愛知県豊田市で今年7月に始まった「ずっと元気!プロジェクト」。65歳以上の人たちに向け、いつまでも元気にその人らしく生活するため、社会との繋がりを維持してもらう取り組みだ。特徴的なのは官民連携のソーシャル・インパクト・ボンドを導入していること。同様の仕組みを使っている自治体は他にもあるが、豊田市式は少し違う。
ソーシャル・インパクト・ボンドとは
耳に馴染みのない方も多いだろう。「ソーシャル・インパクト・ボンド」とは、社会の課題を解決するため、行政と民間業者が連携して成果に見合った報酬を分配していく仕組みだ。神奈川県や福岡市が導入し成果を上げている。
今年7月、愛知県豊田市がソーシャル・インパクト・ボンドを使った「ずっと元気!プロジェクト」をスタートさせ注目を集めている。
豊田市企画政策部未来都市推進課の丹羽広和さん(担当長)と、水谷大樹さん(主査)に話を聞いた。
「ソーシャル・インパクト・ボンドとは民間企業や国、自治体が社会課題を解決するためのお金を用意することで事業を走らせ、参加してくれた事業者にはその社会的課題解決の貢献度合いに応じて報酬を支払うというものです」(丹羽さん)
スタートから3カ月が経過して取り組みの内容が広まるにつれ、その成果に期待する声も高まってきたが、新しい取り組みなだけに走る出す前は内部での議論も白熱した。
「国、県にもお金を出してもらわにゃやれんだわ」
「ずっと元気!プロジェクト」は市内に住む65歳以上の人たちの健康寿命を伸ばす取り組みだ。丹羽さんは次のように説明する。
「同プロジェクトは当初、豊田市が財源を用意するタイプのソーシャル・インパクト・ボンドで運営することを考えていました。しかしそれでは財源面の論理に齟齬が生じるという指摘が噴出したのです」
健康寿命を伸ばす取り組みの根幹は医療や介護の分野だ。丹羽さんたち企画側が描いた青写真はこうだ。
〈市が5億円の財源を用意し、プロジェクトを遂行すれば、結果として市内シニアの健康寿命が伸び、10億円分の介護費の削減効果がある〉
ところがことはそんなに単純ではなかった。
「介護は市民から集めた保険料で成り立つものです。介護保険は1~3割が自己負担です。つまりそれ以外は公費が入っているということ。ざっくり説明すると、介護にかかる保険給付金の負担は市民が2分の1、国が4分の1、県が8分の1で、市が8分の1という内訳になるのです。プロジェクトを遂行することで将来の介護にかかる財政負担が10億円分浮くといっても、市の財政の圧縮効果はそのうちの8分の1ということ。10億円の12.5%の範囲内でしか効果がないということなのです」(丹羽さん)
つまり、豊田市が5億まるまる出すのでは割が合わない。
「“国、県にもお金を出してもらわにゃやれんだわ(三河弁)”って事になりまして」
丹羽さんは苦笑いする。
上司の一言が突破口となった
プロジェクトは暗礁に乗り上げたかに思えたが、当時の副課長の一言が突破口となった。
「『企業版ふるさと納税』って仕組みがあるもんで、考えてみりん(三河弁)」
丹羽さんはなるほどと膝を打った。
一般的なふるさと納税は、個人が自治体に一定額を寄付することで税の控除が受けられ、金額に応じて自治体から寄附者に返礼品が送られるというものだ。
「企業版ふるさと納税は、寄附してくれた企業に返礼品は出さないのですが、寄附した側の企業はその金額を『損金算入』できるのです。つまり、節税効果が期待できるということ。今回この仕組みで、UFJ銀行さんなど数社から5億円の寄附を頂くことができました」(水谷さん)
寄附した企業は節税効果。受けた豊田市は自己資金なし。プロジェクト参加団体は一定の報酬が約束され、市民は健康増進を期待できる。言うなれば“Win+Win+Win+Win”のプロジェクトなのである。
ではこの「ずっと元気!プロジェクト」とは、具体的にどういったものなのか。
「コロナ禍の真っ只中で、こうしたプロジェクトをスタートすることになったのですが、そこには豊田市の特性が関係しているのです」(水谷さん)
待ったなしの地域課題
トヨタ自動車の城下町である同市は、日本有数の産業都市だ。モータリゼーションが進む高度成長期に全国から労働者が集まったという歴史を持つ。そのため、人口構成に他の地とは異なる特徴がある。
「今のところ豊田市は『若い街』と言われています。平均年齢は約44歳(全国平均年齢は47.4歳―総務省統計局『人口推計』より)。しかし、団塊の世代を中心とした方々のボリュームが極端に多いという特徴もあります。2025年にはこの方々が後期高齢者となります。そうした時期を目前に控えているというタイミングでもあるのです」(丹羽さん)
繰り返すが、豊田市はトヨタ自動車の城下町だ。日本の自動車産業は1970年を境に急激に拡大する。これに合わせて同時期に生産年齢となった団塊の世代が集まったわけだ。つまり、同市は2025年を境に急激に後期高齢者の数が増える。
「コロナ禍のために、お家時間が増えたことも課題のひとつです。特にお年寄りにとって、自宅に閉じこもることによる運動不足や社会との隔絶は深刻です。加齢による心身の衰弱を招くフレイル状態が加速するからです」(丹羽さん)
こうした課題を解決するためにスタートしたのが「ずっと元気!プロジェクト」なのである。
より広く、より楽しく
運動。会話。社会との繋がり。歳を取ると様々なものが不足してくる。心身の健康を保ち、いつまでも元気に自分らしく生きるには、「適度に運動する習慣」「他者とのコミュニケーション」「社会との関わり」などを確保することが大切だ。
「『ずっと元気!プロジェクト』は、スポーツ、エンタメ、コミュニケーションなど様々な分野の事業者を数多く集めることで、より多くの人にリーチする基盤を作っています」(水谷さん)
健康体操の類はもちろん、テイクアウトした食事を届けて、一緒に食事をすることでシニアの孤食を防ぐ取り組みや、ZOOMを使ったオンラインコミュニティ、日本に興味のある外国人と市内のシニアをオンラインで結びつけ、コミュニケーションを促進する事業など、現在約30の企業・団体が参加している。
「フレイル防止などの取り組みは、スポーツ系に偏りがちです。ところが、そうした場に不慣れなシニアも多い。私たちの『ずっと元気!プロジェクト』はより多くの方に参加してもらいたい。そうした思いもあって、広い分野から事業者の参加を募っています」(丹羽さん)
5億円で5年の大プロジェクト
2021年7月にスタートした同プロジェクトは2026年の6月までの5カ年計画だ。
「ソーシャル・インパクト・ボンドを使った取り組みで、5億円、5カ年の規模は全国でも初の試みです」(丹羽さん)
目標は5年間で2万5000人の市民参加だ。達成すれば介護保険給付費など、10億円分の削減効果が見込めることは先にも書いた通りだ。
つまり、(何も手を打たず5年後を迎えた世界でかかる“かもしれない”介護費)―(プロジェクトを遂行して迎えた5年後にかかる“かもしれない”介護費)=(マイナス10億円)ということだが、この「かもしれない」の部分はどう試算したのだろうか?
JAGESプロジェクトというエビデンス
「日本老年学的評価研究機構(JAGES)という組織がありまして、ここが全国の40の市町村と協力し、約30万人の高齢者に調査した『JAGESプロジェクト』という膨大な研究の積み上げがあります。この機関に協力してもらって試算しました」(丹羽さん)
「ずっと元気!プロジェクト」に参加するシニアには、心身の状態に関するアンケートに定期的に答えてもらうことで、「効果」を見える化する。
「ソーシャル・インパクト・ボンドの大きな特徴である『成果に応じた報酬』という部分は、JAGESの持っている研究成果とそこから導き出した数字、さらに『ずっと元気!プロジェクト』に参加してくれたシニアの皆さんのアンケートを照らし合わせることで、『成果』を割り出すのです」(水谷さん)
シニアの健康増進のためにプロジェクトに参加し、プラグラムを展開する団体・企業に対する報酬は3段階に分かれる。
「委託事業運営分として、まずは30%。そして定期的にプログラムを実施していることへの報酬として30%。さらに、一定期間実施することで健康増進の成果が出た場合に最終成果分として残りの40%をお支払いします」(水谷さん)
豊田市がプロジェクトのターゲットとしているのは、65歳以上で豊田市在住、要介護認定を受けていない人だ。
「現在、豊田市の65歳以上人口は約10万人です。そのうち要介護認定を受けているのが1万5000人ほど、つまり『ずっと元気!プロジェクト』の対象者は8万5000人ほど、このうち2万5000人の参加を目指しています」(丹羽さん)
日本初の試みである、企業版ふるさと納税を使ったソーシャル・インパクト・ボンド。
2025年問題は日本全国の課題だ。この試みがヒントになる自治体は多いと思われる。今後の展開を注視していきたい。
(タイトル部のImage:末並 俊司)