保家は経営者一家で、起業家に対する憧れもあった。久保氏は大学を卒業後、東証一部上場の建設会社に入社した。

 「建設業界自体が男尊女卑、まさに男社会だと感じた。結婚してやっと一人前みたいな風土の同調圧力があり、ゲイの僕としては上司との付き合いが嫌いでした」

 建設会社退職後にIT会社で経験を積みながら、将来の起業への思いは日々つのるのだった。