人工の細胞膜上に蚊の嗅覚受容体を組み込んだ匂いセンサーを使って、人の呼気に含まれる肝臓がんのバイオマーカーの検出に成功――。そんな研究結果を、東京大学 大学院情報理工学系研究科 知能機械情報学専攻 兼 生産技術研究所 教授の竹内昌治氏らの研究グループが発表した。

 研究成果は、2021年1月14日(日本時間)に米国科学振興協会Science Advances誌に掲載された。これを応用すれば、呼気から疾病を診断する「呼気診断」を行える可能性があるという。

匂いセンサーを用いた呼気計測の実験系(出所:竹内昌治氏)

 研究グループはかねて、さまざまな匂いを高精度に検出できる生物の嗅覚受容体に着目してきた。嗅覚受容体は、特定の匂いを検知し、その信号を細胞内に取り込むセンサーとして働く膜たんぱく質である。人や動物、昆虫は、このセンサーを使って匂いをかぎ分け、生活に役立てている。例えば、「匂いで地雷を見つけるミツバチなどが報告されている」と竹内氏は言う。

東京大学 大学院情報理工学系研究科 知能機械情報学専攻 兼 生産技術研究所 教授の竹内昌治氏(写真:2021年1月13日に開催したオンライン記者会見の画面キャプチャー)

 こうした高感度かつ選択性の高いセンシング能力は、人工的なセンサーでは実現できていない。そこで研究グループは、生物の嗅覚受容体の機能を利用し、「バイオハイブリッドセンサー」としての匂いセンサーの研究開発を進めている。

肝臓がんバイオマーカー「オクテノール」の検出に成功

 今回は、蚊の触角に存在する嗅覚受容体を利用して、人の呼気中に含まれる代謝物を検知できる匂いセンサーを開発した。さらに、このセンサーで人の呼気を計測したところ、呼気中に含まれる微量の肝臓がんバイオマーカー「オクテノール」を検出することに成功したという。

作成した匂いセンサー(出所:竹内昌治氏、以下同)

 この成果から、蚊を始めとしたさまざまな生物の嗅覚受容体を人工細胞膜に再構成させたセンサーによって、複雑な組成を持つ多様な匂いの識別ができる可能性が示唆された。将来的には、「呼気や体臭によって、がんや糖尿病などの疾病を呼吸診断できるかもしれない」と竹内氏は展望する。

難溶性の匂いも嗅ぎ分けることが可能に

 竹内氏らは既に、過去の研究で、昆虫の嗅覚受容体を人工細胞膜上に組み込んだセンサーを開発してきた。水溶液中に嗅覚受容体が存在している構造で、水溶液に溶解した状態の匂い分子に対して高い感度と分子識別能力があることが確かめられている。しかし、このセンサーでは、難溶性の匂い分子を検知することは難しいという課題があった。

 そこで今回は、難溶性の匂い分子を嗅覚受容体に届けるために、撥水コートを施した微細なスリットの上に、人工細胞膜を形成する液滴を配置した匂いセンサーを作成した。スリットに匂い分子を含む気体を流すことで水溶液が撹拌され、匂い分子を効率的に液滴中に導入することができるという。

 その上で、感度を検証するため、肝臓がんのバイオマーカーであるオクテノールを含む呼気を導入した。その結果、呼気中にオクテノールを混合していない場合は明確な信号が得られなかったが、呼気中にオクテノールをそれぞれ0.5ppb、5ppbで混合した場合には、嗅覚受容体で明確な信号が得られたという。つまり、呼気中に含まれる微量な肝臓がんのバイオマーカーをppb(10憶分の1)レベルで検出できたというわけだ。

 さらに、並列化した人工細胞膜に蚊の嗅覚受容体を再構成させることで、16個の並列化した人工細胞膜で同時に匂いを計測できるセンサーデバイスを作成した。これによって、1ppm(100万分の1)のオクテノールを10分以内に90%以上の確度で検出できるようになったという。

並列化した16チャンネルで同時計測できる


ミツバチやハエの応用も目指す

 昆虫の嗅覚受容体は、特定の匂い分子と結合するとイオンを透過させ、微小な電流が流れるという特徴を持つ。開発した匂いセンサーでは、この微小なイオンの流れ(イオン電流)を計測することで、嗅覚受容体1分子レベルの挙動を捉えている。そのため、匂い分子を高感度で検出する感度を実現できたというわけだ。

 既に、複数の昆虫に関しては、嗅覚受容体が特定の匂い物質を検出できることが分かっている。例えば、ミツバチは肺がんやヘロイン、コカイン、ショウジョウバエは肺がんやかび、覚せい剤、ハマダラカは肺がんや人の汗の匂い、をそれぞれ検出できるとされている。研究チームでは、さまざまな嗅覚受容体を使うことで、疾病の診断や環境評価、爆発物検知などに役立つ匂いセンサーの実現を目指していく。


(タイトル部のImage:monsitj -stock.adobe.com)