コロナ禍での緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の影響を受けて、現在、厳しい立場に追い込まれているのは外食産業だろう。なかでも、仕事帰りに、ちょっと一杯といった、日本的居酒屋文化は存続の危機にある。江戸時代の食文化の歴史を専門家に聞く機会があったので、今回は現在の日本の外食文化につながるルーツについて解説してみる。

 約250年続いた江戸時代は、大きな戦争もなく、比較的平和な時代。その中で文化文政期(1804-1830年)を最盛期とする、いわゆる化政文化が花開く。江戸前期の元禄文化の中心が上方だったのに対し、化政文化の中心地は江戸。その担い手となったのが、町民をはじめとする庶民だ。天ぷらや寿司、蕎麦など今に通じるグルメが定着し、料理の味付けには醤油や味醂が使われ、日本酒も広く飲まれるようになる。営業形態は立ち食いの屋台だけではなく、店舗式が増えていく。魚や野菜の煮物を食べさせる煮売屋ができ、酒と肴を一緒に提供する居酒屋が生まれ、高級料亭も登場する。

 江戸の人々は、春は花見、夏は花火見物など、とにかくアクティブで、食に対する関心も高かったようだ。例えば、相撲の番付表に見立てて大関、関脇というように料理屋を評価したグルメ書が刊行される。今ならさしずめミシュランガイドか食べログといったところか。大坂で出版された『江戸買物独案内』は江戸の買い物と飲食のガイドブックで、大坂商人が江戸出張する時は必携の存在だったとか。このガイドブック、実は出稿するのにお金を取っていたそうで、商売人のしたたかさが垣間見られる。

 大量に印刷し安価で販売できる浮世絵も、庶民の間で人気の高い娯楽だった。今でいうブロマイドのようなものだが、歌舞伎役者や花魁の人物画だけでなく、どこかの料理屋の看板娘が美人だと評判になると浮世絵に刷られて販売されたりする。店に大勢が押し寄せてしまうようになるということで、店名や名前などの情報の掲載に規制が入ったそうだ。

 また文化文政期は、落語家の初代林家正蔵や初代三遊亭圓生が活躍した時代でもあり、歌舞伎や寄席、相撲などのエンターテインメントは町民たちで大盛況だった。伊勢神宮への道中を面白おかしく描いた十返舎一九の『東海道中膝栗毛』も同時期の作品だ。

 グルメにエンタメに旅行と、人生を謳歌する娯楽は今も変わらない。江戸の庶民のメンタルは案外、現代の日本人とそれほど変わらなかったのではないだろうか。200年続いた日本の文化が今後、どのように変容していくのか、あるいは変わらず続いていくのか。その先が分かるのはもう少し先になりそうだ。

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