ただ対話を続けることによって統合失調症などの精神疾患にめざましい効果をもたらし、国際的に注目されているケア手法「オープンダイアローグ(開かれた対話/Open Dialogue:OD)」。前編では、その特徴についてお伝えした。後編となる今回は、この手法による治験を国内で進めている筑波大学医学医療系保健医療学域社会精神保健学の斎藤環教授に、オープンダイアローグの統合失調症以外の精神疾患への適用や、社会での活用の可能性について聞く。
1対1のカウンセリングは「人工的で不自然な関係」
国内での普及に努め、研究を行っている筑波大学医学医療系の斎藤環教授は、これまでオープンダイアローグ(OD)による治験を約20例行っている。実費診療にも関わらず予約希望者が殺到しているため、対話療法10セッションを含む1クール限定で行っているのが現状だ。「15年に及ぶ幻聴があったある患者では、ODと並行して減薬を進めましたが、発作的な幻聴はほぼ消失しました。従来行われてきた精神医療では説明できない現象だととらえています」(斎藤教授。以下コメントは全て同)。
対面で顔を見て言葉を交わすODはコロナ禍においてどのように行われているのか。「対面でできないことは危機的状況と当初思っていました。しかし、リモートで行うスタイルが普及し、自分でもやってみましたところ、意外なほど有効なことが分かりました。OD発症の地、フィンランドの治療者も『リモートでいける』と言っています」
ODが効果を示す理由はどこにあるのか。そこで、ODがこれまでの医療と大きく異なる点を見ていきたい。
●診断はせず、その人が持つ健康リソースを活用する
「一般に、病気を診断する場合、医療者は異常な部分に注目します。余分なものがあればその病巣を除去し、欠けたものがあればそれを補う、これが治療です。一方、ODはケア手法です。診断はせず、するとしても重視しません。その人が持っている抵抗力や健康さ、人間関係といった健康のリソースを活用、増強し、回復に導くことを重視します」
●治療計画を立てない
「通常の医療では、最初に治療計画を立てますが、ODではいわゆるPDCAサイクル(plan-do-check-act cycle)的な発想は一切しません。精神疾患ではたいていの場合、『こうしたらこうなるだろう』というふうにプラン通りにはいかないからです。治療においてプランを立てる人は、上手くいかないために悲観論者となっていく。悲観的な治療者は患者に抑圧的にふるまうなど、有害な存在となります。一方、ODではプランも立てず予測も立てずにただ対話を続けます。すると、対話の副産物としてひょっこり上手くいくことが起こってくるから、治療者も楽観的になってきます。治療においては楽観主義のほうが圧倒的に有利です」
●1対1で行わない
診察もカウンセリングも通常は1対1だが、ODは必ず「n対n(複数対複数)」で行われる。「そもそも1対1というのは、人工的で不自然なスタイルだと考えています。1対1のカウンセリングは業界では当たり前のようになっていますが、全く当たり前ではなく、精神分析家のフロイトが提唱して以降、なぜか定着した作法の1つでしかないのです。それに、1対1で人を治すのには非常に高度な技術が必要とされるので、万人向けではありません」
二者関係は同一化に向かう圧力が生じやすく、密室化し、共依存関係になりやすいという。「支援者と被支援者という上下関係になることによって身動きがとれなくなるというのは、精神分析という環境では当たり前に起こるとされてきました。しかし、私も経験がありますが、依存関係を恐れるあまりに医療者はポーカーフェイスになったり、過度に中立性にこだわるなど冷たい治療に陥ることがあります」。チームで行うことは、場の圧迫感や依存関係からの解放となる。治療者も患者も、自由にしゃべれるようになるという。
●誰でもできる
「私自身がこの手法に引きつけられた大きな理由の1つは、認知行動療法や対人関係療法のような治療プログラムではなく、ある種、素朴な哲学があり、ガイドラインを読んだだけの初級者でも、できる人はできるという敷居の低さがあるところです」。ただし、そこには患者の安心、尊厳や自由を最大限尊重するという意識が必要だ。「治してやろう、という意識から逃れられない治療者には向かないでしょう」
引きこもりや認知症、発達障害にも応用可能
統合失調症に対する治療的介入として開発されたODだが、他にも応用できるのだろうか。斎藤さんは30年間、ひきこもり支援にも取り組んできたが、「結論から言うと、ひきこもり事例の対応にODは非常に向いています」と言う。引きこもり支援の重要なポイントは、家族支援。家族を巻き込む、本人の状態を無理に変えようとしないというODの特徴が、上手くフィットするのだという。
さらに、うつ、双極性障害、認知症のBPSD(行動・心理症状=妄想、意欲低下、暴言、徘徊など)の改善をもたらしたという症例もあるという。また、発達障害(自閉症スペクトラム)では「それまで問いに答えるだけで発語が乏しかった患者が、ODのセッションを重ねるうちに、本人から自分の言葉で、抱えている悩みや生きづらさを話してくれるようになりました」。
このように幅広い活用の可能性があるのは、「自分だって話していいし、話したいんだという形で、患者の主体性が取り戻されるからではないでしょうか」と斎藤教授は言う。ODを受けた患者からもっともよく聞かれる言葉は「安心した」という言葉だそうだ。
話を統合失調症の例に戻そう。
幻聴や妄想を持っている人は第1に「聞いてもらいたい」と思っている、と斎藤教授は言う。周囲に話すと、それは思い込みだと否定されたり、説得されたり、証拠を出せと言われたりする。当人にとって、否定されることは自分を丸ごと否定されることに近く、否定されるほど妄想にしがみつくようになるという。
「ODで初めて、自分の主観的な経験に強い興味と関心を向けてもらえた。否定もされず、『もっと聞かせて』と言われる経験がもたらす安心感はとても大きい、と当事者からしばしば聞きます。彼らは語るそばから否定されてきているので、聞きたがってくれることに安心感を感じる。自分に興味を持たれることは何よりの肯定感となり、回復が起こっていくのです」
また、症状が大きく現れる「急性期」は、「窓が開かれている状態」とODの開発者である心理療法士のヤーコ・セイックラは述べている。「急性期は、心のバリアが外れて本質的なものがむきだしになっている。そういうときにODで介入をすると、語りにくいようなことも語られてしまい、一気に解決が進むことがあります。これまで妄想は脳内の異常だと固く信じられてきましたが、時には意外なほどあっさり消えてしまうこともある、ということを経験しています」
幻聴や妄想を否定しないのは第一歩で、斎藤教授はさらに「幻聴や妄想にともなう感情を共有すること」が重要と考える。「妄想の背景には強い怒りやいらだちなどの感情があることが多く、そこをチームで共有していきます。患者は、こんなことを言うと薬を増やされるのでは、入院させられるのではという恐れを感じています。自由な対話が可能なこと、感情について口にしていいことによっても、安心感を高めます」
OD的発想は家庭にも職場にも取り入れられる
チームで行うというと、なんとなく「皆で語り合ったから分かりあえたということ?」と思ってしまう。「いいえ、皆でわいわい語る、というのはむしろハーモニー(合意や調和)を目指しているので、ODとは全く正反対のベクトルです」と斎藤教授は言う。
ODでは、ハーモニーを目指さず、「ポリフォニー(多声性)」を大切にした対話をする。1つのお盆に、その場の一人ひとりの主観を乗せていくようなイメージだ。「ポリフォニーとは、異なった意見が対立せずに共存している状態のことを言います。自分と相手には決定的な違いがあるものの、どんな相手にも個別の尊厳が備わっている。他者の主体性は尊重すべきだし、自分の主体性も尊重されるべき、ということを対話によって共有していくのです」
斎藤教授は、飲酒しながらODを行うことには反対だという。「複数名で酔うと、簡単にハーモニーが起こるからです。盛り上がって気持ちがいいかもしれませんが、その気持ちよさの裏側に、1%ほどの気持ち悪さを感じている人がいるかもしれません。実際のODでも、治療チームが1つの考えになることは避けるようにしています」
ODのアプローチは、医療に限らず、身近な社会でも活用できそうだ。
「コロナ禍において、家族が1つ屋根の下で過ごす時間が増えました。それによって親密さが深まる家族もあれば、こじれる家族もあります。長期的な自粛生活の中で、互いが一定の距離感を確保するためにも、互いの主体性を尊重しあうODの対話手法は役立つと思います」
目標を設定しない、議論はしないといったODは、職場環境では合わないのか、それとも人間関係の風通しをよくするものになるのだろうか。
「対話で全て解決できるとは考えていません。ほとんどの人が、いついつまでに結論を出さなくてはならないような課題やテーマを抱えていると思います。ディスカッションしないと前に進まないこともあるでしょう。とはいえ、ODには少数派の意見も尊重するという大切な発想があります。ディスカッションの手前で対話を十分に行うというのは、やってみる価値があるでしょう。隣の人と一度徹底して主観を交換し合い、理解を深めておくと、ディスカッションの内容も変わってくるのでは」と斎藤さん。
打ち合わせの前に、「今日は議論の前に対話をやってみましょう」と試みるのもいいかもしれない。
一方で教育の現場では、指導者と生徒という上下のヒエラルキーがあるため「フラットな関係性をつくりにくいのが難点。対話モードと指導モードをしっかり使い分けるという試みなら可能性はあるかもしれません」。
また、精神障害のある人が訴訟に関わるケースが多いため、司法の現場でもODを取り入れると対話がスムーズになるのでは、と斎藤教授は考えている。
「相手に正論を押しつけようとしない」「他者を自分と安易に同一化して捉えない」といったODの思想は、日常のコミュニケーションでも心に留めておきたい。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパンのサイトでは、ODの手法を分かりやすく解説するガイドラインが無料公開されている[1]。
[参考文献]
(タイトル部のImage:patpitchaya -stock.adobe.com)