筆者が日経デジタルヘルス編集長を務めていた2017年、こんなブログを書いた。タイトルは「スーパー銭湯で思う、そろそろ『ハピネス』の時代へ」。

 その年の3月に同サイトに掲載した「ヘルスケアサービスがうまくいかないワケ」という記事を一つのキッカケに、“脱ヘルスケア”について思いを巡らせていた頃だ。ヘルスケアという領域を、より広義に捉えられないかという意味である。

 ちなみに、「ヘルスケアサービスがうまくいかないワケ」という見出しの答えとして、ソニーコンピュータサイエンス研究所の桜田一洋氏(当時)が指摘していたのは、多くのヘルスケアサービスが一人ひとりの違いを考慮せず、“健康”という標準解にもっていこうとしている現状だった。

 その、一人ひとりの違いとは何なのか。それは、突き詰めれば「何を幸せと感じるかという価値観」なのかもしれないと当時考えた。もっとも、健康診断の数値が“オールA”であることに幸せを感じる人もいるだろう。しかし、健康へのリスクがあると知っていても、食事・飲酒・喫煙・運動・睡眠などに適切な配慮をすることなく、自分の趣味嗜好を優先する人は少なくない。思いがけず健康を害した人にとっては、その病と付き合いながら見つける幸せがある。

 そんな中、いよいよ「幸福感」を計測するなんていう技術が身近になってきたという話や、一方で、「幸福」という指標は「健康」よりも極めて複雑で多様であるからこそ、今後さまざまなチャレンジの余地が残されているテーマではないか、といった内容を綴ったブログだった。

 このブログから5年後の今、当時の文面を見返しながら思えば、それなりに世の中は変化したと感じている。昨今では、ウェルビーイングの文脈で、幸せに対して対峙する企業やサービスも増えてきた。ヘルスケアという領域をどう捉えるかの見方も確実に変わってきた。仕事の疲れを癒やすのにスーパー銭湯に行く筆者の習慣は相変わらずだが。

 ともあれ、ハピネスへの追求はさまざまな角度から続けていきたいと思っている。


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