大阪府西成区、かつて“ドヤ街”と呼ばれたこの地に、地域唯一のクラフトビール工場がある。さらに同じ西成に、そのビールを提供するおしゃれなカフェも。ビール工場とカフェ、その両方を立ち上げ、そして現在運営を行っているのは西成に根を張る介護事業者の「シクロ」だ。介護の専門家たちがなぜビール工房を?その秘密は西成という街の持つ特性にあった。

しゃれた外観のカフェ「Ravitaillement(アビタイユモン)」(写真:末並 俊司、以下同)

 そのおしゃれな外観に、まずは軽い違和感を覚えた。ここは日本最大のドヤ街といわれた大阪府西成区だ。似つかわしくないといえば叱られそうだが、コンクリートを打ちっぱなしの外壁に、店の正面は奥まで見渡せる一面のガラス張りだ。

 店名の「Ravitaillement(アビタイユモン)」はフランス語でレースの中継点を意味する。ヨーロッパにはそうしたカフェが街のそこかしこにあるらしい。

 この店の人気商品は、ずばりビールだ。それが西成らしいといえばいえる。しかし、ただのビールではない。自前の工場が生産する西成唯一のクラフトビールなのである。

 一番人気である「西成ライオットエール(800円税込)」をいただいた。鼻から抜ける爽やかなホップの香りが心地よく、フルーティな後味も大変よろしい。

「Ravitaillement(アビタイユモン)」で提供するクラフトビール。自前の工場で生産する

おっちゃんたちの物語とは

 そもそもなぜ、このおしゃれなカフェが誕生したのか、運営本体であるシクロ代表取締役の山﨑昌宣氏に聞いた。

 「西成のドヤ街に住まわれている“おっちゃんたちの物語”をベースに、おっちゃんたちの手でやっていけるような店を作りたくて、その結果、この形のカフェになったということです」(山﨑氏)

 ドヤ街とはつまり、肉体労働者の街である。かつて高度成長を支えた労働者たちも今は年をとった。仕事はなくなったが西成に住み続け、生活保護を受けている人も少なくない。介護など社会的支援を必要とする方も少なくない。

 そうした人たちを山﨑氏は愛情を込めて“おっちゃんたち”と呼ぶ。それにしても、おっちゃんたちの物語とは妙な言葉だ。まずはそこからひもといていく。

シクロ代表取締役の山﨑昌宣氏

 そもそもシクロは、西成地区を拠点に、デイサービスやデイケア、訪問看護ステーション、生活相談窓口などを展開する介護事業者である。

 「この地区には、高齢者も多いけど、精神的にちょっと弱い方もけっこういらはります。また酒に溺れはる方ってやっぱり多くて。そういう問題を何とかできないかと考えていたときに、朝からエスプレッソとかを出せる店を西成のど真ん中に作ることができたら、朝イチの一杯の酒をエスプレッソに置き換えることができるやないか。みたいなことを数年前から考えるようになったんです。店を運営するのもおっちゃんたちに任せる。そういうことで、まずは現在のアビタイユモンの前進となる店を始めたんです」(山﨑氏)

 20人ほどのおっちゃんたちが運営する店は固定客も付き、繁盛した。諸々の理由からその店はいったん閉じたのだが、おっちゃんたちの意欲は継続した。

 「フリーマーケットに参加して、現金収入を得るようなイベントの打ち上げとかで、おっちゃんたちによう叱られましてね。『フリマもいいけど、もっと俺らのやる気が出るようなことを考えるのんが社長の仕事やろ』って。『俺らは若いころから酒を飲んできたんや。酒の味ならそこらへんの酒屋よりよう知っとる』というんです。『酒を扱う店やったら、俺らもっと力だせる』、その剣幕にこっちもほだされて、だったらやってやろうじゃねぇか。みたいなことでクラフトビール工場と、それを出す店の構想が動き始めたんです」(山﨑氏)

 ビールを作ってそれを売る。一連の流れをコンセプト化するために、おっちゃんたちの物語が採用された。

 「日本が高度成長期で西成がまだ今よりも活気があった頃、アメリカから金髪の女の子がリュックを背負ってやってきて、その子がビールを作って売っていた、という物語なんです。アメリカがヨーロッパだったり、売っていたんじゃなくて自分で飲んでいただけとか、いやあれはスナックで働いとった女の子や、などなどその話にはいろんなバリエーションがあるんです。けれども、どれも金髪の女の子とビールはセットなんですよ。そんならそれを再現しようやないか、という感じで、どんどん計画が膨らんだんです」(山﨑氏)

 そして構想から5年、2018年の3月に食事もできてビールも飲めるアビタイユモンが誕生したのだった。介護や生活保護などの福祉の手助けが必要なおっちゃんたちも店に出る。

自前のビール工場

 「そもそも飲酒グセのある人が多いですけど、店に出ているときは不思議と呑まない。仕事をしているという自覚がそうさせるのだと思います。ここで働いて、生活保護から脱出することができたおっちゃんもいますよ」と山﨑氏は笑う。

 介護事業所が本業のシクロだからこそ、支援と仕事が融合した素晴らしい取り組みだ。山﨑氏は、西成で介護事業を展開する意味を次のように語る。

ドヤ街という経済圏

 「僕は大学を卒業してすぐに、関西で手広く事業を展開していた介護事業会社に就職しました。そこでの担当がここ西成地区だったんです。そもそも実家もすぐそこってのもありますけどね」

 西成区で仕事をしているうちに、山﨑氏はこの街の特性と介護事業の関係について自分なりの考えを持つようになった。

 「東京の山谷とか神奈川の寿町なども同じですけど、今やドヤ街は高齢者の街です。さらに、生活保護をベースとした経済圏が成立している。痛し痒しのところはあるんですけど、これは社会的支援を受ける方にとって、すごく有利なことでもある。なんというのかな“主”になれるんです。

 例えば普通の街だと、高齢の生活保護受給者なんかは大家から敬遠されます。アパートに住みたくても相手にしてもらえない。ところが西成では逆。生活保護をもらっているから家賃のとりっぱぐれがない、という発想。さらにそういう人が集まると『異臭』や『ボヤ騒ぎ』などの問題が起こってきがちです。普通の街なら『出てけ』ってなるけど、西成は『あらまたいへんやったねぇお大事に』ってなもんです」(山﨑氏)

 勤めていた会社が倒産し、本人曰く「しかたなく」自分で会社を立ち上げることになったのが、2008年の6月。今では地域最大の介護事業所に成長した。

シクロが運営するデイサービス『エシュロン』

 「生活保護を前提とした生活圏」が成立しているおかげで、「西成全体がひとつのセーフティネット」になっていると山﨑氏はいう。

 「家賃は安い、食堂も安い、居酒屋なんかどうしてこんな値段なんってくらい安いし、格安の店として全国にその名を知られる『スーパー玉出』も徒歩圏内です。高齢者、精神障害者、生活保護受給者たちが本当に住みやすい街なんですね。だからそうした人たちの割合が高い。おかげで我々のような介護事業も多い」(山﨑氏)

利用者ファーストの街

 利用者と事業者の双方が集中しているという現実が、さらに利用者有利の状況を生み出している。

 「利用者側が事業者を選べるんですよ。つまり利用者が『主』になれる。よその地域だと、事業者が『それはやれません』って言うと、利用者は『そうですか、ならしかたないな』となるけど、西成では『でけへんのやったら別の業者に頼むからええわ』といえる。おかげでこの界隈の介護サービス業者は優秀ですよ」(山﨑氏)

 こうした状況は、痒い所に手が届くサービスの誕生にもつながった。

 介護保険内でやれること、やれないことの切り分け。これは介護保険サービスの永遠のテーマだ。例えば訪問介護の場合、ヘルパーがやれることは最低限の『身体介護』と『生活支援』だ。

 家の掃除洗濯は介護保険サービス内だが、仏壇の掃除はサービス外。高齢ご夫婦のお宅に訪問し、介護保険受給者の旦那さんのご飯は用意できても、奥さんの料理は作ってはだめ。

 「それでも、『あんちゃん、電球切れたんやけど』って電話を無視するわけにはいきませんよね」(山﨑氏)

 そうしたオーダーに細かく対応するために、シクロでは介護保険サービスと保険外サービスをミックスしたいわゆる混合介護の仕組みを発達させている。

 「スタッフの誰がどこにいるのかを把握し、即時連絡がとれるシステムを作り、急な助けを必要としている利用者と、一番近くにいるスタッフを繋げる取り組みを行っています。ただ、保険外と保険内のサービスをごっちゃに提供すると、いただく料金の切り分けが曖昧になってしまいます。そこが難しいところ。弊社では、保険外と保険内でスタッフを分けて対応するようにして、問題をクリアしています」(山﨑氏)

 山﨑氏は『社会的弱者』という言葉を使わない。たとえ生活保護受給者だろうが、介護保険サービスの利用者だろうが、決して弱者ではない。彼らがどんどん主張し、要求していくことが、携わる介護事業者を育てる糧になるのかもしれない。

(タイトル部のImage:末並 俊司)