光や超音波、熱中性子線など安全な物理エネルギーと薬物の融合により、癌を切らずに根治させる「ケミカルサージェリー」が、手術・抗がん剤・放射線・免疫療法に次ぐ「第5のがん治療法」として注目されている。東京工業大学は1月22日に記者会見を開き、液体のりの主成分であるポリビニルアルコール(PVA)という高分子を、ホウ素中性子捕捉療法用のホウ素化合物に加えるだけで、その治療効果が劇的に高まることを発見し、マウスの皮下腫瘍をほぼ消失させることに成功したと発表した。

 ホウ素中性子捕捉療法(boron neutron capture therapy:BNCT)は、ホウ素化合物をがん病巣に送達して、熱中性子線を照射することでがんをホウ素との核反応で破壊する治療法(図1)。中性子はX線よりもエネルギーが高く体の深部にまで到達することから、深部のがんに使える。加えて発生するα粒子やリチウム反跳核の飛距離は10μmと概ね細胞1個分の距離であり、がん細胞周囲の正常細胞への影響がほとんどない。

図1●ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)の原理 ホウ素と熱中性子が核反応を起こし、細胞傷害性の高いα粒子とリチウム反跳核を産生する。これらの粒子ががん細胞に致命的な傷害を与える。(出所:2020年1月20日付 東京工業大学他プレスリリース、図2とも)

 そのため、BNCTはX線や陽子線、重粒子線よりも標的選択性が高く、特に多発性再発性がんの治療に有用だとされている。楽天メディカルが臨床試験を進める光免疫療法や光線力学療法とともに、「ケミカルサージェリー」の1つとして注目を集めている(関連記事:「薬剤×医療機器」でがんをピンポイント攻撃)


ほぼ根治に近いレベルまで腫瘍が寛解

 BNCTでは、いかにホウ素をがんに選択的に集積させるかが重要。がん細胞膜上に過剰に発現しているLAT1というアミノ酸トランスポーターを介して取り込まれるフェニルアラニンとホウ素を結合させたボロノフェニルアラニン(BPA)が、BNCT用のホウ素化合物として使われている。しかし、BPAはがん細胞の細胞質に一旦蓄積するも、すぐに排出されてしまうのが課題だった。

 東京工業大学科学技術創成研究院 化学生命科学研究所助教の野本貴大氏と同教授の西山伸宏氏らは、PVAにBPAを結合させると、LAT1にくっついた後に、細胞質ではなくエンドソーム・リソソームという細胞内小器官に取り込まれ局在する形で、がん細胞内に長く滞留することを発見。京都大学研究用原子炉でマウスの皮下腫瘍モデルに熱中性子線を照射したところ、PVA-BPAは強力な抗腫瘍効果を示し、ほぼ根治に近いレベルまで腫瘍が寛解した(図2)。

図2●腫瘍への集積性と滞留性とBNCTの効果 PVA-BPAは従来のBPAと比較して優れた腫瘍集積性と滞留性が認められ(左)、PVA-BPAを用いたBNCTではほぼ根治に近い治療効果が得られた。

 PVAは、クラレが世界で初めて実用化した国産第一号の水溶性合成樹脂だ。現在では液体のりの主成分として知られているほか、生体適合性が高いことから様々な医薬品の添加物としても使われている。また、PVAは多数のジオール基を有しており、水中でホウ酸やボロン酸と混ぜるとボロン酸エステル結合により、理科教材や玩具で有名なスライム(ゲル)が簡単にできる。野本氏らの今回の発見は、このスライムの化学を応用したものだ。昨年春、東京大学のグループが高価な培地の代わりに安価なPVAを用いて造血幹細胞を大量に増幅させたと報道され、話題になったことも記憶に新しい。 


シンプルかつ再現性が高い技術であることが重要

東京工業大学科学技術創成研究院 化学生命科学研究所助教の野本氏(写真:Beyond Health、以下同)

 現在、ナノバイオテクノロジーや細胞技術を用いた、抗体医薬をはじめとする高度な機能を持った医薬品が注目されているが、非常に高価な材料や設備が必要であったり、複雑な製造プロセスでの品質保証をどうするかなどが大きな課題となっている。「こうした高機能の医薬品を社会実装していくために大事なのは、シンプルでありながら非常に再現性が高い技術であるということ」と西山氏。

 野本氏も、「スライムの化学のような非常に簡単なケミストリーを用いることは非常に重要。安価かつ安全に合成しやすいポリマーの代表例であるPVAは、抗体医薬等の原料と違い、工業的な大量生産にも向いている」と言う。

 また、BNCTの研究開発も50年以上前から日本を中心に進められてきた歴史があり、現在も日本が世界の最先端を走っている。「日本オリジナルの技術を組み合わせた本治療法を将来世界に輸出していきたい」と西山氏は意気込む。

東京工業大学科学技術創成研究院 化学生命科学研究所教授の西山氏

 さらに、BPAを18Fで標識した18F-BPAは、PET(陽電子放射断層撮影)検査の分子プローブ(標識薬剤)としても使われているため、がん細胞への取り込みを可視化できる点も大きなメリット。「18FーBPAをコンパニオン診断薬として用いることで事前にがん細胞への集積状況を確認した上で治療を行うことができるので、臨床試験でも高い治療成績が期待できるし、患者ごとに異なる集積の度合いを見極め、確実に効く治療を提供できる」と西山氏は強調する。

 現在、BNCT用のホウ素化合物の開発を行っているステラファーマと共同研究を進めており、「2〜3年以内に前臨床試験を終え、5年以内には臨床試験を開始したい」(西山氏)としている。

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