血液には脳の不調が反映されている

 それにしても血液を調べることでうつ病を診断するという発想はどこから生まれたのか。血液に目を付けた理由は、川村院長自身が過去に行ったPTSD(心的外傷後ストレス障害)研究にあったという。PTSDとは災害や事件、事故などで非常に強い精神的ショックを受け、その後も長期にわたって強い恐怖や精神的苦痛が続く障害のこと。今から20年以上前になるが、川村院長はPTSDの患者の協力を得て、血液中の免疫細胞を調べた。結果は驚くべき内容だったという。

 「患者さんたちはPTSDの原因となるトラウマを経験してから10年以上が経っていたにもかかわらず、免疫力が通常の4分の1にまで低下していた。私は当時、脳と免疫との関係を調べる『精神神経免疫学』を熱心に研究しており、精神的ストレスが細胞性免疫を低下させることは理解していたが、これほどの例は見たことがなかった。免疫担当細胞のほぼすべては血液中に存在している。精神的ストレスによって免疫力が低下するという事実は、血液には脳の不調が反映されることを如実に物語っている。つまり、脳と血液との関係がこれほど密なら、血液中の物質の変化を調べることで脳の中の状態を推し量ることもできるのではないか、と」

 川村院長のクリニックでは初診時に血液検査を行い、その結果と問診によって総合的にうつ病の診断を下している。血液検査は今のところ研究目的の段階なので、希望者には無料で受けてもらっている。この検査を希望して受診する人も少なくないそうだ。「長い間、うつ病の治療を受けているのによくならないという患者さんが多い。本当にうつ病なのか知りたい、正しい診断に基づいた治療を受けたいという声をよく聞く」と川村院長。

他の病気との鑑別、重症度の判定にも

 PEAを調べる血液検査は、うつ病の診断だけでなく、よく似た病気との鑑別にも役立つ。「適応障害や不安障害、パニック障害などとの区別は9割方可能になった。またPEA濃度が低いほど、うつ病の程度も重いので、重症度の判定にもなる」という。

 川村院長は表1のように、うつ病の発症から完治までを季節になぞらえて5段階に分け、治療を行っている。最も症状が重い“冬”、薬物治療の効果を実感し始める“春”、調子がよくなって主観的には回復したように感じられる“初夏”、仕事や家事を問題なくできるようになる“夏”、そして再発の心配もなくなって完治する“実りの秋”だ。PEA濃度もこれらの段階に応じて変動する。

表1●うつ病回復へのロードマップ
川村院長はうつ病の病態を5段階に分け、段階に応じて治療内容を変えている。PEA濃度は、うつ症状が最もつらい“冬”が一番低く、その後は治療に伴って徐々に上昇。“夏”以降は正常域に戻る。PEA濃度は、患者が回復途上のどの段階にいるかを知る目安にもなる(出典:『うつ病は「田んぼ理論」で治る』より改変引用)

 興味深いのは“初夏”だ。この時期は調子がよくなって「もう治った」と思い込み、薬を勝手にやめてしまう患者がたくさんいるという。しかし、PEA濃度をみると、この段階ではまだ低値のことが多い。

 「ここで薬をやめてしまうと数か月後には再発して、また“冬”の段階に逆戻りしてしまう。治ったように思えても、脳の中はまだ治癒には至っていない。PEA濃度をみると、そのことがよくわかる。 うつ病は再発が多いといわれるが、その大きな原因がこのように途中で薬をやめてしまうことではないかと想像している。なぜなら、“初夏”の後もしばらく継続して薬を飲むことで、損傷を受けた脳が完治に向かう。その回復過程を省くことになるからだ」。川村院長のクリニックでは、初診時以降も何度か血液検査を行い、治療効果の確認や減薬、薬のやめどきなどの判断材料にしているという。