必要とされる場所に、狙った量の薬を送り届ける──。薬物伝達のためのドラッグデリバリーシステム(drug delivery system:DDS)の開発は、薬物治療の大きな課題だ。中でも、脳内には血液脳関門(BBB)というバリアがあるため、脳疾患の治療は一層困難を極めている。ブレイゾン・セラピューティクスは、BBBを突破して脳内に薬物を届けるナノマシンの開発で、ブレークスルーをもたらし、「ナノの決死圏」での治療法開発に挑む。社長の戸須眞理子氏に話を伺った。

 1966年公開の米国SF映画の傑作、『ミクロの決死圏』は、近未来の医学への興味をかき立ててくれた。脳内出血で瀕死の患者を救うため、医療チームが潜航艇とともに細菌のサイズ(1µm程度)にミクロ化されて血管から患部に送り込まれ、動脈の乱流など数々の困難を乗り越え、ミクロ化の限界時間(60分)内に治療を完遂する──。半世紀余りを経てもヒトをミクロにすることは無理でも、薬剤を乗せて患部へ自走するナノサイズのマシンは現実に近づいている(1nm = 0.001 µm=0.000001mm)。

 脳に薬剤を送り込むのは容易ではないこともあり、脳神経疾患には有効な治療法がない難病が多い。例えば、既存の認知症治療薬でも、脳内に移行できるのは、投与量の0.1%程度にすぎない。脳内の神経機構を維持するために、脳内の血管から脳組織への物質の移行が厳密に制限されているからだ。関門といっても、例えば首周辺に“関所”があるわけではない。BBBとは、脳内の毛細血管の内皮細胞の構造そのもので、細胞同士の密着結合により間隙が非常に狭いことが、物質交換を阻んでいるのだ。

 このBBBの突破に世界に先駆けて挑んだのは、東京大学特任教授で、川崎市産業振興財団ナノ医療イノベーションセンター長である片岡一則氏と、東京医科歯科大学教授の横田隆徳氏だ。

 片岡氏は、生体適合材料であるナノサイズ(直径約20〜100nm)の粒子(ナノミセル)を開発した。このナノマシンは、生体内で異物と認識されないよう、表面がポリエチレングリコール(PEG)製の親水性高分子で覆われ、内部は水に溶けにくいポリアミノ酸からなる疎水性高分子と結合させた二層構造になっている。内部の核内に薬剤を封入し、親水性部分に標的に向かう機能を持たせることで、狙った場所で放出できるのが特徴だ。

 実用化は、まず、がん治療のDDSの開発が先行しており、既に臨床試験が実施されている。高分子のナノミセルは、間隙が小さい正常細胞の血管細胞は透過できないが、がん細胞では血管内皮細胞間により大きな隙間ができるので、薬剤をがん細胞まで送り届けられるという。

 一方、神経内科医である横田氏は、がんの早期発見を目的に行われるPET検査に注目した。がん細胞が正常な細胞より多くブドウ糖を取り込むという特徴に基づく検査は、ブドウ糖と骨格が類似した放射性物質(フルオロデオキシグルコース:FDG)を検査薬に用いるが、FDGはがんに多く取り込まれるだけでなく、正常脳にも集積する。検査は早朝空腹時に行われる。このメカニズムを脳神経疾患の治療薬の送達に用いられないかと考えたのが、横田氏である。

グルコースが細胞に取り込まれる仕組みを利用

 BBBには選択性があり、酸素に加えて、脳の唯一のエネルギー源であるブドウ糖(グルコース)などは透過させられる。これには、グルコースの細胞への取り込みを仲介する糖輸送担体が必要だが、グルコーストランスポーター1 (GLUT1)と呼ばれる分子は、全身組織の中でも脳血管内皮細胞に著しく多く発現していることが知られている(図1)。そこで横田氏は、片岡氏のナノマシンに注目し、医工連携の研究が進められた。

図1●脳に薬剤を届ける「B-Smarter」法(ブレイゾン・セラピューティクスによる)
図1●脳に薬剤を届ける「B-Smarter」法(ブレイゾン・セラピューティクスによる)
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 脳に届けたい薬剤を内包し、グルコースで修飾したナノミセル「B-Smarter」を、空腹のマウスの静脈内に投与し、その後にグルコースを投与することにした。すると、血糖値の上昇に伴い、投与されたミセルの約6%が脳内に移行するという、従来あり得ないほど高い送達率を達成した。この結果を社会実装化するために設立されたのが、ブレイゾン社である。同社では、小型のサル(コモンマーモセット)を用いた実験も進めており、霊長類でもこうした脳内移行が起こることを確認している。

 戸須氏は、「ナノマシンの精密な設計技術と、血糖値を制御するという生理学的特徴を組み合わせる方法が、鍵となる」と語る。ヒトの場合、ナノミセルは静脈投与しなくてはならないが、血糖値を上げるのは、空腹時に食事をしてもらうだけでいい。

 2015年に創業されたブレイゾン社は、「脳疾患の新薬開発にパラダイムシフトを起こす」を旗印に掲げる。「B-Smarter」に関する特許は、まず2017年2月に日本で、次いで欧米でも成立した。学術論文も上梓されたことで、本格的な実用化を目指して、薬学博士で国立がん研究センターなどでの研究経験もある戸須氏が、社長として招き入れられた。

 2018年には、ファストトラックイニシアティブなど、3社のベンチャーキャピタルを引受先とする第三者割当増資で約6億4000万円を調達している。スタッフも、研究員を含めて14人にまで増えた。川崎市産業振興財団ナノ医療イノベーションセンター(センター長は片岡氏)の一角に研究室を構えており、2019年には米国の大手企業との共同研究を開始し、ボストンのLabCentralにもラボを開設した。同年6月には、経済産業省が推進する、官民によるスタートアップ支援プログラム「J-Startup2019」に選定された(関連記事)。

過去に開発中止となったシーズの復活も

 オンリーワンの技術を核にしてブレイゾン社が取り組むのは、3つの事業展開だ。

 まず、製薬会社との共同開発。これには、製薬会社が持つ脳神経疾患の治療薬が全て視野に入る。従来、薬効が認められながら、治験の後半で脱落した薬は数多くあり、それらを再度浮上させられる可能性もある。また、向精神薬などは、送達率の低さから十分量を到達させるために用量が多くなって全身性の副作用につながる場合があるが、これを大幅に軽減させることもできるだろう。さらに、低分子医薬だけでなく、今後続々開発される抗体医薬や核酸医薬の高分子医薬の脳へのデリバリーが可能になれば、これまで確たる治療法がなかった脳神経疾患の患者にとって大きな光明となる。いずれも、医療経済の面でも高い効果が期待できる。

 もう一つが、アライアンス型創薬パイプラインの創出で、ブレイゾン社が、治験の第1相、2相までを手掛け、それを製薬会社に導出するというパターンだ。3つ目が自社開発で、大手製薬会社が手を出しにくい、小児脳腫瘍などの希少疾患や熱帯難病の治療薬などを手掛けたい意向だ。アカデミアにおけるシーズを探索している。

ブレイゾン・セラピューティクス社長の戸須氏(写真:寺田拓真)
ブレイゾン・セラピューティクス社長の戸須氏(写真:寺田拓真)
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 「我々が目指すのは、製薬会社ではない。脳疾患領域の治療薬におけるインテルになりたい。それが社会課題の解決にもつながると信じている」と戸須氏は語る。

 世界最大の半導体メーカー、インテルのCPUを使っているノートパソコンのキーボード下には、目立つ青色の「Intel Inside」のシールが貼られている。それと同じように、全ての脳疾患治療薬のパッケージに、「Braizon Inside」のシールが貼られている日を目指している。そこには、社名(Brain+Horizon)ともなった、脳疾患治療の新たな地平(Horizon)が開けていくはずだ。

(タイトル部のImage:寺田拓真が撮影)