2007年に京都大学教授の山中伸弥氏がヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)を樹立して10年余りが経過、本格的な医療への応用を見据えた研究が始まっている。ケイファーマは、慶應義塾大学教授の岡野栄之氏らが開発した神経再生技術を核に、主として神経系の難病の克服を目指し、創薬と再生医療の両面でiPS細胞の実用化に先鞭を付けようというベンチャーだ。創業者で技術顧問の岡野氏と代表取締役社長(CEO)の福島弘明氏に話を伺った。

 iPS細胞は、ごくわずかの皮膚片や血液などに多能性獲得因子を加えて培養することで作製できる幹細胞で、筋肉、骨、神経、血液など、体を構成する様々な種類の細胞に分化させられる。その実用化の道には二通りあり、一つが細胞移植治療、いわゆる再生医療。そして、もう一つが創薬だ。

 これらを両輪として、神経難病の新規治療法の開発・実用化を進めているのが2016年に慶應義塾大学発のベンチャー企業として創業されたケイファーマ(東京都港区)だ。大学で生まれた知的財産を育て、製薬会社に引き渡すまでのレベルにまで育てることをミッションとしている。

 まず、開発が先行しているのがiPS細胞による創薬で、神経難病である萎縮性側索硬化症(ALS)に対して新薬候補の安全性や有効性を検証する医師主導治験が、2018年12月から慶應大学病院で始まった。

 iPS細胞の最大の特徴は、ほぼあらゆる細胞に分化させられることで、特定の疾患の患者から作製したiPS細胞(疾患特異的iPS細胞)により、その病気に特有の細胞の状態が再現可能になる。

慶應義塾大学教授の岡野氏(写真:川島彩水、以下同)

 ALSは、運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が障害され、全身の筋肉が動かせなくなり、やがて自発呼吸もできなくなる進行性の神経変性疾患で、有効な治療法がない。国内の患者数は、約1万人とされる。

iPS細胞由来運動ニューロンでALS治療薬候補を同定

 岡野氏らは、iPS細胞に種々の分化誘導因子を加えて培養することで運動ニューロンに分化した細胞を作製(図1)。この患者由来の運動ニューロンを用いて、既存薬をスクリーニングしたところ、ドパミンD2受容体系作動薬のロピニロールをALS治療薬候補に同定した。運動ニューロンの神経細胞死の抑制が認められており、病態の改善が期待できるという。

図1●iPS 細胞創薬 (出所:慶應義塾大学医学部・慶應義塾大学病院・AMEDによる2018年12月3日付プレスリリース)

 ロピニロールは1996年から、やはり神経変性疾患であるパーキンソン病の治療のために世界中で用いられている。このように既存薬を別の疾患にも適用する手法はドラッグ・リポジションニング(DR)と呼ばれ、使用実績がある薬であれば、未知の副作用などは少なく、安全性が高いとされる。

 慶應義塾大学病院で実施されている医師主導治験は、無作為化比較対象試験で20例(実薬15例、偽薬5例)を対象にする。既に被験者の登録は完了しており、投与後一定期間経過観察して安全性と有効性を見極める。

 岡野氏らはこれに先立ち、遺伝性難聴の「ペンドレッド症候群」に対しても、免疫抑制薬のラパマイシンに内耳の細胞死を抑える効果を発見しており、2018年に医師主導治験を開始している。

 こうした疾患特異的iPS細胞を使った創薬の治験は、2017年に京都大学が骨の難病である進行性骨化性線維異形成症(FOP)を対象として開始したのが先駆けである。国内で3つ実施されているiPS創薬の治験のうち、ケイファーマは、3例目に関わる。しかも、ALSやペンドレッド症候群では、ヒト由来の細胞を用いて薬効を確認したという経緯から、動物実験を経ないで治験へと進んでいる。並行して、これらの治験薬について、導出候補先となる製薬会社との検討も進めている。

中学校の理科教諭から創薬研究者へ転身

 ケイファーマCEOの福島氏は、中学校の理科教諭を経て創薬を志してエーザイに入社し、25年以上研究開発畑を歩んだ後、共同研究等で親交を深めていた岡野氏の誘いに乗る形でケイファーマの立ち上げに参画した。患者数が少ないために大手製薬会社が手を出しにくい難治性疾患の治療薬を患者に届けたいという一心からの転身である。福島氏は、「大学には最先端の技術ある。これをマネジメントとして橋渡しし、創薬における真のオープンイノベーションを起こしたい」と意気込む。

 一方の岡野氏がケイファーマを起業したのは、大手企業のペースで開発を進めるのではなく、「自分たちの方針に従って社会実装したい」という信念からだ。社名のケイは、慶應の頭文字である「K」に由来。慶應大学で生まれた知財をベースにした、いわゆる慶應発ベンチャーで、医学部発としては3社目となる。岡野氏は2015年に医学部長に就任した際、医学部発のベンチャーを100社作ろうと提案したが、現在は14社にまで増えている。

ケイファーマCEOの福島氏

 ケイファーマはその先駆けとして、いち早く承認を得ることで利益を獲得できれば、大学に還元して、慶應大学病院内で計画されながら進行が遅れている難治性疾患を含む医師主導臨床試験の開発費用に回せるのではないかとの期待も込められている。

脊髄損傷や脳梗塞への再生医療の実用化を目指す

 ケイファーマが、もう一つ手掛けるのが、再生医療の実用化だ。岡野氏らは、2019年冬から慶應大学病院において、脊髄損傷の患者に対する臨床研究をスタートする計画である。交通事故などで脊髄が重傷を負うと、脳からの指令が手足に伝わらなくなり、重い麻痺などの障害が残る。国内では年間5000人が新たに発症し、累積で10万人の患者がいるとされる。

 計画では、脊髄を損傷してから2~4週間以内の亜急性期の患者(18歳以上)4例を対象にして、京都大学が備蓄しているiPS細胞を慶應大において神経幹細胞へと誘導し、約200万個を損傷した患部に注入して、移植後1年間かけて経過を観察する。治療の安全性の確認が主たる目的だが、副次項目として有効性も調べている。ケイファーマは、より有用なiPS細胞を活用し、脊髄損傷や脳梗塞などに対する再生医療の実用化を目指す。

 各界に広く卒業生を輩出している慶應大学のブランド力があることは、同社の強みになっている。例えば、ALSの治験では、被験者20人の募集に対して約1300件の問い合わせが殺到し、試験基準に適した病態の患者を集めることができた。また、研究員募集に際しても50人を超す応募があり、意欲と技術を兼ね備えた9人の人材を採用できた。研究所は、湘南ヘルスイノベーションパーク(神奈川県藤沢市、略称:湘南アイパーク)の一角に構え、治療の最適化のための研究に取り組んでいる。

 2016年の創業から3年で、ベンチャーキャピタルなどから順調に増資を続けるケイファーマは、現在の株主資本が4億円を超える。さらに将来のIPO(新規株式公開)を見据えると、財務体質の強化や資金調達も課題となるが、金融界に卒業生の多い慶應人脈が強みを発揮する可能性がある。

 岡野氏は、「医学研究者は論文を書くだけでなく、本当に患者を治したい。細胞や動物で効果を確認するだけでなく、ヒトの治療に生かせないと意味がない。会社を末長く育てていきたい」と語る。確実に希少疾患の治療薬を承認に導いた後には、アルツハイマー病やパーキンソン病など、患者数が多い疾患の治療も見据えている。

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