高齢者による誤操作とみられる、痛ましい交通事故が世間で話題になっている。そんな中、東北大学加齢医学研究所が2019年5月に発表した研究成果は実に対照的な印象を我々に与えている。その成果とは、「6週間の認知トレーニングで、高齢者の自動車運転技能が向上した」というもの。しかもそのトレーニングは、自宅のテレビを使ってゲーム感覚で遊べるものだという。どんなトレーニングなのか。研究を主導した野内類准教授に話を聞いた。

東北大学加齢医学研究所の野内類准教授(撮影:筆者)

6週間の認知トレーニングで、高齢者の自動車運転技能が向上したというのは、かなり興味をそそる内容です。実際にはどのような研究なのでしょうか。

野内 自宅のテレビで実施できるトレーニング用アプリを開発しまして、65歳以上の高齢者を対象に効果検証を行いました。その結果、1日20分のトレーニングアプリを6週間実施したグループは、同じ期間、他のゲームアプリを実施したグループよりも、自動車運転技能と認知力とポジティブ気分が向上することが明らかになったのです。

 ここで言う認知力とは、情報を判断したり、覚えたりする心の働きを指します。ポジティブ気分というのは活力とも言い換えられまして、要はやる気ですね。

 認知機能は加齢とともに低下します。そしてこれは、高齢者の日常生活を困難にする要因の1つです。

1日20分、6週間のアプリ操作で有意な変化

 私たちの研究チームはこれまでに、脳トレゲームや音読・計算トレーニング、処理速度ゲーム、サーキット運動トレーニングを実施すると、高齢者の認知機能が上がることを明らかにしてきました。

 今回は新たに自宅のテレビで実施できるトレーニングアプリを開発しまして、効果の検証を行いました。具体的には健康な高齢者60人を募集して、その人たちを2つのグループに分け、無作為比較対照試験を実施しました。運転技能向上トレーニングアプリを実施する「運転技能向上アプリ群」と、関係ないゲームを実施する「対照アプリ群」と名付けました。なお、このような試験は医療分野で使われている根拠の質の高い研究手法です。

 このトレーニングアプリは、自宅のテレビにセットトップボックスとWiFiルーターを接続し、テレビのリモコンで実施します。

 アプリの中身としてはゲーム形式になっており、素早く状況を判断するゲーム、2つの事柄に同時に注意を向けるゲーム、移動する物体の動きを予測するゲームで構成されています。

 例えば、表示と意味がちぐはぐになって表示されている対象物を正しく見分けて質問に正確に答える、画面上にいったん登場し隠れた物体が再び出てくるタイミングを予測してボタンを押す、といった内容が盛り込まれています(図1)。そしてゲームの成績によって難易度が変化します。つまり、できるプレーヤーの場合は、より難しくなります。

図1●運転技能向上トレーニングアプリのコンセプトを示した図。Aはアプリの全体構成で、テレビにセットトップボックスとポケットWiFiを接続して稼働させる。B、C、Dはアプリの画面例。表示と意味がちぐはぐな質問に正確に答えたり、タイミングを見計らってボタンを押したりといった内容が盛り込まれている。なお今回の研究は仙台放送との共同研究となっている(出所:東北大学加齢医学研究所)

 一方、対照アプリ群のゲームは、早く回答する必要はありませんし、難易度も変化しません。

 両群ともに週5回以上1日20分、6週間、ゲームをしてもらいました。なお、トレーニング期間の前に、自動車教習所で対象者に検査を実施しています。運転技能の検査、認知機能の検査、感情状態などを聞く心理検査です。そして6週間のトレーニング期間を経た後にも、同じ検査を実施しました。

 これらの検査結果を使ってトレーニングアプリの効果を解析したところ、運転技能向上アプリ群のほうが、対照アプリ群よりも自動車運転技能、認知力、抑制能力、活力気分が向上することが明らかになりました(図2)。

図2●運転技能向上トレーニングアプリの実験結果。対照アプリ群と比較・解析したところ、運転技能向上アプリ群のほうが、対照アプリ群よりも自動車運転技能、認知力、抑制能力、活力気分が向上することが明らかになったという(出所:東北大学加齢医学研究所)

自動車運転技能は変化量が特に大きいように見受けられます。

野内 あくまで解析データの変化量なので、このポイントの数字や差異そのものに大きな意味があるわけではありません。ですが、運転技能そのものはもちろん、それを支える処理速度や実行といった認知機能を示す項目が、トレーニングの効果を統計的に有意に示しているのは確かです。

日常生活にトレーニングをどう組み込むか

最近、高齢者の運転ミスによる事故がマスメディアなどで大きく取り上げられています。このような現状に対して、明るい材料を提示したと言えそうですね。

野内 日本の高齢化に沿って、高齢者ドライバーが増えていることは間違いありません。高齢になると認知機能はどうしても下がる傾向にあります。高齢者の運転についてはいろいろな意見があるでしょうが、特に地方において自動車は生活に欠かせない道具ですから、いきなり自動車を手放すわけにもいきません。また、特に高齢者にとって自動車は社会的なつながりを確保する重要な手段にもなっています。

 以前から加齢医学研究所では「スマートエイジング」という考え方を提唱してきました。いろいろな研究の結果、適切なトレーニングを重ねれば、年齢を重ねても健康で楽しく過ごせるし、しかも歳をとってからでも変わることができるということが分かってきました。そのような研究成果を広く世間に実装するべく、ゲームの「脳トレ」やフィットネスプログラムなど、多くの方が日常で取り組めるような手段を提供してきました。

 今回、トレーニングアプリをテレビとリモコンで実施できるようにしたのも、日常生活とトレーニングを継ぎ目なくし、日常生活にビルトインできるようにしようという意図からです。

ダイエットや運動と同じで、せっかく効果が見込めるトレーニングであったとしても、やらなければ意味がありません。今回の研究も、なるべく日常生活の延長線上でできるようなトレーニングで、どれだけ効果が見込めるかを検証しようという意図があったわけですね。

野内 はい。最近のゲーム機やタブレット機などは、そうはいっても高齢者の方に用意していただくのはハードルが高い。その点、テレビであればだいたいどの家庭にもありますし、高齢者の方にとっても違和感がありません。最初にセットトップボックスと通信用のポケットWiFiを繋げていただくことが必要ですが、それ以外に特別な操作は必要ありません。高齢者の方が日常で実施できるようにするというのは、今回の共同研究の主体である仙台放送ともこだわったポイントの1つです。

 欧米でも同種の研究があるのですが、そちらは専用のドライビングシミュレーターを使っています。これだとコストがかかりますし、高齢者の方にはシミュレーターがある場所まで来ていただかなくてはいけません。

 ひるがえって本来的なところから考えますと、高齢者の方には定期的に自動車教習所に行っていただいて、運転のトレーニングを直接受けていただくのが一番かもしれません。けれども、コスト効果を考えると、やはりそれは現実的ではありません。

 繰り返しになりますが、なるべく気軽に取り組めて、しかも日常生活の中で楽しんで続けられるものにする、かつそれが根拠のある手法に基づいたものであるということが、こうしたトレーニングのポイントになるでしょう。

この研究の今後の課題や、展望について聞かせてください。

野内 交通事故の減少など、実際の交通における事象にどう影響したかを見ていく必要があると思っています。これからますます高齢化が進んでいきますから、高齢者の運転技能のトレーニング効果について、長期にわたって調査をしていくことの社会的なインパクトは大きい。チャレンジのしがいがある領域だと思っています。

 あとは、このようなトレーニングアプリをいかに地域社会に浸透させていくかです。トレーニングという観点で見ると、「一家に一台」にして毎日少しずつできるようにするのが理想です。ただ、まずは高齢者の方が集まりやすい場所や、市役所や地域の公共施設などに設置して、立ち寄ったときに気軽にプレイできるようにするのが第一歩だと思っています。

(タイトル部のImage:Beyond Healthが撮影)