この数年、革新的な製品やサービスを生み出すことを目指した拠点「イノベーション・ハブ」が世界各地に続々と生まれている。多くの人が認める「起業の聖地」シリコンバレーにならい、起業家を中心として、投資家やエンジニア、デザイナー、法律・財務などの専門家を集めると共に、短期間で試行錯誤を繰り返すことで事業案をブラッシュアップ、それにより事業を成功に近づけるための環境を整えている。

中でも「起業大国」を目指し、起業家向けのビザ発行や巨大な開発・交流拠点の開設など積極的な起業支援活動を展開しているのがフランスだ。コンシューマ向け技術の専門イベント「CES」やモバイル業界向けイベント「MWC」といったグローバル展示会では、ここ数年、フランスの起業家群が圧倒的な存在感を示している。彼らは「French Tech」の共通の看板を掲げて、スタートアップ企業を大挙送り込んでいるのだ。

その先頭に立つのは、ほかでもない、第25代大統領のエマニュエル・マクロン氏。同氏は大統領に就く以前、経済・産業・デジタル大臣時代にFrench Techの「顔」として世界各地に活動拠点を拡大したことでも知られている。

大企業とスタートアップの共存共栄がフランス流

 フランスの起業支援活動における特徴の1つは、大企業とスタートアップ企業による「共創」の仕掛けが随所に見られることだ。例えば、毎年3月にパリで開催される「Hello Tomorrow Global Summit」、5月に同じくパリで開催される「VIVA Technology」は、いずれも大手企業が協賛し、スタートアップ企業の掘り起こしと大企業との共存共栄を目指している。

2018年5月に開催されたVIVA Technology 2018の様子(写真:筆者が撮影、以下同)

 Hello Tomorrow Global Summitを主催するHello Tomorrowは、2011年に発足したNPO(非営利団体)である。短期間での収益化を狙う投資家による活動とは一線を画し、世界規模の課題の解決に向けて中長期的に取り組む研究者による事業にフォーカスを当て、起業家と投資家とのマッチングに力を注ぐ。Hello Tomorrow Global Summitでは毎年、ヘルスケアや材料、モビリティなどいくつかの推奨テーマを選び、世界中からスタートアップ企業を募り、コンテスト方式で優秀者を選抜して表彰する。

 一方のVIVA Technologyは、大企業とスタートアップ企業の共同展示が大きな柱になっている。LVMHやエアバスといった協賛企業が数年後の企業ビジョンを示し、それに賛同したスタートアップ企業が応募。大企業の思惑に合致した提案を出してきたスタートアップ企業が、大企業のブースの中に出展できるという仕組みだ。健康医療分野では、医薬品や医療機器メーカーであるサノフィが常連企業としてブースを構えている。

 注目すべきは、各企業が示す将来ビジョン。会場で掲げられたキャッチコピーには、各社の将来ビジョンが端的に示されていて面白い。筆者が参加した2018年の例で言えば、サノフィは「“健康の旅”のパートナー(Health Journey Partner)」、LVMHは「未来のラグジュアリー」、BNPパリバは「ポジティブ・バンキング」、フランス国鉄(SNCF)は「オープンな移動」といったテーマを掲げていた。中でもいいなと感じたのが、「ラッフルズ」「フェアモント」「Ibis」などのホテル運営で知られるアコーホテルズの「おもてなしの拡張(Augmented Hospitality)」だ。

 こうしたフランスでの活動は、ユーザーによる既存企業への不満に注目し、既存サービスの代替となる「破壊的創造」を目指すシリコンバレー型の起業スタイルとは大きく異なっている。起業率が比較的低く、人材の流動性が米国ほど高くない日本としては、フランスによる共創型が馴染みやすいように感じる。

多くの企業からの期待が大きい健康医療領域

 それでは、こうしたフランスのイベントにおいて、どのようなスタートアップ企業に注目が集まっているのか。以下では、筆者が参加したHello Tomorrow Global Summit 2019におけるコンテスト「Hello Tomorrow Global Challenge」の例を見てみよう。今回は、全世界から応募があった約4500社のうち、80社がパリでの最終発表に登壇した。

 このGlobal Challengeで注目されるのが、健康医療領域への注目度の高さである。2019年開催版で主催者が提示した12領域のうち、健康医療関連が3分の1を占めた。具体的には、「デジタルヘルス」「ウェルビーイング」「グローバルヘルス」「産業バイオテク」である。それぞれカバー領域が近いようにも見えるが、これはテーマごとに協賛企業が決まっているから。この分野の企業が、世界中のユニークな研究テーマを求めていることがうかがえる。

 デジタルヘルスにはフランスのセルヴィエ、ウェルビーイングはフランスのロレアル、グローバルヘルスはドイツのバイエル薬品、産業バイオテクはオランダのDSMが、それぞれ協賛している。ちなみにセルヴィエは「WeHealth」、バイエル薬品は「G4A」と呼ぶオープンイノベーション・プログラムをそれぞれ推進しており、今回のイベントでも、社名と並んでこれらのプログラム名を前面に打ち出していた。

バイエル薬品は、同社のオープンイノベーションプログラム「G4A」をアピール(左のパネル)

 グローバル展示会での注目ポイントの1つは、日本国内では見えてこない世界各地の課題が見つかることである。象徴的なのが、デジタルヘルス部門を勝ち抜き、総合優勝したナイジェリアRxALLによる薬の真偽を判別するソリューション。同社は、薬の真偽を判別するための携帯型スキャナー「RxScanner I」を開発した。分子センサーで測定したデータをクラウドに送信、薬の成分分析をして真偽判断する。製薬企業にとっては、非正規の薬を排除することで売り上げを伸ばせる期待がある。

 同社の創業者でCEO(最高経営責任者)を務めるAdebayo Alonge氏は「年間100万人もの人たちが、フェイクドラッグ(偽造薬)で命を落としている。我々のソリューションは、薬の真偽を簡単に見分けることにより、そうした人たちの命を救うものだ」という。彼らが注目した「薬の真偽」について、日本国内で話題になることは多くないが、地域によっては深刻な課題になっていることがうかがえる。RxALLは、カナダ、中国、ミャンマー、ケニア、ウガンダ、ガーナ、ナイジェリアで事業展開しており、こうした地域においては需要が大きいのだろう。

優勝したのはデジタルヘルス部門を勝ち抜いたナイジェリアのRxALL

AIなど複数の技術を融合したソリューションが目白押し

 RxALLのソリューションは、医薬品のほか、AI、分子センサーの知見を融合したものであり、異なる領域のノウハウを結合し、短期間で製品に仕上げることが得意なスタートアップ企業ならではと言えるもの。Hello Tomorrow Global Challengeの登壇者を見ると、RxALLが勝ち上がったデジタルヘルス部門を中心に、複数の技術を融合したソリューションが目白押しだ。特に多いのが、深層学習を含むAI技術である。

 例えば、スペインのMedicsenは、糖尿病患者向けの低侵襲性人工膵臓(自動インスリン注入システム)を発表した。AI予測と無針型の自動薬剤供給装置(パッチ)を活用することで実現する。人工膵臓は、2016年に米国のFDA(食品医薬品局)が初めて携帯型装置に認可を与えたことで、その後の開発と臨床試験に注目が集まっている領域である。同社は、スマートフォン向けアプリによるチャットボット(AIを利用した自動応答システム)や食事などの健康アドバイスサービスなどの提供を通じて、糖尿病患者を支援している。今回の発表は、その延長にある活動である。

 メンタルヘルスにおいて、AIの一手法である深層学習を応用しているのがドイツのMindpax。ユーザーが装着したリストバンドを通じてユーザーの活動量と睡眠を測定、スマートフォン経由でクラウドに送信する。クラウド側では深層学習アルゴリズムを利用することにより、双極性障害や統合失調症などのメンタルヘルス疾患を管理する仕組みである。

 米国のSteth IOは、スマートフォンに装着する聴診器機能を持ったカバーを開発している。このカバーを装着したスマートフォンを患者の胸に当て、内臓などの音を取得する。同社は、この取得した音の分析にAIを応用している。

 AI以外では、最近話題を集める量子計算を用いた取り組みもある。カナダのProteinQureは、量子計算と分子動力学シミュレーション、機械学習を組み合わせることで、創薬に生かすという。同社は、富士通と共同で中分子創薬に取り組んでいる。

ProteinQure は、IBMや富士通などと量子計算で協業し、中分子創薬に取り組む

 デジタルヘルス以外の健康医療領域で、最終選考に勝ち残ったのは以下の企業である。

・グローバルヘルス
X-Therma(米国):再生医療分野において、細胞・組織・臓器の冷蔵・輸送を実現するための科学技術を開発
・ウェルビーイング
Ilya Pharma(スウェーデン):皮膚や粘膜の傷を治療するための生物製剤を開発
・産業バイオテク
Dust BioSolutions(ドイツ):バクテリアの働きによって、粉塵を固化する生物学的結合剤を作成。最初の製品は鉱業における粉塵を固化するもので、ほかには農業などへの応用を図っている

関心を集めたゲノム編集セッション

 Global Summitではコンテストのほか、テーマ別の基調講演やパネルディスカッション、調査報告、企業による開発品展示といった学びや交流の機会が用意されている。いずれでも、世界中の研究者や科学者らが取り組んでいる社会課題を知る機会が得られる。

 ゲノム編集をテーマとした講演には、ハーバード大学教授を務め、遺伝学者として著名なジョージ・チャーチ氏が、NASA出身のサイエンティストであり、遺伝子工学を普及させるための企業Odinを起ち上げたジョサイア・ゼイナー氏らと共に登壇。ゲノム編集に慎重派、積極派という立場に立って議論した。

Hello Tomorrow Global Summitの講演に招かれた、ハーバード大学教授のジョージ・チャーチ氏(左から2番目)。ゲノム編集積極派のジョサイア・ゼイナー氏(左から3番目)と議論した。

 積極派のゼイナー氏は「自動車事故の犠牲者がいても、誰も自動車の保有に言及しない。ゲノム編集についてはリスク分析が歪んでいる。負の側面だけでなく、もっと正の側面にも眼を向けるべき」と発言するなど、会場をあおるような発言を繰り返した。一方、DIYバイオの先駆けであるチャーチ氏は慎重派の立場。ゲノム編集のコミュニティは監視下に置かれるべきであるとし、「運転の例えで言えば、運転免許を取得するだけでは十分ではなく、飲酒検査など他の様々な法律に従う必要がある」などと述べた。

 ゲノム編集については、中国人研究者が2018年11月、編集を施した双子の赤ちゃんが生まれたことを学会発表、話題になったばかり。そうした話題性もあり、特に多くの来場者の関心を集めていた。

(タイトル部のImage:筆者が撮影)