健常と認知症の中間である「軽度認知障害(MCI)」。2025年には国内700万人に達する見込みだ。放っておけばこのうちの半数が認知症に移行すると言われるが、早期発見と早期治療で進行を遅らせたり重症化を和らげたりすることができるという。診断の技術も進み、早期発見のチャンスは広がっている。「しかし早期発見だけでは『早期絶望』につながるだけ」と認知症専門医の新井平伊氏は警鐘をならす。そんな第一人者が立ち上げた「健脳カフェ」。認知症予防の新時代を見つめた戦略を聞いた。

健脳カフェのロビー(写真:末並 俊司、以下同)
健脳カフェのロビー(写真:末並 俊司、以下同)
[画像のクリックで拡大表示]

早期発見の技術革新

 認知症とはアルツハイマー病やレビー小体型認知症、血管性認知症など、いくつかの病気の総称である。患者のうち半分以上はアルツハイマー病による認知症だ。脳の中にアミロイドβという物質が蓄積されることで発症すると言われる。

 認知症の治療・予防の第一人者として知られる新井平伊氏はアミロイドβの蓄積過程に早くから注目していた。

 「アルツハイマー病による認知症は、MCIから移行しだんだんと重症化していくわけですが、多くは20年くらいかけて徐々に進行していきます。ただ、早期に介入することで一定程度発症を遅らせたり、症状の進行を緩やかにしたりできます」(新井氏)

 当たり前のことではあるが、治療の前にはきちんとした診断が不可欠だ。有効な予防法・治療法があっても、診断が間違っていれば効果はない。同じ認知症でもアルツハイマー病とレビー小体型認知症では治療方法も違う。

 正確に診断するために、最近特に注目されているのが「アミロイドPET」と言われる方法だ。特殊な薬品でアミロイドβを染色し、蓄積量を測るものである。がんのPET検診と同様の技術だ。新井平伊氏が院長を務めるアルツクリニック東京では、2019年に世界に先駆けて、アミロイドPET検査を採用した「健脳ドック」をスタートし注目された。

認知症専門医の新井平伊氏
認知症専門医の新井平伊氏
[画像のクリックで拡大表示]

 「アミロイドPET検査で症状が出る前からアミロイドβの蓄積のほどがわかるようになったことで、より早期の発見が可能になってきました。ただ、早期発見だけでその後の治療、予防の手立てがなければ『早期絶望』につながってしまいます」(新井氏)

注目されるSCDとは

 軽度認知障害と言われるMCIの前には多くSCDの状態になることがわかってきている。SCDとは「Subjective cognitive decline」の頭文字をとったものだ。主観的認知機能低下と訳される。

 「症状として表には現れないけど、自分自身が『なんか変だな』と感じる時期のことです。『以前に比べて仕事の効率が起きてきた』『物覚えが悪くなってきた』など、自分自身は感じるのだけど、日常生活に支障はない。そんな状態をSCDといいます」(新井氏)

 ただその程度の症状であれば「疲れ」や「睡眠不足」などでも起こり得るし、日々の精神状態が影響して起こることもあるだろう。脳血管性の疾患などが原因となることがあるかもしれない。

 「例えば物忘れにしてもそれが認知症による物忘れなのか、疲れによる物忘れなのか判断が難しかったのですが、最近では診断技術も上がってきており、ある程度突き止めることができるようになっています。そのひとつがアミロイドPETです」(新井氏)

 脳内のアミロイドβが一定程度溜まっている場合、SCDの症状はアルツハイマーによるSCDであると推測することができるというわけだ。

SCD・MCIなら十分間に合う

 早期発見の次にくるのが「予防」と「早期治療」だ。これがなければいくら早期に見つけても、新井氏の言う「早期絶望」に陥ってしまう。「実際私も、かつては早期絶望を生み出している側の人間でした」と新井氏は言う。

 「目の前の患者さんがあきらかにアルツハイマーによるMCIだったとしても、認知症のリスク要因を避けてくださいと言葉で指導するくらいしかできていなかった」(新井氏)

多くは認知症の軽度から中度に至るあたりで「認知症」の診断がくだされる。「しかしこれでは遅い」と新井氏はいう(図・新井氏提供)
多くは認知症の軽度から中度に至るあたりで「認知症」の診断がくだされる。「しかしこれでは遅い」と新井氏はいう(図・新井氏提供)
[画像のクリックで拡大表示]

・適切な血圧の維持
・難聴の治療・補助具の使用
・禁煙
・アルコール量の調整
・肥満や糖尿病のリスクをへらす

 これまでの研究で認知症のリスクを低減させる方法がわかってきている。ただこれらを提案するだけでは実際の予防・治療にはならない。なぜなら実施するかどうかは患者自身に任されてしまうからだ。

 SCDやMCIの状態では社会生活にさほどの支障は出ていない。そのような状態を病気だと自覚し治療に専念する人は実際には少ないのだ。やがて症状は進行し、早期発見が早期絶望へとつながってしまう。

 「そこで今年4月にスタートさせたのが『健脳カフェ』です。月曜日から金曜日まで、アルツクリニックPETラボ内(新宿区)にて実施しています」(新井氏)

 特別なマシンを使わずに筋力アップを促すことで高齢者や低体力者の心身状態の向上を図る「ラクティブ」や、常駐する認知症専門医の相談・指導、認知症家族の会との交流など、約2時間半のコースを1回1500円で体験できる。

運動と会話を体験

 取材にうかがった日は上智大学総合人間科学部の学生さんたちが交流のためにラボを訪れていた。

 まずは全員参加で、椅子に座ったまま行える体操だ。指導員の指示のもと、全身の関節をほぐす動きから、筋力アップのスクワットまで、ゆっくり優しくではあるが、うっすらと汗がにじむくらいの運動だ。

運動に励む高齢者と上智大学の学生さん
運動に励む高齢者と上智大学の学生さん
[画像のクリックで拡大表示]

 「こういう運動がいいというのはわかっているのですが、皆さん自宅でやってくださいね、とお願いしても実際にはなかなか実践してもらえません。こういう場所にきて、みんなでいっしょにやることが長く続けるためのコツでもあります」(新井氏)

 汗をかいたあとは学生さんたちと車座になっての交流だ。指導教授の松田修氏(上智大学総合人間科学部心理学科教授)がテーマが書かれたフリップを示して、コミュニケーションを促す。参加する高齢者の皆さんの言葉に、若い学生さんたちも興味津々だ。

 「適度な運動や、他者とのコミュニケーションを続けることで、認知症に移行しにくい体を作っていくことができるのです」(新井氏)

上智大学総合人間科学部心理学科教授の松田修氏
上智大学総合人間科学部心理学科教授の松田修氏
[画像のクリックで拡大表示]

 ラボ内には「社団法人 認知症の人と家族の会」東京支部の事務局も置かれており、そちらとの交流も盛んだ。これで2時間半で1500円。コスパ最高である。

早期絶望を根絶したい

 健脳カフェが目指すのは、認知症の予防だ。その意義を新井氏はこう語る。

 「加齢とともに徐々に物忘れなどの症状が出始め、やがて重度の認知症になってくる。アミロイドβがたまり始めるところからカウントすると、おそらく40年くらかけてアルツハイマー病は進行すると思われます。

 ただ保険診療の守備範囲となるのは認知症の診断が下ってからです。SCDやMCIの状態では医療保険は使えません。しかし予防のことを考えるとその時期こそが大切です。逆に言うと、SCDやMCIの時期であれば十分間に合うのです。だからこそ、医療保険が使えない初期に健脳カフェを広く使っていただきたい。そのために少しでも参加のハードルを下げようと、ギリギリの価格設定にしているのです」(新井氏)

 脳動脈瘤や正常圧水頭症など、脳外科的な処置を施すことで劇的に症状が改善する認知症もあるが、アルツハイマー病やレビー小体型認知症は一度罹患すると完治することはいまのところない。早期発見、早期治療が重要なのは当然だが、これからは「変だな」と自分自身が感じた時点から予防に乗り出すことがスタンダードとなっていきそうだ。

[画像のクリックで拡大表示]

(タイトル部のImage:末並 俊司)